現金のない世の中

スウェーデンでは電子マネーが一般的で、もはや現金がなくなりつつあるという。伊集院さんがそんな話をラジオでしていた。

現金がなくなる時代。日本も遠からずそういう時代が来るのかなあという気もする。

実際、僕にしてもクレジットカードで支払っていることが多く、現金はそれほど使わない。

現時点では、電子マネーはたくさんの種類があって、使えるところも限られているから、現金は必要だけど、そのうち国が統一の電子マネーを作り、マイナンバーと関連付けて、個人のお金のデータを管理するようになるかもしれない。現金はなくなって、全てが電子化される。

そうなったらどうなるか。

たとえば、お金のやりとりが簡単になるから、「給料日」という概念がなくなるんじゃないか。一日分の給料はその日のうちに支払われる。

もしくは、出来高ですぐ支払われる仕組みもできそうだ。Amazonあたりがやりそうだけど、「荷物を届けたら1件当たり200円」みたいな感じで、近所の人が近くのコンビニに集まった荷物を宅配をして、仕事が完了した段階で、すぐに200円増えるみたいな……。

お小遣いサイトみたいなやつで広告をみたら3円増えますとか、そういうのもどんどん出てくる。

収入も、支出も全部、国が把握するから、確定申告とかもする必要がなくなったりして……。

でも、国に把握されたくないお金を必要とする人もいるから、そういう人の間で結局現金に代わる何かがやりとりされるんだろうな……。

お金って何なんだろうね。


PS:もうすでに電子化の進んだエストニアでは、税金は自動になっていて、税理士や会計士という職業は必要なくなったらしい。

 参考文献:世界で加速する「キャッシュレス革命」
http://president.jp/articles/-/22449


タイピングに関する雑談

いま、ATOKの入力環境を整える作業をしている。

よく使う単語や記号をすぐ出てくるように登録している。

例えばいつもGoogle Keepのことばかり考えているので、「gk」と打って変換すると「Google Keep」が出るようにした。「wf」なら「WorkFlowy」だ。

僕のタイピングもずいぶんと速くなってきた。手元を見ながらゆっくりやらないと行けないのは、Wi-Fiのパスワードを打ち込むときくらいだ。

タイピングといえば、タイピングの練習ソフトがよくある。でも僕はその手のタイピングソフトを使ったことがない。

確かに練習が必要っぽい、打ちにくい言葉とかある。ミスりがちな「p」が頻繁に出てくるやつ(カッパピアなど)とか、「トゥ」「デュ」とか「どうやって出すんだっけ?」となりがちな言葉もある。

ただ、そういうときに、入力がもたついても、たかだか数秒から数十秒。タイピングソフトで練習すると、そのもたつきがなくなるかもしれないけど、人生全てのもたつきを集めても、タイピングをソフトを使って練習する時間の方が長くなる可能性が高い。

タイピングは夢芝居と同じで、いつでも初舞台。本番の中で覚えていくのが僕のスタイルである。

ツイッターに書こうと思ったけど、文字数が足りないのでこっちに書く。

自分の住所をパソコンとかのフォームで打つときに、例えばマンション名が「ジョジョニヨワールⅡ」で、部屋が105号室だったら、「ジョジョニヨワール2105」って書く人すごく多いよね。

わかりにくい。せめて2のあとスペース入れるとか、そういう気遣いをしようとなぜ思わないのかな……。僕だったら、絶対そのあたりわかりやすく表記するのに。

メモ

すごい表現者の表現って、「自分はこれじゃなきゃ生きていけないんだ」というすごみがあるよね。

僕なんかは、そういう意味ではちょっと器用すぎるのかもしれない。

「これじゃなきゃ生きていけない」なんてものもないくせに、「何をやらせてもすごい」まではいかない。結局何もできないのと同じ結果。

こんなイメージがわいてくる。



いついつまでに、行きたいところがある。駅に行って、電車かバスかどっちかに乗れれば、間に合うぞ! 

今の時間なら、どっちかに乗れるだろう。

電車に間に合いそう!

と思ったら、ギリギリ間に合わなくて、乗り遅れる。

でもまだバスなら間に合う!

と思ったら、やっぱりギリギリで乗り遅れる。

ああ、はじめからバスに乗ると決めていたら、あるいは、「電車に絶対に乗る」という意思がもっと固かったら……。

「まあ、ゆっくり歩いて行けばいいじゃない。それだって、きっと楽しいよ。時間が遅くなったって、行きたい場所に着かないわけじゃないんだから」

負け惜しみのようにも聞こえる言葉が、しっくり、腑に落ちる形で居座っている。

こんな考えだと、行きたい場所にもギリギリで着かないんじゃないか。



怖いことに、そんな人生が、自分にあまりに似合いすぎているような気がしてしまう。

映画『スパルタカス』

『スパルタカス』という映画がある。

ローマ帝国にスパルタカス率いる奴隷たちが反乱を起こす映画。

史実に基づいているから、多少のネタバレは大丈夫かな?(一応区切りを入れておくので、ネタバレがイヤな人は続きを読まないようにしてください)


寄付したい

僕はあまり金銭欲がなく、自分で使う分より多く稼いだら、それは全部寄付したいと考えている。

現状、それほど稼いでいないので、寄付できる余裕はないけど、それでも、たまにパチンコ屋などに寄付しに行くこともある。

もし、すごく稼ぐようになったら、その時は税金を多く払ったり、寄付しようと決めている。

さっきネットで、「Gojo」なるサービスが始まるという話を目にした。

たくさんの人からお金を集めておいて、必要な人に届けるような仕組みなのだそうだ。保険にちょっと近いけど、保険より用途がもっと広い感じらしい。

詳しいことはわからないけど、それいいなと思った。寄付しがいがありそうだ。

万が一、僕がたくさん稼げるようになったら、そこにガンガンお金入れていきたい。

それで心から喜んでくれる人がいるなら、嬉しいじゃん。夢がある話だ。

タイトルは特にない。

寝過ぎた。布団から出られなかった。寝過ぎて逆に体に疲労感がある。

大学生時代は、毎日そうだった。一日12時間以上寝て、目が覚めても布団の中で、頭に浮かぶ考え事を追いかける。そうしているうちに、また眠り……。

……鬱だった。授業にも行かなかった。よく部活にも遅刻して怒られた。辛かった……。

でも、人から見ればただの怠け者にしか見えない。鬱の辛いところだ。

あの布団から出られない感じをまた味わって、そんな日々を思い出した。

やりたいことはたくさんあるので、「睡眠時間を削ってでも」と思わなくもないが、睡眠時間を削って、健康を損なったらイヤなので、削らない。

「3~4時間睡眠を自慢する人」、「10時間以上寝ても気にしていない人」、「10時間以上寝て自己嫌悪な人」と並んでいたとしたら、僕が一番好きなのは、真ん中の気にしてない人だ。

そのくらいおおらかな人となら、一緒にいても楽だろう。

昔と比べれば、大分楽な気持ちで生きられるようになってきているものの、現状僕は、まだ自己嫌悪を感じてしまう。

もう少しだ。感じなくなるまで、もう少し、心の訓練が必要だ。

たくさん寝てしまって、いやな気持ちになるのは、やはり他人と比べているからなのだろう。一日の活動や仕事の量で人に差をつけられてしまうとか、仕事が遅ければプロとしてやっていけないという恐怖や焦りがどこかにある。それを捨てるための心の訓練だ。

人との競争に参加せず、自分の満足感を優先して、歩みは遅くとも、確実に前に進む。

そうやって生きていくのだ。そして、これが自分の生き方だと、誰にも文句を言わせないくらい確信を込めて言えるようになろう。

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