1月28日の夢

郷ひろみが、上半身裸でイベント会場に現れた。大型スーパーのようなところだろうか。

もともと郷ひろみさんはいい体をしているが、さらに鍛え上げられ、SASUKEに出てる人のようにムキムキだった。

傍らには、その上を行くような、笑えるくらい分厚い胸筋のマッチョな外人の男がいる。

その男の腕にペアスケートのリフトのように持ち上げられた郷ひろみは、頭の上にのばされた男の腕の上で、そのまま、片手だけで体を持ち上げ、力倒立を披露した。

「すごい」
「わあ上手」

次々と観客が感嘆の声をあげる。

僕は「”上手”って」と苦笑しながらも、たしかにすごいなと感心しながら見ていた。

ストンと着地すると、イベントの主催者か司会者かわからない外国人が何か手で合図を出す。

その合図が「ここから先が見たければ、チケットは5千円」という意味だと気づいた僕の後ろで見ていた女が興奮気味に「あ、5千円ってことね、絶対見る!」と声をあげ、その周りにいた女たちも、キャーキャー黄色い声をあげながら、チケットを買いに走っていった。

「なんかサクラっぽいな」と思ったが、まあ、サクラでも本物でもどっちでもよかった。

その場にいた大多数が続きを見るためチケット購入に走る中、僕は一人、逆方向に歩き、その場をあとにした。

Q89 健康のために食べているもの、逆に食べないようにしているものはありますか?

A:結論から言うとありません。

強いて言えば、トリカブト、テングタケ、青酸カリなど毒性の強いものは摂らないようにしています。

「食」についても、少し研究はしてします。でも、人によって言うことはばらばらですね。

例えば「サラダ(生野菜)」が体にいいかどうかだけでも意見がわかれます。

野菜は健康に良いというイメージがあるので、サラダは体に良さそうだという一般的な意見の他にもいろいろな見解を耳にします。

・サラダは加熱調理しないので、栄養素が壊れなくてよい
・食物繊維がとれて良い
・サラダはいいけど、ドレッシングや、マヨネーズが高カロリーで油っこくて良くない
・農薬が体に入る危険があるので、無農薬を選ぶべき
・サラダは嵩が大きい分、栄養は少ない。煮込んだ野菜のほうが、栄養は効率的に摂れる
・コンビニのサラダは添加物まみれなので体に悪い

学ぶほどに、どの意見を尊重すればいいのか、さっぱりわからなくなります。

なので、自分のスタンスを決めておきたいところです。

僕の食に対するスタンスは「影響が大きいことは気にするけど、小さいことなら気にしない」です。

僕にとって大きいことは「味が美味しいか」「食中毒にならないか」「食べた後、胃が気持ち悪くなったりしないか(消化にいいか)」「頭や体がちゃんと働いてくれるか」(砂糖のたくさん入った甘いものを摂ると、だるくなる、頭が働かなくなるという話をよく聞くので、甘い物は少し控えめにしようと思っています)など。

小さいことは「賞味期限が一日切れている」「一回ハエがとまった」「食品添加物が含まれている」「遺伝子組み換え大豆を使っている」など。

「あれはダメ、これはダメ」と言っていると、何も食べられないので、あまり神経質になりたくないのです。

遺伝子組み換え食品を嫌がる人が多いですが、僕は全く気にしません。というか、嫌がる人は、なぜ嫌がるのだろう。それが危険だという証拠はほとんどないはずなのに。どうせイメージで判断しているのでしょう。「みんながそう言うから」みたいな。よく知りもしないのに、イメージだけで嫌がるというのは、失礼だと思います。イメージに惑わされず、自分で考えてほしいと思うのですが、残念ながら、そういう人のほうが少ない世の中なのかな。

「食品添加物は怖いよ~」みたいな内容の本も読んだことがありますが、あまり、共感しなかったです。食品添加物のおかげで、腐ったものを食べずに済んでいる面もあるだろうし、添加物なんて、全体から見れば、ほんの少しだろうから、そんな少しくらいなら、体だってどうにかしてくれるだろうと思います。体験的にも食品添加物のせいで体調を崩したことがないですし。

そんなことを気にするより、運動をしたほうが、よほど健康的に生きられるはずだと感じています。

これからも適度に、情報も得ながら、自分にあった食生活を見出したいと思っております。

最近は糖質制限についても学びましたし、石原結實先生の少食健康法についても学びました。

とにかく食べ過ぎない事が大事という、石原結實先生の話は説得力があったし、簡単に出来そうなので、取り入れてみようと、実験中です。

糖質制限は大変そうなので、見送ることにします。(小さいことは気にしないというスタンスからも外れそうですし)。

昨日の夢(今年は、変な夢をみたら報告します)

宇宙空間を、たくさんの大小様々な、奇怪な魚のような生き物が泳いでいた。

宇宙にたくさん生命がいたことに驚いてもよさそうだが、僕はなぜかそれをあたりまえだと思っている。

そして、シーラカンスが、より深い海へ潜っていったのと同じように、鳥も、より高く飛んでいった結果、ああいう生き物に進化したのだという知識を持っていた。

だから、あの生き物たちは、地球外生命体ではなく、地球出身の生き物で、地球の周りにしかいない。これまでに、見つかった宇宙の生命は、全てもともと地球にいたやつだ。

あいつらは結構凶暴だから、宇宙船の外に出ると、食べられてしまうから、絶対に宇宙船から、外に出てはいけない。

そんなことを考えていた。

Q88 尊敬する人は?

A:例えば、医療活動のためにアフリカに行くような人。

さだまさしの「風に立つライオン」みたいな話ですが、実際にそういう人は結構たくさんいるようです。

そういう人には、かなわないなと思います。脱帽です。

ものすごく尊敬しますが、そういう人にはとてもなれそうにないので、別のタイプを目指していくしかありません。

別のタイプ。たとえば、「仕事もうまくいっていて、家庭も大事にして、楽しく生きています」みたいな感じの人。このタイプには、うらやましさを多少は感じるものの、これは尊敬という感じではありません。

そういう人が書いた、自慢だらけの、上から目線の、まるで自分が全て正しいと言わんばかりのビジネス書みたいなのを読むと、イヤな気持ちになります。

「俺はお前みたいになりたいんじゃないんだよ。思い上がるな」と言いたくなります(もちろん彼らには彼らなりの苦労はあるのでしょうが)。

なので、僕が目指すのは、これとも違うタイプです。

いつだったか、宮崎駿さんがうらやましいと書きました。

NHKの「仕事の流儀」で「ポニョ」の制作ドキュメンタリーを見てそう思いました。

頭を悩ませて、ものすごく真剣に映画を作っていました。

宮崎駿さんは、それまでにヒット作をいくつも作ってきているし、お金も十分あるでしょう。お金のためなら、別にやる必要はない立場の人です。いくらでも楽出来たはずの人です(もう引退されましたが)。

その人が、全身全霊で映画を作っている。「うまくいかない」と言って悩んでいる。

僕は、「ネットビジネスを始めたら、こんなに儲かりました」みたいなことより、その生き方の方がかっこいいと思いました。そんなに真剣になれることが、うらやましく思いました。

したがって、僕の目指す人物像は、宮崎駿さんに限ったことではなく、多くのクリエーターや、芸術家や、アスリートや、作家がそうであるように、うまくいかなくても、悩みながら全身全霊で何かやる人です。そういう人が好きだし、そうありたいと思います。

羽海野チカ先生の漫画『3月のライオン』には、各々の問題と真剣に向き合う人々が描かれています。

抱える問題は人それぞれですが、必死に問題に立ち向かう姿には毎度感動します。「これが生きるってことなんだ。それでいいんだ」と教えられたような気持ちになります。そう考えると、生きることは、シンプルになります。うまくやろうとすれば、問題を避けようとすれば、かえって難しくなる。

問題は尽きない。悩みは消えない。でもそれでいい。その方がいい。

そんな風に思います。

いや、思ってないかもしれない。本当はすごく楽に生きたいです。

だから、尊敬するんです。もっと楽な生き方が選べるはずのなのに、そうしない人を。

K+S1+S2=A A≧30000なら旅に出る

今年の過ごし方について考えていた。

今年は、「修業」をテーマにやっていこうということは、前回書いた。一年やり通せば、かなりの成長が期待できると、今のところ、いいモチベーションで臨んでいる。

しかし、このままでは、相変わらずの引きこもり生活を送ることになってしまうだろう。例年通り引きこもってばかりいても、成長の方向が、引きこもりながらできる成長に限定されてしまう。

長い目で見れば、それでも十分なのだが、十分だけでは足りない。「十分」の上にさらに何かを乗せたときはじめて「すばらしい」になる。

商品でも、作品でも、何でもそうだ。「すばらしい」ものは、品質、技術といったレベルが「十分」である上に、さらに何かが上乗せされているものだ。

今年をすばらしくするために、何か出かけるようなイベントを増やしたい。出かけることで「引きこもりにはできない成長」を上乗せできる。

しかし、出かけるイベントを実施するには多少お金もかかる。無計画にお金を使えば、すぐに底をつく程度の収入しか得ていないというのに。どうしたものか。

そこで今日は、脳内軍師と相談して、新しいシステムを作り上げた。

出来上がったのは「お金を節約して、余ったお金で旅行をする」という、引きこもりの僕にしては思い切ったシステムだ。

余ったお金が3万円に達したら1回、旅行を実施する。

旅行といっても、遊ぶのは苦手なので、遊びに行くつもりはない。一人でレジャー施設とかに行っても、どう楽しんでいいのかわからない。「遊べ」と言われるのは僕にとっては苦痛だ。だから、基本的にはどこにも行きたくないし、それゆえ、去年もどこにも行かなかった。

じゃあ、何をしに、どこに行こう? そうだなあ、勉強になるところなら行きたくなくもない。だから、行くなら博物館がいい。博物館を歩き、新しい風を取り込むことで、何か面白いことでも、思いつくかもしれない。

ということで、主に東京の博物館を歩く小旅行に行くことにした。国立博物館、国立科学博物館、ジブリの森美術館、印刷博物館あたりが候補にあがっている。なるべく、都内のビジネスホテルに泊まる1泊プランにしたい。宿泊こそ旅行の醍醐味だ。もちろん「旅行の栞」をきちんと作って携えていくのも忘れない。

脳内軍師に、余ったお金を計算するための計算式を導き出してもらった。

曰く、

「K+S1+S2=A」

である。

Kは「稼いだ値」。求め方は、今月の収入-今月の予算
S1は「節約値その1」、クレジットカード利用予算-実際の利用額
S2は「節約値その2」、現金の使用予算-実際の使用額

この合計によってA「余ったお金」を導くことができる。

もちろん、KやSの数字がマイナスになることもあるだろう。その場合、足し算は引き算になるし、Aもマイナスになってしまうかもしれない。

まあ、どうなるかわかならいが、そうやって、給料日ごとにAの値を導き、その蓄積が3万円に到達したら、それを資金にして小旅行。

これなら、どうせ余ったお金だし、ということで、心配性の僕でも、心配なく使える。

旅行でいくら使ったかにかかわらず、その月でいったんAをゼロに戻し、次の月の給料日からまたA値を貯め始める。

これによって、節約の意識が高まり、無駄遣いが減り、さらに引きこもり体質を改善できる上に、見識が広がる。いいことずくめである。

お金を余らせることは、なかなか難しいとは思うけど、月に1万円余らせるのを目標にして、年に3~4回くらい行けたらいいなと思っている。

Q87 2014年の目標はなんですか?

A:今年のテーマは「修業」です。

「強くなる」にしようかと思っていたのですが、それもひっくるめて「修業」にしようと思います。

肉体的にも、精神的にも自分の弱さと完全に決別したいというのが今年の目標です。

昔から、自分の弱さは大いに悩みの種でした。

子供の頃、サッカーでどけと言わんばかりに体で押してくる奴とか「何でそんなひどいことができるんだろう」と不思議で仕方なかったです。

そうして泣かされて家に帰っては、目の下にくっついた砂よごれをみた母親に「また泣いたの?」と聞かれる日々。

中学では先輩にいじめられて泣く毎日。

高校では、誰とも話ができず「何でこうなってしまったんだろう」と部屋で一人泣く日々。

大学では、「今日こそたくさんしゃべって、楽しく過ごすぞ!」と意気込んで、飲み会に出かけては、帰ってきて泣く日々。

同級生が就職を決めていく中、対人恐怖で人と会話が出来ない人間にとって、就職など、どこか遠い国の名前でした。

このままでは生きていけないと実感した僕は、声の出し方から勉強するためにアナウンスの専門学校に通い、生きるための勉強を始めました。

その後も、生きるための勉強を続けてきたわけなのですが、そろそろ、それも卒業出来そうだという実感が持てるようになりました。

もちろん、生きるための勉強に終わりはないのですが、「弱さゆえに生きられない」という状態からは今年で決着を付けたいです。

具体的には、誰が相手でも、萎縮せず、自分の意見を言える。オドオドしない。平常心を保つ。心が乱れても、すぐに戻れる。自分の生まれつきの弱さを言い訳にしない。

そんなところを一年かけて勉強や試行錯誤をしながら目指したいです。

それで、なぜ「修業」なのか。

内田樹先生の『修業論』を読んだところ、「修業」は、トレーニングとは違って、理論に基づいて「強化」するのではなく、実際にやってみて、初めて新しい感覚をつかむものだということが書かれていて、「強くなる」より、「修業」の方が今の僕にとって必要なんじゃないかと直感したからです。

歯を食いしばって頑張るみたいなことではなく、余分な力を抜いて、冷静に淡々と、面倒、辛い、嫌だと思ってしまいそうなことも、まるで当たり前のように、心を乱さず行う。そんなイメージが僕の「修業」です。苦しむ必要も、努力する必要もないのです。

修業として具体的にやりたいことは

・毎日、朝7時に起きる
・朝、読書をしたり、勉強をする
・筋トレをする

筋トレは理論に基づいた「強化」なのですが、筋トレによって体や気分がどう変わっていくのかは、実際やってみないとわからないので、それは「修業」のうちかなと思います。

もちろん、僕の本職の、執筆業なども、普通にやっていきます。もとい、修業の精神で、まるで普通であるかのようにやっていきます。

新年ツイッターをスタートする

あけましておめでとうございます。

前に言ったとおり、ツイッターを始めました。

というか、僕の脳内秘書の山岸さんにやらせることにしました。

目的は約2つ。

・日記を書く代わりに、やったこととかあったことを記録しておくため
・いろいろな人のツイートを見て視野を広げ、世間知らずを少し緩和するため

山岸さんには時たま、僕が何をしているか(どんなひとり言を言ったか)をツイートしてもらいます。一日数回で十分です。

なんか、変な記号みたいなの、いっぱい書いてる人いるけど、読みにくいから、なるべく、日本語で簡潔に書くようにと、言っておきます。

試しに一年間やってもらいます。

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