紛らわしいものの定番でエレベーターの「開」ボタンと「閉」ボタンがある。
テレビでふかわりょうさんが、間違えないように「宍戸開」と「宍戸錠」の顔写真にするべきだと言っていたが、宍戸開も年を取るとどんどん錠に似てきて、さらに紛らわしくなる可能性もある。
僕は「夢」と「現実」にしたらどうかと思っている。
エレベータの中は四方を壁に守られた空間だけど、外に出たら現実に戻らなきゃいけない。それを「夢」と「現実」に置き換えるのである。
ただ、乗り合わせた相手によっては、ものすごい気まずさを感じて、むしろ通常以上に現実的な空気を肌に感じることもあるかもしれない。
全く逃げ場のない空間の中で、何か話すべきなのだろうかと、手に汗を握りながら階数表示を眺めつつ、階段にしておけばよかったと、5階から1階に降りるくせに、自分でもわかるくらいの無理矢理な後悔をしてしまう。
しかし、それも、ドアが開いてその空間から解放されたとき、「ああ、さっきのは悪い夢だったんだな」と気づくだろう。夢を見ているときは、そうと気づかないことも多いのである。
そして、「現実も捨てたもんじゃないな」と、前向きになれるのだ。ぜひ導入してもらいたい。
問題があるとしたら、「現実」が漢字二文字という点だ。ボタンの大きさを変えてしまうと、その分コストもかかってしまう。
僕としては、小さい字で表示するのが一番現実的だと思うがどうだろう。
テレビでふかわりょうさんが、間違えないように「宍戸開」と「宍戸錠」の顔写真にするべきだと言っていたが、宍戸開も年を取るとどんどん錠に似てきて、さらに紛らわしくなる可能性もある。
僕は「夢」と「現実」にしたらどうかと思っている。
エレベータの中は四方を壁に守られた空間だけど、外に出たら現実に戻らなきゃいけない。それを「夢」と「現実」に置き換えるのである。
ただ、乗り合わせた相手によっては、ものすごい気まずさを感じて、むしろ通常以上に現実的な空気を肌に感じることもあるかもしれない。
全く逃げ場のない空間の中で、何か話すべきなのだろうかと、手に汗を握りながら階数表示を眺めつつ、階段にしておけばよかったと、5階から1階に降りるくせに、自分でもわかるくらいの無理矢理な後悔をしてしまう。
しかし、それも、ドアが開いてその空間から解放されたとき、「ああ、さっきのは悪い夢だったんだな」と気づくだろう。夢を見ているときは、そうと気づかないことも多いのである。
そして、「現実も捨てたもんじゃないな」と、前向きになれるのだ。ぜひ導入してもらいたい。
問題があるとしたら、「現実」が漢字二文字という点だ。ボタンの大きさを変えてしまうと、その分コストもかかってしまう。
僕としては、小さい字で表示するのが一番現実的だと思うがどうだろう。
イメージ図 |
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