思ったこと

宇宙センターとか空港があるのにヒューストンっていう名前は縁起が悪いよね。

Q8 いままでで、一番、死ぬかと思った体験を教えてください

A:小学生3年生くらいのころ、プールに行ったときです。

僕はみんなと違ってエラで呼吸することができなかったので、水が怖く、小学校3年生の段階でも、泳ぐことができませんでした。

それでも、努力の甲斐あって、ようやくバタ足で泳ぐことができるところまでこぎつけたころ、友人T君とプールに行きました。

さっそくできるようになったバタ足を披露すると、T君は「すごいすごい、それに手をつければ、クロールができるよ」と、誰もが気付かなかったすごい真実を教えてくれました。

クロールができるようになれば、もう泳げないコンプレックスともおさらばです。かっこよく泳いで学校に通う姿を、みんなに見せつけることができます。

さらにT君は「よし手の練習をしよう。俺が足を持っててあげるから、こうやって手をまわすんだよ」と、クロールの練習の協力を申し出てくれました。

浮いた状態で両足を持たれた僕は、こんな感じかな? と両手を交互にまわしてみました。

「そうそう! いいよ~」というT君の声に、安心しつつ、クロールの手の練習を続けていると、ふと、あることに気付きました。

あれ? 息が苦しいぞ。

思えば、つい最近、バタ足で前に進めるようになったばかり。息継ぎの仕方がわかるわけがないのです。

今まで僕が見てきたクロールを思い出すと、なんか器用に横に顔を向けて息継ぎをしてるようでしたが、あれは、厳しい訓練をつんだ人だけができる、途方もなく高度な技術にしか思えませんでした。

そんなことを考えている間にもどんどん息が苦しくなってきます。

あまりの苦しさに、半ばパニックでした。

(やばい!!急がないと!!)

僕は、手の回転スピードを上げ、必死に水をかきました。

しかし、両足を持たれた状態なので、一向に前に進みません。それどころか、ますます苦しくなるばかり。

というか、もともと急いでどうなるものでもありません。

(もうだめだ!!死ぬ!!)

そう思った瞬間、僕の体は、自分でも驚くような動きを見せます。

僕は、ありったけの背筋力で、伏臥上体反らしのごとく、体を大きく反らして、がばっと、水面から上半身を起こし上げたのです。

その瞬間、腰に激痛が走りました。

声にならない痛みでした。

その動きに驚いたT君の手からは開放されたものの、再び水にたたきつけられ、沈みこんだ僕は、簡単に足がつくはずのプールの底で、たくさんの水を吸い込みながら、腰の痛みにもだえました。

水とプールの底に塗られたペンキが、ただ青く視界を埋める中で、何かにしがみつこうと、もがきながら、あちこち手を伸ばし続けました。

その後は、必死だったのでよく覚えていませんが、どうにかプールの縁にたどり着き、プールサイドへ這い上がると、腰をおさえ、うつむきながら、何も言わずにそのままプールを後にしました。

死ぬかと思いました。

それ以来、僕は無口で笑顔を見せない子供になりましたとさ。

口内炎

口内炎ができた。

もう、本当にやだ。口内炎。

あ、そうだ、体の不調について愚痴を言ったら、なぞかけも言わなきゃいけないんだった。

じゃあ

口内炎とかけまして、

強く根を張る「木」と解きます

そのこころは

「口」の中にできると「困」ります


リカバリー

ノートパソコンが妙に遅くなったので、昨日リカバリーしてみた。

「リカバリー」というのは、お買い上げの時の状態に戻すという魔法のことである。

買ってから2年くらい。インストールしては、使わなくなったソフトとかがたくさんあるので、そういうのが、動作を鈍らせているのだろうと判断。

最近、クラウドサービスなどが充実しているおかげで、バックアップを取る必要がなく、気軽にリカバリーできるようになった。

しかし、リカバリーを実行したにもかかわらず、画面と本体をつなぐ蝶つがいの部分が壊れているのはそのままだし、液晶画面の汚れもついたままで、ぜんぜんお買い上げの状態に戻っていない。

あと、お買い上げの状態って、ウィルスソフトのお試し版とか、宣伝広告みたいなソフトがいっぱい入ってるんだなと気づく。そういうのをアンインストールする作業もしなければいけない。GoogleとEvernoteがあれば、パソコン環境はあっという間に復元できると思っていたけど、意外と時間かかった。

でも、動作は軽くなった気がする。

これで一安心と、布団のそばに放り投げておいた。

そして今朝、布団から這い出して、寝ぼけて歩きだした時、踏んづけてしまった。

「あ、いて、なんか踏んだ」と思ったら、パソコンだった。

「誰だ、こんなところにパソコン置いたの」と、踏みやすいところにパソコンを置いた人物の神経を疑いつつ、眠かったので、もう一度寝る。

さて、今、祈る思いでパソコンをつけてみたら、無事だった。

こんなこともあろうかと、普段から、痩せ型の体系をキープしておいてよかった。

へんなゆめ

赤ちゃんの足の裏同士を、母親がを瞬間接着剤でくっつけるみたいな映画をみている夢を見た。

「あ、この映画、見たことあるなあ」なんて思いながら見ていたのだけど、そんな映画ないよね。

「一見、残酷に見えるけど、これから死にゆく運命のこの子が少しでも苦しまないようにという、母親の配慮なんだよね、悲しい話だなあ」などとも思っていた。なぜそういう状況なのかは、全くわからない。

悲壮感の強いシーンだった。一回試しにちょっとだけ接着剤を付けて、すぐにはがすシーンの皮膚が引っ張られる感じとかが、見ていてすごく辛い画だった。このあと、本格的に、接着剤を貼り付ける場面に差し掛かるのかと思うと、もう見ていられないくらい悲しい。一体誰が、こんなひどいことを考えるのだろうと、憤りすら覚える映画であった。

にしても、起きているときは、絶対にしない発想だし、そんな怖いこと考えもしない。こんな普段は絶対考えないようなことをなぜ、夢で見るのだろう。

夢で見られるということは、僕にも、こういうやや残酷なことも、考えられないわけではないということがわかる。

同時に、普段思いつかないような、神がかったもっと面白いことも、考えつく可能性は十分にあるだろうとも思える。

僕に中には、まだ自分の知らない自分がいて、無限の可能性が眠っているんだろうなと思う。

脳の90%以上は眠っているなどという話も聞いたことがある。まあ、それは大げさで、残り90%以上が全部使えるようになるなんてことはないだろうけど、それでも自分でも驚くような力が脳には潜んでいるのは確かだろう。そんなことを茂木健一郎先生も言っていた気がする。

一人の人には無限の可能性がある。だから、自分には無理とか、あいつには無理とか、簡単に決めつけてはいけないなといつも思うんだよね。自分も他の人も無限の可能性を秘めた、尊敬すべき存在だ。

そのあたりのことを

「ひとの能力を自分のものさしではかるな
 自分の能力をひとのものさしではかるな」

という名言にして、まとめておこう。

ゲームセンターCX

雪が降ったことを教えてあげようと思ったけど、みんな知っているようなのでやめておく。感想としては、普段、記念日を無視して生きているので、こういう日の方が特別な日という気分になる。

さて、最近は「ゲームセンターCX」の動画をYouTubeなどで拾って見ている。

最初は、食事中の暇つぶしのつもりだったのだが、たくさんあるので、見過ぎというくらい見てしまっている。自制が効かなくなってきている。

人のやっているファミコン見てるのって面白いね。

アマゾンでDVD-BOXのレビューを見ると、有野さんだから成り立つ企画だというのがあったが、全くその通りだと思う。意見が合うなあとそのレビュアーの肩を叩きたいくらいだ。10時間以上机に座って、笑いながら忍耐強くゲームを続けられる有野さんの性格。友達にするならこういう人だなと毎回思う。

今も、動画を見ながら書いている。時間を無駄にしている気がしなくもないが、ゲームを自分でやるよりは、はるかに時間はかからないはずだし、自制が効かなくなるくらい面白いと思うものに出会うことは、その要素を盗む気持ちで見れば、僕のようなクリエーターにとってマイナスではないだろうとプラスに考えて、見続けている。

コーヒーメーカー

前回の質問、後半なんか知らないじいさん乗り移った。誰だったんだろう。

さて、最近コーヒーメーカーを買った。

コーヒー好きを名乗る割には、今までコーヒーメーカーを持っていなかった。

そんなことで、コーヒー好きをよく名乗れたものだとお思いかもしれないが、れっきとした理由があった。

今まで持っていなかったのは、手入れが面倒くさそうだからだ。面倒くさがり屋を名乗っている以上、面倒くさそうなものに手は出せない。

もう一つ、今まではドリップ式のコーヒーやスティックコーヒーをいれるためのお湯を沸かす間に洗い物をするという自分ルールがあって、そのおかげで、洗い物がたまらないようになっていた。

もし、コーヒーメーカーを買ってしまったらお湯を沸かす機会が減ってしまい、洗い物ができなくなってしまう。

以上が、コーヒーメーカーを持っていなかった理由であるが、最近寒くて、布団から出るのが面倒くさく、朝起きてから、すぐ布団の中でコーヒーが飲めたらいいなあという、面倒くさがり屋特有の理由で、布団のそばにコーヒーメーカーをおいておくことに決めた。

買ってみてわかったのだが、手入れは全く面倒くさくなかった。フィルターをそのままゴミ箱に捨てるだけでほとんど汚れることはない。ポットをすすぐくらいで大丈夫だ。うまくできているものだ。

美味しい淹れ方の研究や豆探しなど、コーヒーの楽しみが増えた。

あとは、もう一つの、洗い物がたまってしまう問題を解決すれば、コーヒーメーカーを買ってよかったことにできる。ここは僕の知恵が試される時だ。

Q7 AKBの推しメンは誰ですか?

A:おしめん? ってなんですか?

AKB48 のメンバー、最近ようやく大島優子さん、板野友美さん、篠田麻里子さんなら顔と名前が一致するようになりました。それ以外は全くわかりません。卒業した前田敦子さんもわかります。さしこさんという人がいて、別のユニットに異動になったとかいうのも聞きましたが、顔はわかりません。

もし学校の教科で「AKB」というのがあったら、落ちこぼれになると思いますし、テストでAKBのメンバーの名前を書きなさいという問題が出たら、とりあえず一人くらい「山田」はいるんじゃないか、「佐藤」「田中」もいるんじゃないかということで、そのへんの名前を適当に書くしかできないでしょう。

この際なので、このまま知らずに生きていこうと思っています。たぶん、知らなくても、生きていけるでしょう。

そんな感じで、こうして、人生の黄昏を迎えると、若い人の文化に追いつけなくなってきます。

僕の世代で言うと、子供の頃は「青い山脈」とか「東京ラプソディ」なんかが流行っていましたし、あとは美空ひばりですかね。もう少ししてからはダーク・ダックスとかタイガースですか、青年時代は吉田拓郎とか、かぐや姫、アリス、井上陽水、中島みゆき、さだまさし、そのあたりをよく聴いていました。あまり演歌には行かなかったけど、演歌の連中ももちろんうまいですよ。

それに比べて、最近の若い人の歌は、ジャカジャカジャンジャカ鳴らして、どれも同じに聞こえますし。横文字ばかりで何が言いたいのかよくわかりませんね。苦労して聞き取っても「あなたが好き」だの、「会いたい」だの、大したことは言ってないですしね。そんなのばっかり聴いてて、思いやりとか、そういう心がちゃんと育つのかなって心配になりますよ。

まったく最近の若いものはなんて、ジジ臭いことのひとつも言いたくなりますよ。まあ、老人の戯言だとおもって、聞き流してください。

手首が痛い。

なんか左の手首が痛い。

変化球のキレに影響が出てしまいそうだ。シーズンオフで良かった。な~んて、僕は右投げだから大丈夫。

前にも、背中が痛いとか言っていた気がする。この際、体の不調を訴えるブログにしようかな。もちろん、背中の痛みはもうすっかり治っている。だから手首の痛みもすぐ治ると思う。

ブログの副題も「体の不調を訴えるブログです」とかに変えておこうかな。

そんなの誰が読むんだよと言われてしまいそうなので、少しおもしろくするために、必ず謎かけをひとつ入れなきゃいけないことにするの。

「左手首が痛い」とかけまして、「匠にリフォームを依頼した家」とときます。そのこころは「そのうちよくなるでしょう」。

このくらいのクオリティでいいんじゃないかな。


歩行者あるある3

A棟とB棟に分かれているマンションを通りかかると

心の中で、クロマニヨンズの『エイトビート』を歌うよね。

Q6 子どもの頃なりたかった職業は何ですか?

A:漫画家です。

子どもの頃は、漫画ばかり書いている、漫画少年でした。将来漫画家になりたいと思ったのも、自然な流れと言えるでしょう。

ですが、中学生になってからはスーパーファミコンや、プレイステーション等のゲームに追われ、忙しかったので、だんだん、漫画を描くことをしなくなりました。

それで、何となく、漫画家という道から外れていったという感じです。

あと、極端な面倒くさがり屋なのも、漫画家を目指さなくなった大きな理由かもしれません。

人物の顔を描くのは好きだけど、手足や服を描くのが面倒くさい、背景を描くのが面倒くさいと感じてしまうのです。そのまま漫画家を目指しても、顔は井上雄彦、体はやなせたかしといったアンバランスな絵になってしまうでしょう。とても向いているとは思えません。

仕事とはいえ、面倒くさがらずにやっている漫画家さんたちは偉いなあと思います。

まあ、人生何が起こるかわかりませんから、これから先、何かのはずみで漫画家になってしまうかもしれません。

そうしたら「進研ゼミを始めたら、成績が急上昇、部活でも大活躍、幼なじみの女の子との恋もうまくいきました。進研ゼミをやってよかった」みたいな夢のある話を描こうと思います。

Q5 今までで一番ラッキーだったと思う出来事は何ですか?

A:生まれてこれたことです。

それがなければ、いいこともわるいことも何も始まりませんでしたから。

僕が生まれなかった可能性の数は、数字で表せば、それこそ天文学的なものになるでしょう。

例えば、両親の間に、僕とは違う誰かが生まれて、僕が生まれてこれなかった可能性でさえ、ぞっとするくらいあったはずです。

でも、そんな途方もない数の可能性の中から、僕が今ここにいるという現実がある。

どんな可能性の低いことでも、起こってしまえば、それがただひとつの現実であるということが、不思議で仕方ないし、怖くてたまりません。

そして、これから先、どんな現実が待っているのか、全くわかりません。わかることは、これからもとんでもない量の可能性があるのに、現実に起こることは一つだけで、起こってしまえば、もうあとに戻ることは出来ないということ。その現実を受け入れることしかできないということです。

何があってもおかしくなかった過去を通り越して、今この現実がある。

僕が今ここにいることを含め、あたりまえのことなんて何もないんだなあと思います。

だからといって、産んでくれた親に感謝などと言うつもりはありません。

親は僕を産もうとしたわけではありません。生まれてきたのが僕だったのです。

言葉は悪いけど、親にとっては、僕である必要はなかったわけです。だから親に感謝するのは、育ててくれたことの方です。

僕が生まれたのは本当に偶然です。だからこそラッキーだと思うのです。

僕が生まれる必然性は全くなかった。だけど僕は生まれた。だからありがたいのです。

僕はたぶん世界に必要ない。いなくてもいい。

でも、いなくてもいいからこそ、いてもいいのだと思える。

何にも縛られずに、思う存分生きればいいと思える。楽な気持ちでいられる。


人は、生まれてきた意味を探します。

しかし、探すほど、そんなものはないということに、気づき始めます。自分だけでなく、世界そのものにさえ、意味などないのだと、気づき始める。実存は本質に先立つというのはどうやら本当なのだと。

そこには宿命も、義務もなく、ただ果てしない自由だけがあります。

自由ということは、多くの可能性から、あらゆることを自分自身で選択して行かなければなりません。そして、その選択がただひとつの現実を作っていきます。

どんな結果になっても、誰のせいにもできない。責任は自分にある。

でも、すべての意味が、あらかじめ定められた世界に生きるより、きっと、そのほうがいい。

なんでもない自分が、なんでもない世界を、自由に生きることができる。

もともと意味のない世界を、自分で意味を作りながら、生きていく。

言い換えれば、自分が主人公になって、自分の物語を作りながら生きていく。

それは、生まれてこられたものだけの特権なのでしょう。

そういったわけで、生まれてこられたことが、一番ラッキーだったことです。

二番目は、子供のころ、ドラクエのカードゲームをゲームショップで見かけ、値段が書いていなかったので店員さんに聞いたところ、「う~ん、わからないから100円でいいよ」と100円で売ってもらえたことです。


パソコン用のメガネを購入

長い時間パソコンに座って、作業をしていると、目が痛くなるという法則を発見した。

そんな時、ちょうどブルーライトをカットしてくれるという、パソコン用のメガネがあることを知った。

前からブルーライトが邪魔で、どこかにどかしたいと思っていた。「ブルーライト・ヨコハマ」の「ヨコハマ」の部分だけが欲しいと思っていたし、目が痛くなるのは、ブルーライトの影響だというし。

今までは、手で目の前のブルーライトを払いのけていたが、それも面倒くさくなってきた。メガネがブルーライトをカットしてくれるならありがたい。

どんなのがあるのか、手でブルーライトを払いながら、パソコンで調べていると、ネットでも注文できることを知り、試着は出来ないが、思い切ってネットで購入。

レンズの度数などは、以前に購入したメガネの保証書に書いてあるので、それを打ち込んで注文する。

ブルーライトカットの分、料金を上乗せする必要があったが、1万円程度で買えた。

かけ心地がいいし、飛んでくるブルーライトも少し減ったような気がする。クリアレンズにしたので、パソコンの時だけでなく普段も使える。

昨日一日そのメガネで過ごしてみたが、誰からも「メガネ変えた?」などと聞かれることはなかった。まあ、別に寂しくなんかないさ。

基本的には、部屋用のメガネにする。


Q3 もし一億円あったら何に使いますか?

A:女性問題でゆすられたときの口止め料にします。

特にそういう問題がない場合は、100万円あったら何に使うかの答えを100通り考えて、全て実行します。

「貯金する」「ばらまく」「寄付する」「家具・家電を全部買い換える」「旅行に行く」・・・・・・。う~ん。大して思いつかないや。一億円なんていらないってことなんだろうね。

まあ、何を考えようと、1億円なんてないんですけどね。

武術の達人みたいな人

少し前に、武術の達人みたいな人になりたいと書いた。

武術の達人みたいな人。まあ、無理だろうとは思っているが、あこがれてしまう。

武術の達人みたいな人は、たとえば、正面の方から、自分に向かって手裏剣が飛んできたとき、「うわ~」と驚いて、大きくのけぞったり、頭を抱え込んで座り込んだりしない。少しだけ上半身を動かしたり、首を傾げるような小さな動きで、スっと、手裏剣をかわしてしまうのである。

そして、すかさず、懐から短刀的なものを取り出して、手裏剣の飛んできた方向に投げると、「うっ」という声と、ドサッという音が聞こえてくる。

そのあとは、手裏剣のかすった耳から血をドクドク流しながらも、何事もなかったように、お茶を飲んだりしている。

そういう動じない感じの人だ。

精神を鍛えて、それに近づけるように頑張りたい。

あとヒゲが白くないといけないのだけど、ちゃんと年をとったら、白いヒゲが生えてくれるかどうか。そこが勝負の分かれ目だな。


「やなこと保険」のすすめ

たくさんの人からお金を集めておいて、病気や事故があった時、そのお金を補償に当てよう、もし病気や事故やなければ、お金を払うだけになってしまうかもしれないけど、無事で健康なんだからいいじゃん、というのが保険の考え方である。

この考え方を応用して、個人的に「やなこと保険」というのをやってみてはいかがだろう。

用意するものは「やなこと保険」用の財布か、貯金箱。貯金箱なら、簡単に取り出せるタイプのほうがいい。

一日の仕事を終えて帰宅した時、もしくは寝る前に「今日も無事に終わったなあ」と思ったら、普段使っている財布を開けて、一番大きな額の硬貨(500円がなければ100円、100円がなければ50円といった具合)を一枚、「やなこと保険」用財布か貯金箱に入れる。これは、無事に一日を過ごした自分から、明日やなことがあるかもしれない自分へかける保険である。

こうして、平和な日々を過ごしていくと、500円玉や100円玉が貯まってきて、結構な額になってくる。

そんなある日、仕事で大きなミスをしてしまい、とてもつらい思いをした。

さあ、「やなこと保険」が下りるときである。「やなこと保険」に貯まっているお金を取り出して、パーっと使ってしまうのである。パーっとといっても、千円前後から、数千円分くらいかもしれないが。

欲しかったものを買うとか、寿司の出前をとるとか、ファミレスで美味しい物を食べるとか、コンビニでデザートをたくさん買うとか。その辺は予算と相談して決めればいい(そんなの毎日やってるよというもともと贅沢な人は、もう知らない。一日に貯める額を増やすとかして、レベルを上げてみればいいんじゃない?)。とにかく、予算内で贅の限りをつくすのだ。

もちろん、全額使わなくてもよい。使う金額は自分で決めていい。心の傷の深さは自分が一番わかっているはずだ。「この程度の傷なら500円で十分。残りはとっておこう」とか。

ただ、やなことがあったのなら、少額でいいから必ず使うようにしてほしい。我慢することを習慣にしてしまうと、本当に使うべき時も我慢してしまう。貯めるために貯めているのではなく、使うために貯めているお金だということを理解しておいてほしい。

まあ、毎日やなことしかないという人もいるだろうし、そのへんの基準は各自にお任せする。

「やなこと保険」のメリットは、何かあった時、心の傷を癒すだけではない。その前の段階から、保険ならではの安心が得られる。不安が軽減できる。「今日、大事な営業があるけど、失敗したら、どうしよう」の「どうしよう」の部分が「『やなこと保険』を使って焼肉を食べに行こう」などに変われば、失敗も少しは怖くなくなる。むしろ、わざと失敗してやろうと思えるくらい強気になるというものだ。

他にもメリットはある。自分の財布をチェックする習慣ができることだ。毎日、お金を貯金箱などに移すとき、ついでに自分の財布と残金が確認できる。普段、そのへんに放り投げてたり、上着のポケットに入れたままにしている人は、もしなくなっていても気づきにくものだ。それに、残金がどのくらいあるかも理解していないと、つい使いすぎてしまったりするものだ。「やなこと保険」で、自分の財布やお金をきちんと管理する習慣が、自然とついてくるというわけだ。

さあ、これで、泥棒が入って「やなこと保険」のお金を全部持っていかれてしまうという「やなこと」以外なら、「やなこと」があっても、ある程度は大丈夫だ!

Q2 行ってみたい国はありますか?

A:今のところありません。

日本から出たくありません。

家からも出たくありませんし

布団からも出たくありません。

Q1 これは無駄な買い物だったなあと思うものは何ですか?

というわけで、質問コーナー第1回。こんな感じで適当に質問を考えて答えます。

A:大学に入ったころ買った「ガチャろく」というプレステ2のゲームソフトです。

すごろく式のパーティーゲームで、たくさんのミニゲームが入ってるやつ。4千円台で買いました。

大学で友達がたくさん出来るだろうから、友達が遊びに来たとき、みんなでやって盛り上がろうと思っていたのですが、結局友達が出来なかったので、やる機会がありませんでした。

一人で一回だけやって、むなしい気分を味わったあと、ブックオフかどっかに売りました。

あ、おめでとうございます

年が明けた。

毎年のことだが、正月らしいことは何もしていない。

不景気だから仕方ないが、昔と違って親にあっても、親戚に挨拶に行っても、だれもお年玉をくれない。どころか、むしろお前が出せと言われる。世知辛い世の中になったものである。なので実家には帰らず一人で過ごしている。帰省、Uターンラッシュの電車に乗るのも嫌だし。

今年は、執筆活動を頑張る一年。今までの人生で一番たくさん文章を書く年にする。小説とか、エッセイとか、色々書いてみたい。

このブログもなるべくたくさん書くことにする。

たくさん書こうと言っても、多分書くことに迷うだろうと思い、ブログ内企画として、「自分に100の質問」のコーナーを作ることにした。「あれについてどう思う?」みたいな質問を、勝手に作って勝手に答える。なるべく、個人的なものを避けて、誰かの参考になるような質問にしたい。自分の心の中だけで展開する知恵袋サイトみたいな要領でやっていければと思う。

もちろん普通の日記や雑文も書く。糸井さんがほぼ日トップページに毎日書いてるみたいに書けたら理想的だ。

たくさん文章を書くというのは、今までも、やりたかったことだが、なかなか出来なかった。理由として、それ以外のことをやりすぎているからという事が挙げられるのではないかと思う。そういう意味では今年は、他の活動を控えて、ストイックに執筆ばかりしている1年にしてみたいと思っていいる。

そして、嫌になるくらい書きためて、これだけの文章を書いてきた自分ってすごいな的な誇りを抱いて2014年を迎える。そして、2014年春頃から、環境を変えて何か新しい活動を始めてみようかなという計画を思い描いている。

今年は地味にしかし、確実かつ飛躍的に実力アップを目指す一年にしたい。

「一年の計は元旦にあり」ということで、今日はそういうことを色々考えて過ごしている。

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