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一心不乱

「一心不乱」って言葉あるじゃん。

一つの事に心を注いで他の事のために乱れないこと。(広辞苑より)

なんとなく一心不乱っていうと、「狂乱」とか「狂気」のような、どうかしてしまっているイメージがあった。もう我を忘れて、瞳孔も開いて「あははは」と笑いながら何かやってる人みたいな。

でもよく考えると「不乱」だから、乱れてないんだよね。

割とまともな人なのかもしれない。

髪を振り乱してなにかやってる人のイメージばかり浮かんでたけど、目の前で壇蜜が挑発的に着替えてるのに、落ち着いて座禅を組んでる人も一心不乱ってことなんだなと思うと、ちょっとイメージ変わった。

相手にとって不足はない

「相手にとって不足はない」

という言葉。一瞬「え? 自分にとって(相手の力が)不足はない」じゃないの? って思うよね。

でも「相手にとって不足はない」が正しいとしたら、「相手にとって」は「相手に取って」「相手取って」ってことだと思うんだ。

ということは「相手取って不足はない」という言い回しに変えた方が誤解が生まれる可能性は減ると思うんだ。

これから、そういう風に変えたらどうですか? という提案をしておく。

脳内カンファレンス

カタカナ語の勉強をしたら、カンファレンスという言葉があることを知る。なんとなく聞いたことがあるような感じだったが、よく知らない言葉だった。

カンファレンスとは、大きな会場で千人規模の人間が集まって行うような、でっかい会議のことを言うらしい。

僕は脳内会議をよく開く。比較的大きな規模の会議は「(脳内)大会議」と呼んでいたけど、これからは「脳内カンファレンス」と呼ぶことにした。

今日はさっそく脳内カンファレンスを行う。

これから、年内にやるべきことや、来年やることについて決めたいからだ。

まずはどういうことを議題にするか、どういう方法で決めるかということを洗い出して、アジェンダを作成する。

アジェンダという言葉も学んだばかりだ。「今日の会議は、こういうスケジュールで、こんなことを話し合いますよ」という進行予定表みたいなやつのことをアジェンダというらしい。「レジュメ」に近いらしいが、一般的にはレジュメの方がわかりにくい気もする。一般の人は「レジュメ正一」か「レジュメちとせ」しか頭に浮かばないだろう。僕は大学時代、レジュメを作っていたから、かろうじてイメージができるけど……。

「さて、カンファレンスのアジェンダの作成にとりかかるか」と少しエリート気分が味わえるようになった。就職活動もしたことないくせに、ビジネスマンが使うような鼻につく横文字をガンガン使う人になろうと思う。

今年の流行語大賞「コロンビアみたいになっちゃった」

仕事とかスポーツとかで急に欠員が出て、人数が一人少なくなったときに使う言葉。

「コロンビアみたいになっちゃった」。

僕発で今年の流行語大賞を狙っている言葉である。

流行語大賞取ると何か粗品とかもらえるのかな? わくわく!

ほぼほぼ

「ほぼほぼ」という日本語がとても気になる。

「ぼのぼの」みたいだなあと思う。

最近よく聞くようになったと言いたいのだけど、厳密には伊集院さんがよく使うようになった。

「『ほぼほぼ』って、みんな言ってるよ」
「みんなって誰よ?」
「伊集院さんとか」
「他には?」
「……伊集院さん」

僕は人と会話をしないので、僕の耳から入ってくる音声的な情報の60%くらいは伊集院さんであり、その伊集院さんがよく使うようになると、よく耳に入ってくる言葉として比重が大きい。

ので、他の人がよく使っているかどうかは厳密にはわからない。でもみんな使ってるから伊集院さんも使うようになったんでしょ。どうせ。

調べてみると、「ほぼほぼ」は「ほぼ」を強めた言い方で、「ほぼ」よりも可能性が高いらしい。

「ほぼ」が「9割がた」くらいとするなら、「ほぼほぼ」は「例外を除けば全て」「限りなく100%に近い」くらいの意味であるという。

世間において、その使い分けがきちんとなされているかは疑問である。

どちらにしても、僕はまず使わないだろう。

なんかダメなのだ。「ぼのぼのみたいだなあ」とどうしても思ってしまう。

百人一首

dアニメストアで『ちはやふる』を見始める。

ご存じの通り、競技カルタの世界の話。

面白くて、見るのをやめることができない。

百人一首……。子供の頃は「百人衆」だと思ってたよね。「真田十勇士」「小倉百人衆」……。

あと、「百人一首」っていう言葉は百人が力を合わせて一つの短歌を作ってるっぽいよね。「百人一首ずつ」とかに名前を変えないと誤解される。

百人一首、中高生の頃、全部覚えようとして40くらいで断念した。

記憶容量的にこれ以上入らない。これ以上入れようとしたら、クラスメイトの名前を4~5人忘れる必要があると思ったからだ。

でも、今はもう当時のクラスメイトの名前なんてほぼ全員忘れたから大丈夫だ。入るはず。

もう一度チャレンジしたくなった。百首全部覚えたい。

というか、もっと古典を勉強しておけばよかったと、作家修業をするようになってから思う。

例えば、「古い文献にこうある……」なんて文献を参照してるっぽいシーンを書くとき、古文の感覚があれば、古い文献をちゃんとそれっぽく書ける。

今の僕では「昔、王様がんばりてこの国つくりけり」くらいしか書けない。

対向車ではなく……

例えば、自分が車を運転しているとき、反対車線を走っている、向こうからやってくる車のことを「対向車」と言うよね。

でも、例えば、自分が車を運転していて、交差点にさしかかったとき、自分から見て左右に通り過ぎていく車のことを指す言葉ってないよね。

あるのかな? 僕が知らないだけ?

民たちは、皆、なくて不便を感じてないのかな?

じゃあ、仮にそういう、横に通り過ぎていく車のことを「過ぎゆく者」と呼ぶことにしよう。

そうすると、「『過ぎゆく者』が来なかったら渡ろう」とか、「『過ぎゆく者』側の信号が赤になったら発進準備だ」「『過ぎゆく者』たちが多くて、なかなか道を渡れなかった」といったように、結構使う機会は多いと思うのだ。

だから、それにあたる言葉をなるべく早く全国的に決めた方がいいと思う。国土交通大臣とかが会見で発表して、それを新聞とかでとりあげた方がいいと思う。

なんなら僕の「過ぎゆく者」を採用してくれて構わない。

そうなると、「対向車」も「すれ違う者」とかに呼び名を変えた方がいいかもしれないけど……。

グネグネ板

昨日のストライダーで思い出したことがある。

スケボーみたいな乗り物なんだけど、真ん中がくびれてて、腰をグネグネやると前に進むやつあるじゃん。なんか、カヌーのパドルの棒の部分を外して、水かき部分だけを2つくっつけたみたいな形してるやつ。

あんなの僕が子供の頃はなかった。

あれの名前はなんていうのだろうと調べたけど、「エスボード」「ブレイブボード」「ジェイボード」など、商品名があって、それぞれ違いもあったりするから、それらの商品名で呼ばれているようだ。

例えば、ジェイボードを持っている子に「その、ブレイブボードさ……」等と話しかけると、「これはジェイボードだ、ブレイブボードなんかと一緒にするな」と怒られることが予想される。

でも、ひっくるめた名前がないと不便じゃない? じゃあ僕が決めてあげよう。ああいうのは「グネグネ板(いた)」。全部まとめて「グネグネ板」。

「ツイストボード」という、なんかそれっぽい名前を聞いたことがあるけど、ツイストボードを検索すると、円い板の上でバランスを取るトレーニング器具のようだ。もしくは、「エクスライダー」と呼ばれるものとよく似た、新種のローラースケートの商品名でもあるようだ。

だから「グネグネ板」を「ツイストボード」と呼ぶのは、ほぼ間違いなので気をつけよう。

グネグネ板はいつ頃からあるんだろう?



……調べていたら、とんでもないことがわかった。

グネグネ板には、「キャスターボード」という名前があるらしい。せっかく「グネグネ板」と名付けたのに。

https://ja.wikipedia.org/wiki/キャスターボード

……まあ、いいかグネグネ板で。僕の中ではもうグネグネ板だよ。

2000年代に韓国で考案されたということだ。

大人になって初めてグネグネ板をやっている子供たちを見た僕の感想。

「楽しそう。でも乗ってる姿が全然かっこよくない」

五十歩百歩

「五十歩百歩」という言葉があるじゃん。

50歩逃げたやつが、100歩逃げたやつを「あいつ100歩も逃げやがった」と笑ったが、「お前も逃げてるじゃないか、同じだろ」ということで、「大差が無い」「どっちもどっち」みたいな意味で使われる言葉だ。

ただ、僕は50歩と100歩はかなり違いがあると思うのである。

同時に逃げ出す二人。

そのうちの一人は50歩逃げた段階で、「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」と立ち止まり、ネルフに引き返す。50歩の道を引き返し、「僕をエヴァに乗せてください!」となる。

50歩の方が戦い始めたその頃。もう一人は、さらに50歩逃げている。ここで「逃げちゃダメだ」と思い直し、ネルフに引き返すとしても、100歩の道を戻らねばならない。

そいつが100歩の道を戻る間も、50歩の方は戦い続けているのだ。

一度は逃げたが、戦場に戻るものと仮定すると、50歩と100歩は、戻るまで、時間にして4倍の差がつくのである。この差は大きいじゃないか。

場合によっては100歩逃げた方が正解で、その50歩の差が生死を分ける時もあるだろう。この言葉が生まれたケースでは、どちらも無事だったからこそ「二人とも逃げたことには変わりない」などと悠長に言えるが、それはあくまで結果論にすぎない。

50歩逃げるか、100歩逃げるか、そういう選択の積み重ねが人生を左右するということを忘れてはいけないのである。

嘘日本語講座「にべもない」

「女の子を映画に誘ったんだけど『公文があるから』って、にべもなく断られたよ」などという言葉を、日常よく耳にしますね。

この「にべもない」の「にべ」とは、じつは「ニベア」のことです。

ニベアは言うまでもなく、スクワランホホバオイル配合で、肌のしっとり感を保つ、世界中で人気の保湿クリームですね。


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ニベアがないと、しっとり感がなく、カサカサの乾燥状態になってしまいますね。つまりドライな感じということです。

そういったところから、全く相手にされないときなどに、ドライでそっけない感じを表した「ニベアもない」という言葉が生まれました。それがいつしか「にべもない」に変わっていったのです。

嘘です。

本当のところは、ご自分でお調べください。

「マレー」か「マリー」か

錦織がA・マレーに勝って、全米オープンベスト4。次はワウリンカ戦。

何とも胸が熱くなるニュース。

ところで、「マレー」だったり「マリー」だったり、「ワウリンカ」だったり「バブリンカ」だったりするよね。

もちろんどう日本語で表記するかの問題だから、どちらが正しいとか間違いとかいうわけではないけど、なんとか統一できないものかなと思う。自分の言った方の逆ばかり使われていると、間違ってるみたいな雰囲気になるじゃん。

そういうのいろいろあるよね。

「シーザー」と「カエサル」。

「マキャベリ」と「マキアヴェッリ」。マキアヴェッリは言いにくいと思うな。

「チンギスハン」と「ジンギスカン」。これは前者は人名、後者は鍋料理というイメージが強いかな。

「マゼラン」と「マガリャンイス」。もうマガリャンイスに至っては「曲がりくねった椅子」だとしか思えない。「マガリャン」だけならまだしも、なぜ「イス」がくっついているのか。不思議である。

まあ、ともかく「マリー」か「マレー」かは、一度代表者が相撲を取るなどして決着をつけて欲しいところである。

今夜は月が綺麗ですね

夏目漱石が「I love you」を「今夜は月が綺麗ですね」と訳すのだと学生に教えたという有名なエピソードがある。

これを、日本人は「月が綺麗ですね」という言葉の中に「愛している」を含ませる情緒の深い国民ですよみたいにとると間違いである。

漱石が言いたかったのは、海外では、挨拶みたいな感覚で「I love you」を使いますよということだ。

日本人が「愛してます」なんて言ったら「どうしたんですか急に?」となってしまうけど、あいつらは恋人や夫婦だと挨拶感覚で「I love you」を使う。それは日本で言うと、ちょうど「月が綺麗ですね」くらいの気軽さですよと。

まあ、夏目漱石を勉強したことなんてないから、たぶんそうだろうという僕の想像でしかないけど、この解釈が正しいですよということで、世間には上から目線で広めていきたいと思う。

本を読むのが好きな女性のことをなんと呼べばいいんだろう

「文学少女」って言葉がある。主に中高生くらいまでの女性に対して使われる。

だけど、もう少し大人になった読書好きの女性を表す言葉が見当たらない。

男の場合、「文学青年」って言葉があるのに。

これって結構不便じゃないだろうか。それなりに大勢いると思うのだ。

あるいは僕が知らないだけで、「文学女子」とか何とか言われているのだろうか。

「山ガール」だの「カープ女子」だの「レイクエンジェル」だの、マイナーなところにはしっかり呼び名を付けておいて、なぜ誰も「本を読むのが好きな、わりと物静かな若い女性」を表す呼び名を付けないのだろう。

そこにぴったりくるネーミングを考えれば、流行語大賞が狙えるんじゃないだろうか。

医者はリンゴいらず

「リンゴは医者いらず」という言葉があるらしい。

リンゴを食べてると、病気にかからないから、医者がいらない。そのくらいリンゴは健康的な食べ物なのじゃよ、みたいな意味だ。

でも、僕は、リンゴをかじると寒気がするという体質なので、なるべくならリンゴは食べたくない。

味が嫌いなのではない。ジュースなら大丈夫。かじったときのシャリッと言う音がダメなのだ。

ミキサーで砕いたり、すりおろしたりすれば、音がしないので、大丈夫なのだけど、それもまた面倒だ。

というわけで、僕には医者がいてくれた方がありがたい。

医者さえいればリンゴを食べなくて済むということだろう。

この世から、リンゴか医者のどちらかが消えるとしたら、悪いがリンゴの方に消えてもらうことを選ぶだろう。



さて、リンゴの音についてネットで検索したら、僕と同じように苦手という人がたくさんいた。普段なかなか共感して貰えない分、嬉しい限りである。政党でも作りたいくらいだ。

みんな異口同音に「味は好きなんだけど」と言っているのも面白い。

そして、書いている人がみんな、その音を思い出して鳥肌を立てながら訴えている感じがほほえましい。

カルトとオカルト

「カルト」という言葉がある。それと「オカルト」って言葉もある。

カルト……崇拝
オカルト……神秘的、超自然的

別の言葉なんだけど、「オカルト」が「カルト」に丁寧の「お」をつけてバカにしたみたいな印象を受ける。

「おバカ」「お笑い」「おフランス」などと同じ「お」に感じて仕方ない。(それにしても、「お」をつけるだけで、何でこんなにバカにした印象になるのだろう)

結果、どちらの言葉も、「怪しいもの、いかがわしいもの」くらいの意味でとらえてしまっていた。

知らなかったというより、そんなに違いを考えたり、意識したことがなかった。

この機に、違うものだということだけでも覚えておこう。

「ネバーエンディングストーリー」と

「ネバーエンディングストーリー」と

「五万円です、一人」は似てる

一人五万は高すぎるだろう

嘘つきのパラドクス問題

「『全てのクレタ人は嘘つきだ』とクレタ人が言った」

という、「嘘つきのパラドクス」というのがある。

彼の言う内容が本当なら、クレタ人である彼の言葉は嘘だから、つじつまが合わないというのである。


これを聞く度に「?」と思う。

「嘘つき」って、「よく嘘をつく人」のことであって、「嘘しか言わない人」のことではないのでは?

というか、まず、嘘しか言わない人などいない。

病気になっても、お医者さんに「どこも悪くありません」と言わなければならないから、真っ先に死ぬ。

僕の感覚では、これをパラドクスということに無理があると思うのだけど、日本語との言葉の感覚の違いなのだろうか。このパラドクスが生まれたところでは「嘘つき」は、嘘しか言わない人のことなのだろうか。

「『全てのクレタ人は嘘しか言わない』とクレタ人が言った」だったら、まあ納得なのだけど。

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