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余るとわかっている調味料は、買ってはいけない

部屋の片付け祭りはまだ続いている。

冷蔵庫内をどうにかしなければ。

開けると横のポケットにいにしえのポッカレモンが入っている。

いつのだかわからないけど、いつまでも置いてある。

何かの料理に必要で買ったものの、数回使ってもう使わなくなったのだろう。

そうなることはわかりそうなものなのに、なぜ買ってしまうのか。

レモン汁、豆板醤、ナンプラー。このあたりは中級者~上級者でなければ、簡単に手を出してはいけないんだ。絶対に大部分を捨てることになるぞ。

一人暮らしに炊飯器はいらなかった

昨日、また、模様替えをしていた。

模様替えは頻繁にしている。その都度、チェックになったり、ペイズリーになったり、水玉になったりしている。

今回は炊飯器を撤去した。一人暮らしの狭い部屋なので、とにかく少しでも物を減らしたい。

炊飯器をなくすと、その棚に食品を置ける。米の袋を置かなくて済むから、その分のスペースも使える。

よく考えると、一人暮らしに炊飯器はいらなかった。

基本、外食やお弁当を利用すればいい。

ご飯が欲しいなら、炊飯器を使わず、サトウのごはんに代表されるような、レンジで2分か、お湯で12分のご飯を常備すればいい。

さらにガスコンロも捨てようかなと検討。

最近は「焼く」とか「揚げる」みたいな調理も電子レンジでできる時代。そういう電子レンジを購入すれば、ガスコンロがなくてもいいんじゃないか?

というより、コンビニでもおかずが買えるので、調理自体しなくていいのかもしれない。

ただ、冬どきの一人鍋ができなくなるから、まだガスコンロはいる。

とりあえず、炊飯器がなくなっただけでも、だいぶスッキリ。

かなり有意義な模様替えになった。

いいことが2つあった

いいことが2つあった。

まず、カネが絡む方から。

先日、家にあったCD全部と、ニンテンドーDSの本体とソフト全てを、買い取り業者に送りつけて、売りに出した。

僕としては捨てるつもりのものだけど、もったいないので、小銭にでも変えておこうと思ったのだ。

ところが、それが、思ったよりも高く売れた。

CDはクラシックがほとんど。全交響曲集のようなボックスものとかもあったけど、そこまで高額なものはない。新品でも一枚千円くらいで買えるようなものが多い。ゲームの本体は数千円にはなるかもしれないが、あとは値段が付くかどうかも怪しいなと思っていた。まあ、引き取ってもらえれば、それで十分だと。

それが、結果を見ると、小銭どころではない金額になっていた。

査定の詳細はわからないので、何がそんなに高く売れたのか、まったく見当がつかない。

レイトン教授のソフトをノーミスでクリアしており、7000ピカラット(点数)を獲得しているデータを残したまま売ったから、一万円くらい上乗せしてくれたのかな? よく頑張ったね、みたいな意味で。

もう一つのよかったことは、粗大ゴミがたくさんあったので、不要品回収の業者を呼んで引き取ってもらったのだが、来た人が、意外といい人だったことだ。

不要品の回収の業者の人に、いい人なんていないと思っていたので、軽い怪我くらいは覚悟していた。

まあ、そう何度も呼ぶ訳じゃないし、一回だけの辛抱だと言い聞かせていたが、実際は拍子抜けするくらいいい人だった。

どちらにも共通して言えるのは、期待していなかったから、意外な結果にうれしさを感じたということだろう。

いいことがたくさんあるようにするには、期待しないのが一番だなと、改めて学んだ。

シェリー俺は焦りすぎたのか

もういつの間にか6月になっていた。カレンダーがまだ5月のままだったことに今日気づいた。

さて、ここのところ、毎日3~4袋はゴミを捨てている。

「え? そんなにティッシュ使うの?」と思うかもしれないが、ティッシュだけ捨ててるわけじゃない。

捨てているのは、生活雑貨とか、家電とか、昨日までゴミじゃなかったものが中心だ。

引越しでもするのかという勢いである。しかし実際は、引越しのために貯めていた貯金も削って部屋を片づけているのだ。

だいぶ進んだが、家の片づけはまだ終らない。

すぐ終わるだろうと思っていたが、実際やってみると、どんどん捨てるものは出てくる。

いろいろ捨てた。

すべてのCD、45リットル袋2袋分の服、ニンテンドーDS本体とソフト全部、食器や調理道具、包丁、ビデオデッキ、掃除機、プレステ2、ノートパソコン3台、布団乾燥機、プリンター、CD・MDコンポ、こたつ、スケート靴。

勢いで捨てているようなところもあり、あとで「あれがない、これがない」と大変なことになってもおかしくはない。

それでも、まだ捨て切れていない気がする。まだまだ無駄なものだらけに見える。

たぶん、もっと厳しい基準で捨てても大丈夫だ。自信がある。ちゃんとコンセプトがあるからだ。

僕の住んでいる部屋のコンセプトは「仕事場」とか「事務所」とか「アトリエ」である。つまり、仕事のできる部屋だ。

僕の認識として、ここにいることは、「部屋を借りて住んでいる」ではなく、あくまで「仕事場に泊まりこみで働いている」である。

そのはずだった。ところが、いつの間にか、仕事場であるにもかかわらず、生活の匂いのするものに囲まれて暮らしていた。

だから、この機に、なんとしても、この部屋を仕事場に作り変えると決めた。

「生活してます」的な匂いが消えるまで、物を捨てていくつもりだ。

なので、もう少し、捨てる作業が続く。

勝負をかけている?

今度はドライヤーを買い換えた。マイナスイオンがジョボジョボ出るやつにした。音も静かだ。

パソコン、椅子、枕、鍋、ドライヤーと色々買い換えてた。

最近景気がいいなあと思っている人がもしいるとしたら、それはアベノミクスとかではない。

僕がたくさんお金を使っているからだ。

お金を使っているという言い方は違うな。正しく伝わってしまう。「勝負をかけている」と言ったほうがかっこ良く思ってもらえるだろう。

最近勝負をかけて、部屋をどんどん片付けている。そのおかげで、物も貯金もどんどん減っている。

物もお金も必要最低限にして、貯金もゼロにして、そこから再出発するのが僕の計画だ。ゼロから再出発して、どこまでいけるか。

それをちょっとやってみようかなと。

だが、この辺にしておかないと、そろそろ住民税が払えなくなりそうだ。

住民税を払わないと、立派な風体の大人に怒られそうだから怖いね。

古い携帯電話を捨てる

色々物を捨てているが、捨てるかどうするか決めるとき、やはり思い出の品が少し難しいところだ。

ただ、僕の場合、今までの人生で特にいい思い出がないので、基本的に全部捨てればいいから簡単である。残しておいて、後で見直しても、いい気分になるものなど、何もないのだから。

いい思い出がないと、その分、こういう時に楽できる。

これまで一応思い出の品のようなものはとっておいたけど、そう思って改めて見直すと、思い出したくない思い出ばかりだ。

教育実習の記録、大学のゼミの名簿。見ていると、自分の未熟さ、価値のなさばかりが思い出される。何であんな未熟な自分を平気で人前にさらしていたのだろう、もっと完全に引きこもればよかったとさえ思う。そのくらい恥ずかしい気分になる。

もちろん捨てる。

昔使ってた携帯電話も全部、捨てずにとってあった。

でも、それもさすがに処分しなければ。

一旦充電して中を確認。

アドレス帳を眺めながら、間違って発信ボタンを押さないように緊張していることに気づく。

仮に押してしまっても繋がるはずないのに。

この古い携帯電話にしか残ってないアドレスのデータもあるけど、全部消すことにした。

連絡する気なんてないもんな。そんな勇気もないし。

中にはすごくお世話になった人とか、サークルやバイトで共に過ごした人とか、かわいいなと思っていた女の子とかもいる。

その中の誰一人として、未だに連絡を取っている人はいない。

一人一人にいろいろな感情を抱いていた。すごく好きだったり、特に印象に残ってなかったり、苦手だったり。

でもそんなことは、向こうには何もわからないまま、こうして、全員平等に、誰とも連絡をとっていない。

なんだろう。この感じ。

例えば、嫌だから距離を置きたい人にも、好きだから緊張して近づけない人にも、結果的にとる態度が同じになってしまって正しく気持ちが伝わらないみたいなパラドックスの感じ、同時に、心の声は誰が聞くこともない、それもいい、その方がいいというミスチル的な感じもある。

まあ、よくわからないからいいや。

過去のメールもチラ見するが、恥ずかしい気分になるばかり。

もういいや、全部捨てよう。さよならと本体をリセット。

そうして過去に別れと告げ、携帯ショップに行って古い携帯電話4台(最初「4代」と間違って変換されたが、それも間違いじゃなかったりする)引き取ってもらった。

使ってない携帯電話は携帯ショップに持って行ってリサイクルするといいとネットで調べたら、書いてあったからそうした。

着々と片付けを進めているが、まだまだやることがたくさん。スプレー缶とか捨てるのめんどくさそうだぞ。ヘアムースの缶とか。

物を捨てている

部屋を片付けるために、ひたすら物を捨てている。

捨てるかどうか迷いながらも、なるべく捨てるようにしている。

そうしていると、使わないだろうなと思いながらも、いつか何かの話の種になりそうで、なんとなくとっておいてある物も出てくる。

例えば、リコーダー。

小学校時代使っていたやつで、大学の授業で使うことになったから、実家から持ってきたやつだ。

捨てても別に問題はないように思う。ここ数年、リコーダーを吹かないといけないような状況になったこともない。

「リコーダーで『チューリップ』を吹かないとここを通すわけにはいかん!」
「くそ、ここを通らないと遠回りになって、パルムが溶けてしまう」

みたいなことに出くわさない以上、別に持っていても何にもならない。

ただ、本当に捨てていいかと思うと、惜しい気がする。リコーダーをとっておくことで、楽しい時間が過ごせることもあるかもしれない。

例えば、奇跡的に僕に彼女ができて、うちに遊びに来たとする。

当然、彼女はいろいろ物色することになる。

そうしたら、リコーダーを発見するわけだ。そこでリコーダーの思い出話とかで盛り上がったりしそうな気がする。

「あ、縦笛とかなつかしいよね」
「そうそう、チャルメラとか吹いたりね、カエルの歌を順番に吹いたりね」
「そうそう、あったあった」

こういう楽しい時間が過ごせるというだけでもとっておく価値はあるというものだ。

「あと放課後こっそり女子の笛舐めたりね」
「え? 女子の笛舐めてたの?」
「いや、舐めてない。ちゃんと我慢してた」
「じゃあ、舐めたかったの?」
「いや、ちがうちがう」
「え? そういう人だったの?」

ああ、ダメだ。これは捨てよう。話の流れが悪い方にしか行かない。リコーダーは捨てたほうがいい。とっといてもろくなことない。

と、そんな感じで迷いながらも、なるべく捨てるようにしている。

5万円もらった

部屋を片づけている。

最大の問題は粗大ごみだ。物を捨てるにもお金がかかる。捨てるのに下手すれば買う以上のお金がかかるという恐ろしい時代である。

パソコンなどを買って、貯金はだいぶ減っている。しかし、粗大ごみを捨てない限り片づかない。どうしたものか。

そんな時、突然、5万円もらった。

一体どんなおじさんと援助交際したのかと疑問に思っていることだろうが、違う。援助交際はしていない。

実家の親からの仕送りである。持つべきものは親である。

詳細は省くが、白内障の手術で入院したら、かなり保険が下りたということだ。だから、分けてあげるよということだ。

パソコンを買うとき、お金はどうにかなると思って買ったが、ほんとうにどうにかなった。

これはもう、僕の片づけ祭りを後押ししてくれているとしか思えない。

せっかくなので、片づけの軍資金として大切に使わせてもらおおう。

買い換えなきゃいけないくらいボロいものは、この機に買い換えることにする。

早速、10年くらい使った鍋とフライパンをティファールの取っ手の取れるやつに買い換えた。

10年以上使った枕も、新しいのに買い換えた。

雑に積んである本を整理するための段ボール箱も買った。

そんなわけで、ここ最近やたら金遣いが荒く、羽振りがよくなっている。

来週くらいには、粗大ごみをどうにかしようと思っている。

片づけの魔法

相変わらず、本をよく買って読んでいる。

4月頃から、中古でなんとなく買った『人生がときめく片づけの魔法』という本を少しずつ読んでいた。著者は近藤麻理恵さんという人で、子供の頃から片づけのことばかり考えていたという、片づけるために生まれてきたような人である。

その主張を簡単にまとめると、片づけは一生に一度だけやればよい。一生に一度のお祭りである。少しずつではなく、一気にやる。とにかく、完璧な状態を作る。一度やってしまえば、二度と散らかることはない。

で、その手順。

・まずは「捨てる」を終わらせる。自分の持ち物を洗いざらいチェックして、残すか捨てるか決める。基準はときめくかどうか。つまり、お気に入りだけを残して全て捨てる。
・残った物の置き場所を決める。
・物を使ったら、その場所に戻す。

これだけでもう散らかることはない。一生綺麗な部屋で暮らせる。


なるほど。よくわかる。「そんなの言われなくっても知ってるよ」と言いたくなるほど、感覚的にはよくわかる。何年も前から、ずっと、一度、部屋を完璧な状態にしたいと思っていた。

でも、今までそれをやってこなかったのも事実である。仕事がある。生活がある。その中で、そんな家中ひっくり返すような大仕事、なかなかできるものではない。

一体いつ始めればいいというのか。この本との出会いをきっかけに? そうは言っても・・・・・・。

そんな砌、iPadを買い、パソコンを買い、デスクチェアを買った。

環境は大きく変わった。

大きな買い物をしてテンションも上がったし、得体のしれない勢いがある。

古いパソコンや椅子は処分しなければならなくなった。

ふと思った。

これは今やるしかないんじゃないかな。

今までやって来なかったのだから、いつかと言っていても、この先、やる保証はない。

今もやりたいことはたくさんあるが、将来もっと忙しくなるかもしれない。

一度やれば、二度と片付けに時間をとられることはないわけだから、やるなら、早ければ早いほどいいのは明らかだ。今のうちに片付けに優先的に時間を投資しておいたほうが、のちのち時間に追われずにすむようになるはずだ。

一応、去年僕は、物を1000個捨てる企画を実施していて、物はだいぶ減らしていた。そのため、それほど、気の遠くなるような作業でもない。

そんなわけで、5月上旬頃から、急遽、片付け祭りを始めた。

現在も、本を読みながら、なるべくその手順に従って作業を進めている。

この本の最後は「本当の人生は片付けたあとに始まる」と締めくくられている。

確かに、本当の人生が始まってないような気はずっとしていた。そこまで大げさじゃなくても、片付けて、うしろの憂いを絶てば、前だけを向いて、なにか新しいスタートが切れそうな気はしている。

思い出

今年から、物を減らずために、毎日10個ずつ何か捨てていくことにしている。

それを100日続けようとしているが、2月も半ばを過ぎ、ようやく半分まで来た。

ここまで来ると、明らかに要らないものはほとんどなく、だいぶ、苦しくなってきた。捨てるべきか迷うものも多くなってくる。やはり、迷うのは、使う使わないではなく、思い出のあるものだ。

それが、ビデオテープ。学生時代に出演した、演奏会を撮影したものがある。記念に持ってはいるが、一度くらいしか見ていないし、これからも見ないだろう。そもそも、その頃の演奏の仕方はかなり不格好で、もう見たくない。

でも、遠い将来、見たくなる日も来るかもしれない。年をとって、人生を振り返りたくなる時もくるかもしれないし。VHSという媒体自体古いので、テープはどのみち捨てるとして、捨てる前に一応DVDに残しておくべきだろうか。

DVDにダビングしてもらうサービスもあるが、結構高い。自分でやるのも大変そうだし、よくわからない。

そこまでして、思い出を形として残す必要はあるのだろうか。

思い出を残すことは、それほど大切なのだろうか。

昨日、写真の話なんかしたけど、なんでそんな話になったと言えば、このことに直面したからだ。

人にとって、思い出とはなんなのだろう。お金をいくら貯めても、それを持って天国には行けないというが、思い出もまた同じではないだろうか。確かに写真を見ることで、その時の気持ちを思い出したりするだろうが、それが一体何になるのだろう。

写真やビデオが残っていなくても、僕本人はいる。

過去の記録を見て「この時はよかった」などと言っても、もうその時の僕はいない。

思い出は、過去から自分の足を引っ張る足かせに過ぎないのではないかとも思えてくる。

きっぱり捨ててしまうのもありかもな。

でもなあ、一応もう少しとっておこうかな。

捨てる捨てる

今年に入ってから、100日連続プロジェクト、「物を捨てる」を実施している。

昨今は「断捨離」などという言葉が出来たようだが、そんな言葉が流行るずっと前から、物が少ない方が快適に暮らせることくらいわかっていた。で、物を減らしたいとはずっと思ってきたけど、「今度引っ越すとき、まとめてやればいいや」と先送りにしていた。

でも、「まとめてやるのは大変だよ。今からでも、ちょっとずつやった方がいい」と、知らないおばあさんが夢枕に現れては、しきりに言うので、考えを改め、1月1日から4月9日まで100日間、毎日10個ずつ要らないものを捨てていくことに決めた。

毎日10個なので、最終的には1000個捨てることになる。今は要らないものがいっぱいあるので、ガンガン捨てられるが、最後の方は、もう捨てるものがなくて、泣く泣く手放す物も出てくるのだろうと思う。「桃鉄」で、借金返済のために、物件をどんどん売っていくような気分になるだろう。

辛そうにも思えるが、そうなるのがむしろ楽しみなのだ。そうなったときに、何を残し、何を捨てるか、その葛藤。そこから生まれるドラマ。考えるとわくわくする。

だから、4月9日までは絶対続ける。ルールは変えない。
1000個、捨て終わったときには、きっと新しい世界が開けていることだろう。

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