布団脱出作戦(前編)

いかに布団から出るか。

「別に、普通に出ればいいじゃん」

と思うかもしれないが、朝起きるのが苦手な人にとっては、切実な問題である。

せっかく目が覚めても、布団の中で、いつまでもモゾモゾしているうちに、いつの間にか眠ってしまい、気づくと午後。

「あ~、学校行けなかった。はあ、もういいや、他の先生が何とかするだろう」となってしまう。


地獄には行ったことがないけど、おそらく『布団の外地獄』はあるだろう。

「針山地獄」「血の池地獄」など、数あるアトラクションの一つにそれはある。

寒い冬の日に、布団で寝させられて、温まって、気持ちよくなってウトウトしてきたところで、パーマ頭の中年のおばさんに急に布団をはぎ取られてしまう。

「早く起きなさい! ほら、掃除するんだから、邪魔邪魔!」

ぶぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん

と、周りに掃除機をかけられてしまう。それも海外製の静音にこだわりが全くないタイプの掃除機を。甲子園のサイレンみたいな音がするやつを。どうしたら、そんなに高い音が出せるようになるのか知りたくなるくらいのやつをである。

こちらは薄いパジャマしか着ていないから、寒さに耐えかねて、布団を求めて餓鬼のように地獄をさまようしかなくなってしまう。

布団から出るのはそのくらい苦痛である。

僕は考えていた。

どうにか、それほど苦痛を感じることなく、布団から出られないものか。

いつも、どうやって布団から出ているのか、意識していないという場合がほとんどだけど、目が覚めたら、意識的にやるだけで布団から出られる

「布団から出る技術」

を作れないものだろうか。


<後編に続く>


新生銀行のATM、いつの間にかセブン以外のコンビニでも使えるようになってた

新生銀行のATM。

いつの間にかファミリーマートやローソンのコンビニATMに対応していた。

前から、セブン銀行には対応していて、セブンイレブンで24時間手数料なしでお金を下ろすことが出来るので、すごく便利に使っていた。

知らぬ間に、他のコンビニに広がっていたとなると、ますます便利ではないか。手数料は当然無料だし。

それはありがたいけど、いったいいつから?

「お金下ろしたいけど、セブンじゃないとダメなんだよな」と、いままでの人生で何度も、ローソンやファミマの前を通り過ぎてきたんだけど。

ちょっと遠いけど、歩くか。なんて、歩いたりしているけど。

あの労力は無駄だったのだろうか。

調べてみたら、2013年10月28日から、ファミマとローソンのATMでも使えるようになっていたらしい。

うわー。約半年。

旅先で新生銀行のATMを求めて、セブンイレブンを探していたときも、実はローソンか、ファミマでも良かったんじゃん。

最寄りのセブンイレブンが、改装のために、しばらく閉まっていた時も、わざわざ別のセブンに行かなくても良かったんじゃん。

あのとき、無駄に使ったエネルギー。年末調整の時、返ってこないかな?

袋に入れてもよろしいですか?

100円ショップで、携帯用タッチペンを買うことにした。

それ一つをレジに持っていって、会計する。

108円である。

(消費税アップを一番実感出来る店だなあ)などと考えていると、レジのお姉さんに

「袋に入れてもよろしいですか?」

と、聞かれたので

「はい」

と反射的に答えてしまった。

小さいものを入れるための小さい袋が出てきた。

包装ビニールに包まれたタッチペンがちょうど入る大きさの、持ち手のついた小さなビニール袋である。

それを見ながら

(別に、袋いらなかったなあ)

と思った。

止めようかとも思ったが、「はい」と答えてしまった以上、「やっぱりいらない」というのも、コロコロ意見を変える迷惑な人みたいになってしまうし、止めるほどのことでもないので、そのまま袋に入れてもらった。

「袋に入れてもよろしいですか?」みたいな聞き方をするからだよ。

「袋にお入れしますか?」とか、「袋いる?」と聞かれれば、「いりません」と答えられたはずなのに。

そりゃ、されて嫌なことでもない限り、「いいですか?」って言われれば、「どうぞ」って気持ちになる。そんなに袋に入れたいんじゃ、その希望は叶えてやりたいもの。

などと、自分を正当化して納得してみたが、「~してもいいですか?」と許可を求められると、よく考えずに、反射的に「はい」と答えてしまう自分に気づいてしまったことは、ごまかせそうにない。

悔しい気持ちの楽しみ方

悔しい気持ちを味わいたいときは、

スーパーに買い物に行く前に、まず、買うものを全てメモし、そのメモを家にわざと置いていく。

そして、買い物を終えて帰ってきたら、そのメモを見るのである。

「ああああ、お茶買うの忘れたああ」

と、悔しい思いが出来る。

思う存分、その悔しさを楽しめばいい。


「でも、買い忘れなかったら、悔しくないじゃん?」

ご安心を。

これで、一つも買い忘れがなければ、

「ああ、なんて自分は優秀なんだろう」

と、悦に入ることが出来る。

10個前後ある買い物リストの一つも忘れずに買えるなんて、すごいことだ。

素直にその達成感を味わえばいい。

買い忘れても、忘れなくても、どちらにしても、楽しめる。やって損はない。


文明が発達して、多くの人が、スマホを持つようになった。

買い物メモなどが使えて、買い忘れがなくなる。

果たして、それはいいことなのだろうか。

ただただ、日常が何事もなく淡々と過ぎてゆくだけ。

悔しい思いもすることも出来ない。

たまには、買い忘れるくらいの悔しい思いをしてみたらどうだろうか。

苦いものがおいしいと感じるように、適度に悔しい気持ちも味わってみるのも、なかなかのものである。

「ネバーエンディングストーリー」と

「ネバーエンディングストーリー」と

「五万円です、一人」は似てる

一人五万は高すぎるだろう

ヨドバシ.comさんお世話になります

ネットショッピングは、大抵Amazonを利用してきた。道でアマゾンさんに会ったら、「いつもお世話になっています」と挨拶したいと思うほど、よく使っている。

何を買うにしても、まずAmazonから見る。

Amazonで、どんなのがあるか調べたりして、いいのがあったら、安いものならそのまま買うし、値段の高いものを買うときは、もっと安いところがあるかもしれないので、価格.comで調べてから、良さそうなところで買ったりする。

まあ、妥当だろう。ちょっとした日用品を買うのにも、いちいち一番安いところを探して、あちこち回るのでは、時間がいくらあっても足りなくなる。Amazonなら大抵のものが最安値クラスだから、「ここで買っときゃ間違いない」くらいの信頼感がある。

そんな、僕の中でAmazon独占市場だったネットショッピング界に、対抗馬が急浮上した。ヨドバシ.comである。

ヨドバシはカメラ屋さんだから、家電を買うときの候補の一つというイメージだったが、ちょっとのぞいてみると、本も含め、日用品も幅広く取り扱っている。しかも、ご存じのように、ポイントがつく。しかも、大抵10パーセントのポイントなので、かなり大きい(書籍は3パーセントのようだ)。

そして、Amazonと同様、送料無料。さらに、お届け日時の指定も無料で出来る(Amazonは有料)。

これなら、ポイントを考慮すれば、Amazonより安いという場合もかなり出てくると思う。

ということで、これからは、Amazon、ヨドバシ並立制で行こうと思う。ポイントを含めた値段、在庫の有無など、いろんな面を比べてみて、いい方で買う。まあ、いままで、無条件にAmazonだけだったのがおかしいのだ。

といっても、取り扱っている商品は、Amazonの方が圧倒的に多いので、これまで通り、まずAmazonで見て探して、いざ買う前に、ヨドバシだといくらなのかチェックしてどちらで買うか決めるという使い方になると思う。

また、TODO管理用のウェブサービスを探しまわる

ここ数日、いわゆるtodo管理のことを、また考えてしまった。

「また」というのは、これまで何度も、あれこれタスク管理サービスやアプリを試しては、膨大な時間をそこに費やしてきているということだ。

その間に、いろいろ出来ただろうにと思いながらも、やめられない。

「やっぱりこっちの方が使いやすいかなあ」「いやあ、やっぱりこれだろう」と、何度もふらふら乗り換えを繰り返してきた。

僕としては、管理に時間をとられたくないからこそ、より簡単でシンプルな方法を模索しているつもりなのだ。結果的に時間がかかってしまっているというだけで……。

アニメの『らきすた』のDVD第1巻に、夏休みの勉強の計画をばかり立てている女の子が出てくるけど、見た瞬間「あ~、俺と同じタイプだ!」と絶叫したのは言うまでもない。

その子も、綿密に立てておいた計画が崩れてしまい、計画を立て直しているうちに、また勉強に手が回らなくなってしまうのである。

それは、まるで自分を見ているようだった。

どうせ、勉強しないなら、初めから思い切り遊んでいるほうが、よほど有意義だったのにと思ってしまうのも人情で、僕は、夏休みどころか、人生全体がこの子のような感じなんじゃないかと、どんよりした気分になる。

でも、計画を立てるのが、楽しいという面も確かにあるので、それはそれで「趣味を楽しんだ」ととらえればいいだろう。

ちなみに、『らきすた』は試しに1巻を見ただけなので、その子の名前も、他の人物の名前も一切覚えていない。

で、今回は、iPadで使っていたチェックリストのアプリを、パソコン上で使えないのが不便だったので、パソコンとiPadで同期できるチェックリストを探し始めたのがきっかけだった。

僕は、毎日やることをチェックリストで管理している。「ニュースチェック」とか「テレビの録画」とか「メールチェック」とか「メモのチェック」とか、そういう類のことを忘れないようにするのが目的だ。

そこから始まって、「高機能なtodo管理サービスなら、チェックリストとしても使えるじゃないか、そうすれば、全てのやることを一カ所にまとめられて便利じゃないか」と、どんどんのめり込んでいった。

「toodlelo」を試そうとするも、英語ばっかりなので嫌になってやめた。

そのあと「Wunderlist」を試したらかなり良かったので、これで行こうと、頑張ってリストの整備を進めたのに、上手く同期できないトラブルがあったので、嫌になってやめた。

そんなとき、Googleタスク(GoogleTasks)について、ある発見をした。

階層つきのタスクリストを作り、親タスクのチェックをつけ外しするだけで、子タスクのチェックも一気に全て外すことが出来るので、チェックリストとして使えるのである。

「そうか、Googleタスクはチェックリストとしても使えたんだ! いままで気づかなかった」

これで、iPad、パソコン、スマートフォンどれでも同期して使えるチェックリストが出来たと、満足。

結局「Googleタスク」が一番かなあと思い、Wunderlistで一生懸命作ったリストをGoogleタスクに移す作業をする。

しかし、いざ、Googleタスクにたくさんリストを作っても、これをどう利用していいかわからない。

Googleタスクは、繰り返し設定も、スターをつけることも、タグをつけることも出来ない。せいぜい期限を設けられるだけだ。

どれを優先して、何から手をつければいいのか。ずらりと並んだ「やること」のリストを前に、途方に暮れてしまう。

結局、今まで使っていた「ライフベア」に戻ってきた。Wunderlistと、Googleタスクで一生懸命作ったリストを元に、ライフベアで改めて作り直した。

リストを見て、検討して、やると決めたらスターを付けて、いつやるか決めたらカレンダーの上にドラッグする。簡単にそういうやり方が出来るのが「ライフベア」の魅力だ。使い慣れているので、気分的にもしっくりくる。

ただし、一日のチェックリストだけはGoogleタスクでやることにした。


エレベーターの「ペット」ボタンって何だろう?

空き巣という職業柄、いろいろなマンションのエレベーターに乗る。(こういう冗談を真に受ける人がいそうなので怖い。本当の職業は忍者である)

エレベーターの中で、「ペット」と書いてあるボタンを目にしたことがある。

何だろう、このボタン。

ペットだったら押せばいいのだろうか。

僕はそこそこ大人のポメラニアンではあるものの、まだ誰にも飼われていないので、ボタンは押さなかった。

でも、もし押したら何が起こるというのか。見当がつかない。

例えば、ペットが急な上下運動に驚いてパニックになると困るから、エレベーターの運転がゆっくりになるとかそういうことだろうか。

それとも、ボタンを押すと、横の壁から、人の手がにゅっと出てきて、ペットボトルのお茶をほいっと渡されるサービスなのだろうか。(お茶を受け取ると手はすっと引っ込むので心配ない)

ネットで調べてみる。

どうやら、ペットを連れている人がそのボタンを押すことで、他の階でそのエレベーターを待っている人に、ペットが乗っていることを知らせることができるらしい。

「ペットが乗ってます」と、外に知らせるためのボタンということだ。

外の人は、それを見て、「動物が苦手だから」とか、「アレルギーが……」とか、「自分もペットを連れているから興奮させないように」とか、「ペットを連れてる奴って、『ペットを連れてる自分って素敵』みたいな空気出してきて、大抵いけ好かないから」などの理由で乗り合わせたくなかったら、そのエレベーターは呼ばずに回避したりすることができるのだという。

なるほど。そういうボタンなのか。

それを知ってまず思うのは、

「ペットによらない?」

子犬とかだったら、乗り合わせてもいいけど、ローランドゴリラとか、ツキノワグマとか、ケルベロスとかだったらあまり一緒に乗りたくない。

さらに思ったのは、

「気の遣いすぎじゃない?」

このボタンは、本当にあった方がいいのだろうか。

僕には、このボタンが、すごく不自然に感じられる。ボタンがあることで、不要な義務が増える感じ。エレベーターは全ての人に平等に与えられるべきなのに、このボタンがかえって飼い主側の「遠慮」を強制的に意識させることになる気がする。「遠慮」は自発的にするから美しいのであり、強要すべきことではない。

例えば、ボタンを押し忘れたり、誰もいないだろうと思って押さなかったりしただけで、「なんで押しておかないんだ」と責められるのも、飼い主は辛いだろう。ペットを飼うことに負い目を感じさせられそうである。

まあ、確かに、エレベーターを止めておいて、「やっぱいいや」となるのは、お互い気まずいだろうけど。エレベーターという乗り物自体、そもそもそういう性質のものだから、仕方ない気もする(僕もエレベーターは未だに苦手である)。

その時その時で、当人同士でどうにかするという自然なことを、面倒くさがらないこと。その中で自然に生まれるコミュニケーションをしっかり経験すること。それが、結果的にエレベーターを利用する人や、ペットを飼う人のマナー向上につながると思う。

まあ、僕は全く部外者なので、当人たちがよければ別にいいのだけど。

今年は平成何年なのか問題

今年が平成何年なのか、いつもわからなくなる。

調べたら、今年は平成26年らしい。

平成になったのなんて、つい最近のような気がするが、もう26年くらい前のことなのだ。

『人生ゲーム平成版』とか、『究極ハリキリスタジアム平成元年版』なんてゲームを、「新しいやつ」くらいのイメージでやっていて、そのイメージを持ったまま今に至っている。

余談だけど、2000年が10年以上前というのも信じられない。2000年に発売されたCDなんて「最近の曲」だと思うのだけど、もう10年以上前の曲ということになってしまっている。

2000年の曲の例

  • サザンオールスターズ『TSUNAMI』
  • hitomi『LOVE2000』
  • 氷川きよし『箱根八里の半次郎』
  • SMAP『らいおんハート』

今、14年前のこれらの曲を聴いてもそんなに「古いなあ」と思わないけど、2000年の時点でその14年前のシブがき隊の『寿司くいねぇ』などを聴かされたら「懐かしいなあ」と思っていたと思うのだ。

そういう意味では1986年から2000年より、2000年から2014年の方が短かったんじゃないだろうか。測ってみた方がいいと思う。

さて、話を戻すけど、今年は平成26年。

いい覚え方はないものか。

例えば、今年26歳の人を追いかければ、その人の年齢を思い出すだけで平成何年かわかるのではと考えた。

調べてみると、今年26歳の人は、いわゆる「ハンカチ世代」の1988年(昭和63年)生まれ。田中将大、前田健太、坂本勇人など豪華なメンバーがいる。

ちなみに平成元年生まれの人は平成2年に1歳になるので、彼らの年齢を考えても、1年ずれてしまう。ひっかかってはいけない。

「じゃあ、田中将大投手の年齢をいつも頭に入れておけば、今が平成何年かわかる!」と勝ち誇った気持ちでいたら、ここで大きな落とし穴。

田中将大投手は、まだ25歳なのだ。今年11月1日で26歳になる。

そうなると、田中将大が生まれた日を元日に定め直す「田中歴」でも導入しない限り、彼の年齢から平成何年かを言い当てるのは、11月まで無理だということになる。

仕方ない。別の方法を考えよう。

一番簡単な方法は、西暦の下二桁に12を足すという方法だ。

今年は2014年なので、14+12=26で平成26年。

12だと、くり上がりになる確率は低いから計算もしやすいし、わかりやすい。

ただ、問題は、12という数字をどう覚えておいたらいいのかということだ。

「西暦の下二桁にいくつか足せばいいんだよ」というところまで覚えていても、それが「12」であることを忘れてしまっては意味がない。

そうだ。「平成」という漢字の総画数が12画と覚えておけばいいんだ。

















(4月22日追記)


「成」の字の書き順が違っていた。

違う気がして、不安になって調べたら、案の定違っていた。

一画目は縦の払いみたいなのから書くのが正解である。書体を見ても、確かに縦から書いているっぽい。

こんなひん曲がった棒を先に立てたら、倒れてしまうだろうと思うのだが、それが正しいというのだから仕方ない。

倒れる前に、素早く横棒で支えろということらしい。

僕は、横棒から書く派なのだけど、才能ゆえか、それでも今まで何の問題もなく、上手く書けていたので、このまま直さずに横から書く派を通そうと思う。

僕みたいな天才は横からでも書けるけど、普通の人には、普通に縦から書くことをおすすめする。

iPadをパソコンとつないでも充電されない問題

iPadの充電器を寝床付近に持って行ったので、普段はパソコンからUSBで充電しようと思った。

ところが、iPadをパソコンにつないでも「充電していません」と表示される。

すればいいのに。

そんな遠慮することないのに。やっぱり、他社のパソコンだから気を遣ってるのかな。「いや、そちらから大切な電気もらうなんて悪いですよ」みたいなことかな。

(不便だなあ。なんかういろうからコンセントが出てるみたいなUSBのアダプタもう一個買わなきゃだめかな)

などと思いながら調べてみたら、iPadをスリープ状態にしていれば、充電できるらしい。

iPadが寝ている間に、こっそりパソコンから電気を流し込んであげればいいということか。

本人が気づかないうちにそっと補給しておいてあげて、起きたとき「あれ? なんか調子いいみたいです」と喜ばせるのがポイントである。

途中で起こしちゃうと「あ、いや、け、結構です! 大丈夫です!」と拒否してしまうので、充電しながらは使えない。

ちなみに、Macからは普通に充電できるらしい。その辺は身内だから遠慮がないということだろう。

メールアドレス変更のお知らせのメールをする

スマートフォンを最近買ったのだが、それに伴って、アドレス帳の中の人たちにメールアドレス変更のお知らせを送らなければならなくなった。

相手に合わせて挨拶などを考え出すと、何時間もかかってしまうので、「アドレス変わるよ」と用件だけを簡潔に書いて送ることにした。

ぜんぜん連絡を取っていないような人に、いきなりメールを送るのでちょっと緊張する。人にメールを送るというのは、ブログと違って結構神経を使う。

メールは、アドレスに登録されているほとんどの人に送った。

といっても、大した量ではない。アドレス帳に登録されているのは10人ちょっとだ。

それでも4~5通のメールが届かずに戻ってきた。

いつの間にか縁を切られていたんだなあと、少し寂しい気持ちになる。

そういうつき合いしかしていないので、当然といえるし、意外ではない。「それもそうか」と思う。


そんな中、たかがアドレス変更に、律儀に返信してくれる人もいる。「今どうしている?」と気遣ってくれる人もいる。「ありがたいなあ」と思った。

何というか、アドレス変更を知らせるメールを送るのは、一大イベントだった。

Kindle

Kindleで本を買うのもすっかり習慣になった。

去年iPadminiを買って、Kindleアプリを入れ、環境が整ってから、もう50冊以上は購入している。


例えば、『進撃の巨人』は、電子版も同時発売なので、発売日に本屋まで行かなくても買えて、とても便利だ。

Kindleで読みたい本があると、お金のことを考えず、思い切って買ってしまうことが多い。

本一冊の出費も、生活に影響するくらいの低収入なので、もっと慎重に買うべきなのかもしれないが、そこを男らしく、何も考えずに買う。


ひょっとしたら、この本を買ったせいで、食べ物が買えず、飢えて死ぬかもしれないという不安を感じながら、一か八か「ワンクリックですぐ購入」を押すのが好きなのである。

日常で味わえる小さなスリル。ちょうどジャックバウアーが味わっているのと同じ気分である。

飢え死にはしたくないが、どこかで、「そうなったら面白いかも」と思ってもいる。

Yahoo!トピックスに「男性一人餓死。本の買いすぎで」みたいな見出しが出たら、「バカがいたものだなあ」と結構見てもらえるかもしれない。意外な形で有名になれる。

まあ、クレジットカード払いなので、そうなる前に打つ手はいろいろあるから、大丈夫なのだけど……。

Kindleで買うことの一番の利点は、早いことである。場所をとらないというのもあるが、それは副産物みたいなもの。

「早い」というのは、注文してから、届くのを待つことなく、すぐに読むことができるということである。

「鉄は熱いうちに打て」という。確かに、鉄槍を鍛えている途中で冷めてしまって、打っても意味がない状態になることは日常でよくあるけど、本も読みたいうちに読んだ方が捗るし、頭に入りやすい。仕事の資料として必要で、急いでいるときなどには、なおさらありがたいだろう。

少なくとも、僕はそうなのだから、これからもどんどんKindleは利用者が増えるだろうなあ。

好不調問題

4月の初め頃はかなり好調だった。

ブログを新しく作ったし、風呂も毎日入ったし、布団も干した。

それが2週目に入ると、突然何もできなくなった。

……やる気が起こらない。

朝起きられなくなり、ここ一週間くらいは、毎日10時間くらい寝ている。

それだけ、寝ているので、体が疲れているわけでもないと思う。体でないなら、心の疲れかもしれない。

好不調には、波があるという。

だから、不調になるのは仕方ない。誰にだってあることだ。道端アンジェリカにだってある。

その波の上下が、どのくらいの周期で回っているのか、記録をとるなどして、自分で分かればいいと思う。

記録をつけるうちに、そろそろ調子が落ちる頃だというのが、前もってわかるようになるかもしれない。

そうすれば、不調になる前に仕事のペースを落として、無理しないようにできる。調子のいい日は突進してくる牛を赤い布で5回「オーレ」ってやるけど、悪くなりそうな日は1オーレにとどめるとか。

「やるつもりができなかった」というのと、「はじめからできないことはわかっていた」では、できなかった時のダメージが違う。

どうせできないなら、はじめからしない予定にしておいた方が気が楽だ。

そのために、ぜひ、自分のバイオリズムを知りたい。

しかし、記録をつけるというのは、なかなか難しい。

その日が「好調」か「普通」か「不調」かは、明確な基準がないので、毎日「普通」になってしまいそうだし、不調の時は、記録をつけることすら面倒になってやらなくなってしまう。

いい方法はないものか。

それとも、そもそも、好不調も、思い込みによるところが大きいから、記録をつけるなんてやめて、気にしない方がいいのだろうか。

とりあえず、いろいろ試してみたい。ブログにこうして、日記を書くだけでも、何か見えてくるかもしれない。ちなみに今は、調子はだいぶ回復してきている。

Yahoo!対Google

インターネットを始めたばかりの頃は、僕にとって、検索サイトといえば、Yahoo!だった。それがいつの間にかGoogleになっていた。

今、僕のブラウザの上の方のおうちのマークを押すと出てくるのはGoogleである。

そんなに、意識していたわけではないが、おそらく最大の理由は、Yahoo!のトップページはニュースなどの情報がたっぷり表示されるのに対し、Googleは、検索の窓だけのシンプルな作りになっていたことだと思う。

というのは、何かを調べようと思ったとき、ニュースなどの情報が目に飛び込んでくると、そちらに気を取られて、何を調べようとしていたか、忘れてしまうからだ。

忘れてしまったという、みじめな気持ちを味わいながら、「さて」など、意味のない言葉を打ち込んで検索してしまうことが、何度もあった。

僕には、驚くほど記憶力がないのである。

記憶力に自信がないあまり、記憶術の本を読んだことがあることは覚えているから、それによって多少改善されたかもしれないが、あまり実感はない。

Googleを使うようになってからも、相変わらず、何を調べようとしていたのか忘れることが茶飯事である。Yahoo!の時ほどではないというだけの話である。

そんなとき、Googleで検索しようとすると、「さて」が予測で出てくるので便利だなあと思う。

電子神社

実家から、交通安全のお守りが送られてきた。

僕は別に、信心深くないので、それを肌身離さず持っていようとは思わないけど、事故に遭わないようにという親の願いは感じられる。

本が電子化されるように、お守りも電子化されて、スマートフォンアプリでダウンロードの時代になるのかな。

神主さんがダウンロードした人にその効果があるように、儀式を執り行えばそれでオーケーなのだ。

お賽銭も、賽銭箱の横に、電子マネーとか、おサイフケータイ用のパネルがついていて、ピッとやるだけ。金額は1円~500円までで、ランダムで決められる。その金額が、きっと、自分の願いに必要なお賽銭なんだと納得できる。「願いに対して、お賽銭が少ないのでは?」という心配もしなくていい。

そういうの、もうあったりするのかな?

甘いものはやめる

最近、食事をどのように摂っていくか勉強していたが、どの本も、共通して

「砂糖はやめた方がいい」

と言っている。

甘いものは、急激に血糖値を上げるので、反動で急激に下がり、低血糖症の原因になるのだという。低血糖になると、集中力がなくなって、頭がぼーっとしたり、鬱のように気持ちが重く沈んだり、やる気がなくなったり、イライラしやすくなったりする。多くの不調の原因らしい。

鬱病と診断される人も、実は甘いものの摂り過ぎによる低血糖がその正体である場合が多いらしい。

砂糖に限らず、パンや白米、パスタなどの身近な炭水化物も「糖質」であり、血糖を急に上げるので、食べ方や食べる量に注意した方がいいという。

血中の糖が多いと、タンパク質と結びついて、それだけAGE(最終糖化物質)がたくさんできる。このAGEというのが老化の原因であると言われている。

これらの観点から、なるべく糖質を控えましょうという考え方が「糖質制限」である。

本格的に糖質制限をしようとすると、白いご飯をほとんど食べず、おかずをたくさん用意して、生野菜をたくさん食べたり、かなり大変そうに見える。

僕の場合、甘いものをやめるところから始めることにした。やめると言っても、ゼロにはできないと思うので、限りなくゼロに近づけるくらいの意味である。

今まで、スティックカフェオレみたいな甘いものを、一日5~6杯飲んでいたので、これからは、一日一杯くらいにして、新しく買うのはやめる。

あと、砂糖を使ったお菓子は一切買わないことにする。

それでおそらく、糖分を取り過ぎることはなくなって、低血糖の症状は回避できると思う。

フォントをメイリオに変えるのも楽じゃない

ブログをいじっていた。

Bloggerを使い始めて、フォントが、かくかくしていて、滑らかじゃないのが気になっていた。

調べたら、フォントを「メイリオ」などの素敵なやつに変更する方法があるという。

「テンプレートデザイナー」の「上級者向け」の「CSSを追加」の欄に以下のような文字列を貼り付けるのだという。
body, textarea { font-family:"meiryo","メイリオ","ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS Pゴシック", sans-serif; }

 CSSが何なのかはわからない。たぶん、どこか海外の放送局の名前だと思う。

早速やってみた。

でも、何も変わらない。

何がいけないというのか。テンプレートによっては対応してないとかあるのだろうか。それとも、僕のパソコンにメイリオが入ってないのだろうか。思いつくことをあれこれ試してみるが、やはり変わらない。

この段階で、一時間くらい経過。

貼り付けるだけでオーケーと書いてあるのに。

僕はまた騙されたのだろうか。

それとも、もう既に「メイリオ」なのだろうか? そうは見えないが。

もう、ずっと文字ばかり見ていると、何が何のフォントなのかわからなくなってくる。どうでもよくなってくる。

諦めかけたとき、ためしに、上記の文字列をコピーして貼り付けるのではなく、自分で打ち込んでみようと思った。

文字列の一番後ろにカーソルを合わせて、1~2文字バックスペースで消してみると、フォントが急に変わった。メイリオになったらしい。

僕にはプログラムの知識はないし、覚えたくもないが、最後に余分な空白が入るとダメとか、貼った文字をどこかいじらないと定着しないとか、なにかあるのだろう。

わかっている人にとっては、愚かに見えるだろうが、結構こういうところでつまずいてしまう人も多かろう。

もし今後、コピーして貼り付けるだけのやつが上手くいかないときは、貼り付けた後、最後の文字だけ打ち直してみるとよさそうだ。それが、今日学んだこと。

radikoの録音

僕の趣味はラジオを聴くことである。

好きな番組を録音して好きなときに聴いている。

最近はスマートフォンを買ったので、それで聴くことにしている。

昨日深夜、寝ていたら、いきなり、パソコンから、伊集院光の声が大音量で流れてきた。

何事だ!!

本能寺の織田信長みたいな気持ちになった。

アパートなので、こんな大きな音を鳴らしたら近所に大迷惑である。慌てて、止めに入る。

でも、画面は消えたままだし、どうやって音を消していいのかわからない。そうしている間にも爆音は垂れ流し。

早く止めないと大家さんに部屋を追い出される。

パソコン本体からスピーカーのプラグを引き抜いて、どうにか音を止める。

この爆音の原因はどうやら、radikoを録音するために使っていた「radika」というソフトのエラーのようだった。

いつもは靜かに録音されるところなのに、エラーが出て、スピーカーから音が再生されてしまった。

なぜこんなエラーが出たのかわからないが、radikoの仕様の変更に、radikaがついてきてないとかだと思う。

ちょっと調べて、いじってみたが、僕には直せそうにない。

仕方なく、前に買った「ラジ録2」というソフトを、再インストールして、使うことにした。

今日は、その設定や、実験で一日が過ぎていこうとしている。


僕の経験値

部屋に引きこもってばかりなので、人と比べて、年齢の割に人生の経験値はすごく低い。

遠くに行かず、町の周辺でスライムやドラキーばかり倒して暮らしている。


行ったことのある県は、茨城以外の関東の県と、宮城、新潟、長野、山梨、静岡、京都、奈良、福岡、長崎。住んだことがあるのは、群馬、山梨、千葉。


海外はもちろん、北海道や、沖縄、大阪も行ったことはない。


数えると、47都道府県中15(都)県。信長の野望だったら、とても、天下統一は果たせそうにない。


穂村弘さんがエッセイの中で人生経験値の低さを自慢していたけど、僕も負けていない。


結婚や、子供を持つなどは当然僕も未経験。


他に、多くの人がやってそうなのに、僕はやったことがないことを、思いつくだけ挙げてみる。



  • 回転しない寿司屋
  • 麻雀
  • 競馬・競輪・競艇
  • マッサージ
  • 整体
  • ゲームセンターの筐体のゲーム(格ゲー等)
  • マリンスポーツ全般
  • パラグライダー/ハンググライダー
  • 乗馬
  • ダーツ
  • バーテンダーがいるようなバー
  • キャバクラ
  • ゴルフの打ちっ放し(ゴルフ場も)
  • ダンスクラブ
  • 屋形船
  • 高速バス
  • テレビ電話(スカイプ等)
  • ネットゲーム
  • 合コン
  • ナンパ
  • 出会い系サイト
  • 2chの書き込み
  • 就職活動

普段、友達と遊びに行くなんてことはほぼない。ディズニーランドは5歳の時一回行ったことがあるだけ。ビリヤードは一回だけやったことがある。居酒屋や個人経営みたいなレストランも、一人では入ったことがない。

こんなことでは、馬鹿にされるのではないか、いや既に相当馬鹿にされていて、みんな笑いをこらえながら僕を見ているのではないかと、いつもおびえ暮らしている。


そんなとき、自分に言い聞かせている。


「順番が違うだけだ!」


うれしいことや、楽しいことは、きっとこれからたくさん経験するのだ。


僕は楽しみを後にとっておくタイプなのだ。まだ人生は長い(はず)。


それに僕は(今は、詳しくは書かないが)



  • 映画監督
  • オーケストラでの演奏
  • 映像、舞台俳優
のような、人が、あまり経験しないことも経験しているから、それなりにボーナスポイントもついているはず。

そして、現在「本の出版」という、これまた多くの人が経験しないまま一生を終えるようなところを目指して頑張っている。

それを先にやるというだけ。順番が違うだけ。

だから、それまでは、もうしばらく、スライムやドラキーを倒して、力を蓄えることにする。

とっさの一言

誘われたときの、遠回しな断り方で「行けたら行く」というのがあるらしい。

「行きたくない」とはっきり言うより、相手を傷つけずに済むし、気が向いて行きたくなったら行くこともできるので、便利な言葉だ。


これを応用して、「死ね」と言われたとき、


「死ねたら死ぬ」


と言っておけば、相手を傷つけることなく、やんわり断ることができるので便利だ。

嘘つきのパラドクス問題

「『全てのクレタ人は嘘つきだ』とクレタ人が言った」

という、「嘘つきのパラドクス」というのがある。

彼の言う内容が本当なら、クレタ人である彼の言葉は嘘だから、つじつまが合わないというのである。


これを聞く度に「?」と思う。

「嘘つき」って、「よく嘘をつく人」のことであって、「嘘しか言わない人」のことではないのでは?

というか、まず、嘘しか言わない人などいない。

病気になっても、お医者さんに「どこも悪くありません」と言わなければならないから、真っ先に死ぬ。

僕の感覚では、これをパラドクスということに無理があると思うのだけど、日本語との言葉の感覚の違いなのだろうか。このパラドクスが生まれたところでは「嘘つき」は、嘘しか言わない人のことなのだろうか。

「『全てのクレタ人は嘘しか言わない』とクレタ人が言った」だったら、まあ納得なのだけど。

「魔法」について

アニメやゲームの世界では「魔法」がよく出てくる。

「『魔法』が普通に存在する世界」などというキャッチコピーもよく目にする。


でも、僕が思うに、もし本当に魔法が普通に存在する世界があったら、おそらくそれは、「魔法」とは呼ばれない。


今、地球で暮らしている我々が思う科学や、物理の常識から逸脱した、不思議なことが「魔法」と呼ばれるのであって、それが普通にあるのなら、それは、科学や物理の範疇になる。どんな不可解な現象であれ、何度も再現可能であれば、それは、「そういうものだ」と認められることになり、「魔法」という概念にくくられることはない。一つの「現象」と見なされる。


例えば「磁石」は不思議な動きをするけど、別に「魔法石」とは呼ばれていない。磁石は「実際に存在する」から、だれも魔法だと思っていないのである。


アニメやゲームに出てくる魔法も、もし本当に存在していたら、誰も魔法だとは思わない。


これは、つまり、言葉の使い方の問題だ。


物語を作るとき「よし『魔法』が出てくる話にしよう」と考えている人は、少し、そのことを考えて「魔法」という言葉をすぐ採用せず、オリジナルの概念を作ってみるなどすると、独特な世界観が生まれてよいのではないだろうか。

禁煙喫煙問題

エレベーター開閉ボタン問題以外で紛らわしいのが「喫煙」と「禁煙」。

どちらも発音すると「き」で始まる。

逆のことなのに、一音しか違わない。

ファミレスの人には「喫煙、禁煙のご希望は?」と聞かずに「たばこはお吸いになりますか?」と聞くように統一してほしいものである。

そうしないと、たばこを吸いたいけど「つ」の発音が下手で、どうしても「ん」に聞こえる音になってしまう人は、かわいそうに、いつも禁煙席に案内されてしまう。

その人は、床屋に行って髪を短く切ってもらおうと思ったら、ズボンを短く切られてしまうという問題も抱えているが、それはまた別の話。

電子マネーは持たないことにする

電子マネーは、チャージが必要だったりするが、それがくせ者なのである。

電子マネーの話ではなく、ゲームのダウンロード販売の話だけど、一本600円でダウンロードできるというゲームがやりたくなった。


購入しようとしたら、いったん1,000円支払って、そこでだけ使えるポイント的なものに変えなければならず、400円分は余ってしまった。


そのあと、もう一本600円のゲームを購入したくなったが、400円では足りない。


そのために、もう1,000円課金しなければならず、600円のゲーム2本買うために、2,000円払わなければならなかった。


残りの800円は余らせて使わないまま死に金となるか、欲しくもないゲームを買うしかない。


これでは、一本1,000円で買ったのと同じようなものである。


僕が今まで電子マネーの入会を断ってきたのは、これと同じようなことになりそうな気がするからだった。


電子マネーも、一度チャージしてしまうと、余っても戻ってこない。余った(例えば)280円がもったいないから、また1,000円チャージする。


そこで500円くらいの買い物をして、780円余る。780円も、使わないともったいない。


使える店はないかな。買うものはないかな。


なんだか、買い物をさせられているような気分になってしまう。


だったら、最初から現金だけにしておいた方が、どこでも使えて安心である。


いちいち切符を買わなくて済むPASMOは便利だから持っているけど、それ以外のチャージ式電子マネーはやはり、使う気がしない。

モバイルSuica導入か?

よい子のみんなは、僕が最近スマートフォンを買ったことは、もう知ってるよね。

そのスマートフォンでは、「おサイフケータイ」が使えるという。

それならせっかくだから、モバイルSuicaを使ってみようと思った。

そうすれば、PASMOを持たなくても、お金を持ってなくても、スマホさえ持っていれば、電車に乗れる。

財布を忘れたときとか、財布をなくしたとき、財布を落としたとき、財布を盗まれたとき、財布が突然焼け焦げて灰になったときなどに、とても便利だ。

おサイフケータイに対応していないiPhoneユーザーの目の前で、何度も改札を出たり入ったりして、得意顔で自慢したりもできる。(これをやるときは定期を使っての利用をおすすめする)

よし登録してみようと、久しぶりに元気が出てきた。

早速、モバイルSuicaのページにアクセス。

一気に元気がなくなった。

モバイルSuicaは利用するのに年会費がかかるらしい。1,030円。

普段ほとんど電車に乗らない僕には重い。1,030円あれば、ロールスロイスを買うときの足しにできるじゃないか。

たまにしか電車に乗らないからこそ、PASMOのカードを財布に入れておかなくても済むようになるのがうれしいと思ったのに。

とりあえず、モバイルSuicaは見合わせる。

他の電子マネーは電車に乗れないから、あまり興味はないけど、一応検討してみようかな。

エレベーター開閉ボタン問題

紛らわしいものの定番でエレベーターの「開」ボタンと「閉」ボタンがある。

テレビでふかわりょうさんが、間違えないように「宍戸開」と「宍戸錠」の顔写真にするべきだと言っていたが、宍戸開も年を取るとどんどん錠に似てきて、さらに紛らわしくなる可能性もある。


僕は「夢」と「現実」にしたらどうかと思っている。


エレベータの中は四方を壁に守られた空間だけど、外に出たら現実に戻らなきゃいけない。それを「夢」と「現実」に置き換えるのである。


ただ、乗り合わせた相手によっては、ものすごい気まずさを感じて、むしろ通常以上に現実的な空気を肌に感じることもあるかもしれない。


全く逃げ場のない空間の中で、何か話すべきなのだろうかと、手に汗を握りながら階数表示を眺めつつ、階段にしておけばよかったと、5階から1階に降りるくせに、自分でもわかるくらいの無理矢理な後悔をしてしまう。


しかし、それも、ドアが開いてその空間から解放されたとき、「ああ、さっきのは悪い夢だったんだな」と気づくだろう。夢を見ているときは、そうと気づかないことも多いのである。


そして、「現実も捨てたもんじゃないな」と、前向きになれるのだ。ぜひ導入してもらいたい。


問題があるとしたら、「現実」が漢字二文字という点だ。ボタンの大きさを変えてしまうと、その分コストもかかってしまう。


僕としては、小さい字で表示するのが一番現実的だと思うがどうだろう。

イメージ図

書くことと書かないこと

このブログには、何でも書くことにした。

日記も書くし、読んだ本の感想も、昔の思い出も、学んだことも、辞世の句も書く。

どんなことでも、とりあえず書いていけば、それが、巡り巡って人の命を救う可能性もある。


もちろん、人の命を救いたいからなんて、不純な動機で書くわけじゃない。ただ純粋に書きたいから書く。


特に書きたいのは、その場の思いつきとか、思いついてしまったこと。


僕はよく変なことを思いつくのである。

たいてい、それは、心にそっとしまわれるのだけど、これからは、なるべく、この場で発表していきたい。

たとえば最近は、「便所飯」と呼ばれる、一人でご飯を食べているところを見られたくないから、トイレの個室でご飯を食べるのが流行っているいうので、そのブームに便乗して、トイレの個室にベルトコンベアでお寿司が流れてくる回転寿司屋を作ったらどうだろうと考えていた。取った皿を元に戻す人が出てきちゃうと困るよなあとか。

そういう、どうでもいいようなことを書く。

書くであろうことをまとめると

  • どうでもいい思いつき
  • 日記
  • 学んだこと
  • 本の感想 など


逆に、これは書かないほうがいいなと思うことと、その理由もまとめてみる。



  • 人の悪口(誰でも安心して読めるブログにしたいから)
  • 爆破予告(まだ捕まりたくないから)
  • 個人的な恋愛観(読者にとってどうでもいいから)
  • 政治批評のような難しいこと(読む人を疲れさせたら申し訳ないから)
  • 「桜がとても綺麗です」とその写真を載せたような記事(僕じゃなくても、書く人いるから)

これは何のブログ?


さて、これは何のブログなのだろう。

これから、このブログに何を書こうか。

一応、僕は、何でも書くつもりだ。好きなことを書く。木が枝を伸ばしていくように、あらゆる方向に向かって書く。

書いているうちに形ができてくる。それを見て楽しむ。それでいいと思う。

まず、僕がやりたいのは、一般的なブログのイメージに引きずられないようにすることだ。

ブログは一つテーマを絞って書くものだとか、日記を書くものだとか、便利なアイテムを紹介するものだとか、そういう類の「何か」を書くものだという思い込みを捨てる。

「何か」を書くのではなく、とにかく、書く。それが何かは問題じゃない。書いたかどうかが問題。

書くというプロセスと、書いたものがたまっていく楽しみ。
 
ここはそういうブログになる予定。

Bloggerを選んだわけ

ブログサービスを選ぶ際、この「Blogger」と「はてなブログ」どっちにしようか迷った。

どちらも、デザインが、シンプルで見やすくて、ごちゃごちゃしてないイメージが、僕好みだったからだ。

僕がやりたいブログのイメージは、町外れの、変なものがいろいろ置いてある古道具屋さんだった。

八百屋さんのように大声で呼び込みをしないし、飲み屋みたいに飾り立てもしない。ましてや、スーパーやデパートみたいに賑やかでもない。

ただ、「他にはないものを置いているので、興味のある方はご自由にご覧ください」

そんな、落ち着いた佇まいの、すっきりしていて、小綺麗で入りやすいお店を作りたかった。

「そういうのできませんかね?」

”はてな不動産”に行ってみたところ、

「できますよ。ウチの商店街の貸店舗なら、人通りも多いし、たくさんの来客が見込めますよ。はじめから水道は浄水になってますし、運営するための設備も整ってますし、いろいろと、ご商売のサポートもしますよ。組合に入っていただくと、横のつながりもできてきますしね。結構評判いいですよ」

という感じだった。

続いて”GoogleBlogger不動産”を訪ねる。

「あ、どうぞどうぞ、この空き家でよかったら、自由に使ってください。結構広いでしょ。近くに国道が通ってるから、交通には便利だと思いますよ。郊外だし、靜かでいいでしょ。道具とかは奥にあるやつ自由に使っていいから。必要なものはたいてい揃ってると思うんでね」

加えて、なんのお構いもできませんけど、好きにやってくださいと笑った。

後者の方が圧倒的に気が楽だった。

僕は早速、Bloggerの白壁のがらんとした空き家を、自分の文章の画廊に塗り変えた。

古道具屋さんではなく、画廊(ギャラリー)になったけれど、コンセプトは変わっていない。

「ご自由にご覧ください」。

こうして、ナカイユウヒの世界展はできた。

ナカイユウヒの世界展開幕

4月になった。

街は消費税が無事8パーセントに上がったことで、お祝いムード一色である。

特に買いだめをした人たちなどは、これで上がらなかったらどうしようかと、不安で仕方なかっただろう。上がってくれて、ほっと一安心といったところである。

そして、僕も今日から、こちらでブログを書くことにした。

これまで、他のブログサービスを使って、「ナカイユウヒの考え事」というのを書いていた。そちらから、引っ越してきた形になる。

ブログとは、これからも、長いつきあいになりそうだったので、もっと自分が書きやすいように、読む人にも読みやすいように、丁寧に作り直したい。ということで、カスタマイズが自由にできるBloggerを選んだ。

デザインなどは、今のところ、まだ手探り状態で、きちんと設置していないブログパーツ的なものがたくさんあるけど、これからちょくちょく手を入れていく予定である。

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