歩行者あるある2

道を歩いていて、なんだか下水とかの嫌な匂いがするときあるじゃん。

あのとき、この匂い、自分から出てるんじゃないかって心配になるよね。

未来を掘るモグラ

モグラは穴を掘って、進んでいた。

未来の方に向かって。

もう、どれだけ堀っただろう。

いつまで掘っても、土ばかりで、何も変わらない風景が続く。

「もう、疲れた。掘るのをやめよう」

正面の土の壁を背にして、寄りかかってみると、今まで自分が掘ってきた、土のトンネルがそこに、たしかにあった。

自分以外だれも通っていない、自分だけの道だった。

「よく、ここまで掘ったなあ、でも、何のために掘っていたんだっけ?」

自分の道のずっと奥に、想いを巡らせる。

はじめは、掘ることしかできなかったから、掘り始めた。そのころは、うまく掘れなくて、すぐに手を痛めていた。

だんだん、掘るのがうまくなってきて、手を動かして掘ることが、足を動かして進むことが、楽しくなってきたから掘り進んだ。

そのうちに、何があるのかわからないけど、このままいけば、この先に何かステキなものが待っているような気がして掘り進んだ。

「そうだった。でも今はもう」

今はもう、掘るのも楽しくないし、ステキな何かが待っているような気もしなくなっていた。

変わってしまったんだなあ。あのころとは。なにもかも。

なにもかも?

背にしていた土の壁に向き直った。

掘りはじめたころより、大きく、強くなった手で、その土をえぐってみる。

あっさりと、土は足元に落ちた。

「いや、この先に何があるのかわからないのは変わってない」

モグラは再び、穴を掘って、進んだ。

「あ、そういえば、掘ることしかできないのも変わってないや」

未来の方に向かって。


中村

お笑い芸人のヒューマン中村さんをみると、「あ、ほんとに『中村』っぽいな」と思う。

僕の中では「中村顔」というのがあるような気がして仕方ない。そういう意味ではヒューマン中村さんは仮に「中村」じゃなくても「中村さん」と呼びたくなってしまうくらい、中村顔だなと思う。また、あのマッシュルームのような髪形も、多くの中村さんが好んでしそうなイメージがある。

名字だから、今日に至るまで、結婚、交配によっていろいろな顔の遺伝子が混ざってきているはずで、ただの僕の思い込みだとは思うが、その特徴をまとめるなら

①目が細い。少なくともぱっちり系ではない。つり上がっている場合もある。

②鼻がやや高めで、長め。ひらがなの「し」で書き表せそうな感じ。

この2つを満たせば典型的な「中村顔」である。どちらか1つでも、強く出ていれば十分「中村っぽさ」は出る。逆にどちらも当てはまらない中村さんを見ると「本当に中村さん?」さらには「お前それでも中村か?」とさえ思う。

試しにその辺のメモ用紙に、適当な輪郭を描き、ひらがなの「し」のような鼻を描き、線のような目を2つ書き添え、眉毛と口を適当にくっつけたのち、吹き出しで「中村です」と書いてみれば、誰もその言葉が嘘だとは思わないだろう。

「中村」は特に歌舞伎役者に多く、彼らも中村顔所有者である場合が多い。というより、僕の「中村顔」のイメージはそこから来ているんじゃないかと思う。

またどうでもいい話だった。

ウソは言わない

僕は普段、ウソはつかないことにしている。あまりに正直者なので、『走れ正直者』という歌のモデルは僕だと言われている。そんな僕も、子どもの頃は、意味もなくウソをついていたものだ。昔ついたウソをちょっと思い出した。

その話の前に、改めて、『走れ正直者』って自由でいい歌詞だなあと思う。これが書けるさくらももこさんが本当にうらやましい。

さて、昔『ストリートファイターⅡ』というゲームがすごく流行った。僕はまだ小学生だった。まあ、ご存じだろう。いろいろな国の、8人のキャラクターから一人を選んで、他のファイターたちと対決する格闘ゲームだ。

このキャラクターたちの国籍は、日本だったり、アメリカだったり、中国だったり、ロシアだったり、インドだったり、ブラジルだったりする(ちなみに僕の持ちキャラは、インドのダルシムだった)。

ストリートファイターⅡは大人気だったが、Ⅱということは、ストリートファイターⅠがあるはずだ。でも、だれもストリートファイターⅠについて知っている人がいなかった。そもそも、そんなものが本当にあるのかさえみんな知らなかった。

それで、僕のついたウソというのが、「ストリートファイターⅠ」というがあって、それはⅡと同様、8人のキャラから自分の好きなキャラを選ぶというものだったが、その8人は北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の代表者で、国内の戦いだったというものだ。ちなみに、Ⅱに日本代表として登場するリュウとエドモンド本田はその8人に入っていたというのも付け加えた。

そのウソについて、周りがどんな反応を示したかは、あまり覚えていない。

実際の『ストリートファイター(Ⅰ)』について、今はネットで検索すれば簡単に知ることが出来るが、未だに僕としては、僕のついたウソの『ストリートファイター(Ⅰ)』の方が面白そうな気がする。

2012年総決算

前回の記事に関して、さらに詳しく説明する文を書いたが、いい加減にしろと思われそうなのでやめた。

そこで、今日は今年も残りわずかということで、2012年重大ニュース、ベスト5を発表していこう。

まず第5位 平沢勝栄さんが亡くなる夢をなぜか見る。

いきなり、縁起でもないが、夢だから仕方ない。何か事件に巻き込まれ平沢勝栄さんが亡くなったらしい。しかし、その自宅で、3~4歳のお孫さんと思われる男の子(実際にそんな孫がいるかはわからない、夢の話だ)が大声で、何かしゃべりだした。「若いものがちゃんと働けば、そのパワーが国を変えるんですよ」といった内容の勝栄節の演説だった(実際そんなことを言ったかは知らない、あくまで夢の話)。門前の小僧何とやらで、きっと、この子は何度もこの演説を聞いて、覚えてしまったんだろうなあ。それにしても、しゃべり方が勝栄さんそのものだ。勝栄さんが乗り移ったように演説を続ける天才少年。その姿を見ていたら、感動して涙があふれてきた。

ちなみに僕は政治に関心が薄く、平沢勝栄さんについてほとんど何も知らない。にもかかわらず、こんな物語を急に作り出してしまう脳のクリエイティビティには驚かされる。脳の無限の可能性には驚嘆を禁じえない。


第4位 ジュディ・オングの名前忘れる

あの『魅せられて』歌っていた人誰だっけ? 名前が出てこないよ。

「ウィンディズブロウインフロムジエイジャ~ン」って言いながら、クジャクみたいに両手を広げる感じの。タイトルが「みせられて」だから、たぶんあれはコートの下に何も着てないおじさんが、コートを広げるところを表現しているんだろうけど・・・。

ルビー・モレノじゃなくて・・・。ゴリライモじゃなくて・・・。

ってなった。結局思い出せたけど、年をとると、こうやってどんどん人の名前忘れていくんだろうなと思った。


第3位 『ARIA』面白かった

前に少し触れたマンガ、『ARIA』は人生変わりそうなくらいよかった。読み終わった後、世界がいつもより美しく感じられた。

最近は『ましろのおと』というマンガも読んだが、こちらもよかった。他には『ばらかもん』とか『3月のライオン』とか『あさひなぐ』『おおきく振りかぶって』などが僕の好きなマンガである。なんとなく傾向が見えるだろうか。


第2位 ロンドンオリンピックを見たりした

もうさんざん書いてきたからいいだろう。次行こう。


第1位 歯が痛くなった

そうこれ。詰め物が取れたのが2年ほど前だが、「歯医者嫌だ」「面倒くさい」などの、やむを得ない事情で放っておいたら、ついに痛み出したので、歯医者に通い始めた。治療には数カ月かかる見込み。

ロンドンオリンピック終わる

オリンピックも終わってしまった。まさか終わるとは思わなかった。テレビをつけてもやっていないなんて、寂しいものだ。

今回もたくさんのドラマがあって、面白かった。メダルの期待された選手が、惜しくも敗れたり、逆に、予想以上の快進撃でメダルを獲得したり。

特にフェンシングとか、奇跡を見たようだった。あと、卓球とか、バレーボール、バドミントンも素晴らしい快挙だった。

だが、僕にとって、今回のオリンピックでの最大の感動はやはり、体操の内村選手の個人総合金メダル。

僕も体操経験者なので、選手たちの動きを見ながら、その体の感覚を経験を頼りに、想像しながら見ていた。

その体操競技での金メダルは、感慨深さもひとしおである。

そして、体操部時代のことも少し思い出す。

鉄棒で手の豆を何度もつぶしたこと。

何度も頭をぶつけながら、やっとバク転を体得したこと。

あと、先輩たちのいじめの標的にされたこと。



――中学に入学後、体操部に入部することにした。男子体操部と女子体操部と新体操部があったが、レオタードを着たくなかったので、男子体操部を選んで入った。

しかし、気が弱く、運動がもともと苦手だった僕が、こいつはダメなやつだと烙印を押され、あたり散らしの対象となるまで、そう時間はかからなかった。

何かダメなところを見つけては、それをあげつらうというやり方で、彼らは、自分を正当化しつつ、気分良く、僕に対して、いじめを行った。

あるときは、跳び箱の上で倒立の姿勢になるということが、なかなかできない僕にしびれを切らし
「もっと強く蹴れって言ってるだろ! なんでできねえんだ」「ほら早くやれよ」と耳元でがなり散らした。

あるときは、僕に無理矢理、筋トレを散々やらせた(いわゆるしごきというやつ)あとで
「お~い。こいつ本当に力がないんだぜ。ひどいよ。おい、腕立て伏せ10回やってみろ」
疲れきっている僕は、腕立て伏せを10回やる力も残っていなかった。
「10回も出来ねえのかよ。普通10回くらいできるだろ。(他の一年に)。なあ、お前ちょっと腕立て10回やってみ(彼はしごきを受けていないので、当然、普通に10回できる)な、できるよな。こいつ10回もできないんだぜ。どう思う? ひでえだろ」

そうやって、無理にでもダメさを露呈させては攻撃してくるのである。彼らは、こいつがダメなのが悪いだから自分には怒鳴りつける権利があると信じていたのろう。いじめているという認識もなかったのかもしれない。こいつがやる気がなく、ダメだから教えている、説教している、そしてそれは当たり前のことなのだと思って、何の罪悪感もなくそうしていたのだろう。

一度、こいつは、ダメなやつだから、いじめて構わない。いや、そうするべきなのだという雰囲気ができあがると、嵩にかかってひどくなる。

「おめえは何やってんだよ、早くしろよ!」
「はっきりしゃべれ、この野郎」
「何、泣いてんだ! 泣きたいのはこっちだよ!」

僕は毎日のようにあからさまに、イライラや舌打ちをぶつけられ続けた。

とうとう、いままで傍観していた同級生からも、
「おら、立てよ、やる気あんのかよ」
と胸ぐらを掴まれ、座って休んでいるところを、無理矢理立たされたりした。彼もまた、この国の多くの人が目指す、みんなから愛される「空気の読めるいい子」である。ちなみに、そんな態度をいつもとられていて、やる気満々なわけはない。

何をしても、どう動いても、少し間違えば、または、気に入らなければ、彼らは文句をつけてどなり散らした。僕は、どうすればいいのかわからなくなり、ただ、怯えてビクビクしているしかなかった。すると、その態度にますます、彼らは腹を立て、図に乗って襲いかかってくる。

もう怖くて、嫌で仕方なくて、練習を休んだりしたが、そうすると、今度はそれをネタに罵られた。

逃げ場も、拠り所もなく、ただ、そんな日々を耐えるしかなかった。

先輩に「お前見てるとムカつくんだよね。何でなんだろう?」と真剣に言われたこともあった。そうか、僕は、ただそこにいるだけで、人を嫌な気持ちにする人間なんだなと、悟ったような、妙な気持ちになった。

自信を失い、あきらめだけが残った。

もうその頃には、感情を表に出すことがほとんど出来なくなっていた。「みんなと同じように笑う資格などお前にはないのだ」という目が常に向けられているように思えてならなかった。何を言われても、無表情で「はあ」「はい」「いや」「まあ」など、適当に返して、嵐が早く通り過ぎるのを祈った。心で泣きながら、感情を必死で殺した。そうして、自分を守った。

ちなみに、この傾向はその後、高校に入ってからより強くなる。元来、人の気ちを酌んだり、察したりするのは得意なはずだったが、なるべく、人の気持ちを考えないように、関心を持たないように、自分のことだけ考えるように、つまり、自分の殻に閉じこもるようになっていった。いっそ何も感じなくなってしまえばいい。心なんて無くなってしまえばいいとさえ思うようになる。その結果、相当に自分勝手な人間になったが、それはまた別の話。

さて、自分でも不思議なのは、それでも体操部を辞めなかったことだ。辞める勇気もエネルギーもなかったのだろう。3年間続けた。何があっても、ただ黙々と練習を続けた。

その結果、最終的には、それなりに上達し、戦力にもなり、周りからも信頼されるようになった。技が出来るようになると、褒めてもらえることもあったし、嫌なことばかりでもなかった。同級生たちとも和解し、彼らとなら仲良く話せるようにもなった。

これが、僕の中学時代。今となってはもう、笑い話である。だが、心の傷は相当深かったようで、未だに傷痕は消えずに残っているようだ。

それから、人間不信をひきずって人と接することが出来なくなっていた僕は、死にたくなるような、暗黒の高校時代に突入していくが、それもまた別の話。


オリンピックの話とだいぶそれたが、過去を持ちだして、僕のしたかったことは、自分の不幸を嘆くことではない。(今は別に、不幸だとも思っていない。)多少こじつけ感もあるが、この過去と、オリンピックを一つの例として考えて、今後の戒めというか、参考にしたい。

体操の団体で、内村選手の鞍馬の着地に関して、採点で一騒動あった。結果、順位が入れ替わって2位になったが、内村選手は「2位も4位も変わらない」と言った。

わかる気がした。結局、それは採点の問題で、演技自体が変わるわけじゃない。どれだけ悔しくても、やり直せるわけじゃない。ミスがあったことに変わりはないのだ。その自分の中での絶対的事実に対して、採点者がどう評価し、判断するかは大きな問題ではなかったのだろう。そんな彼が、個人総合で金を取れたことは、本当によかった。

彼に限らず、オリンピックに出る選手たちは、そういった全てを、結果として受け入れる。オリンピックのために、すごく練習して、思い通り結果が出せたり、すごい練習したのに、うまくいかなかったり、それも全て、彼らの人生なのだ。彼らは、自分の人生として、それを受け止めるのである。

同様に、今僕が生きているこれは、僕の人生なのだ。誰が、どう思おうと、何を言おうと、何が起きようと、どういう結果になろうと、それは動かない事実だ。だから僕も、彼らがそうするように、受け入れたい。

僕の今までの人生は、そんなに順風満帆とはいかなかった。だからといって、いつまでも被害者面で、それを嘆いて誰かの同情を勝ち取ったとて、本当に幸福にはなれないだろう。

不幸な人生になったのは、俺のせいじゃないんだから、誰か取り替えてくれといっても、誰にも取り替えてはもらえないのだ。結局どう生きて、どう思うかは、最終的に、自分の責任なのである。

ならば、本当に自分がするべきことは何なのか。

今後、自分のせいとは言えないような被害にあった時、どうするべきなのか。

そういうことを考えたオリンピックだった。


なでしこジャパン決勝

そんなわけで、なでしこジャパンの決勝、アメリカ戦も見てみた。

面白かった。いい試合だった。アメリカに敗れはしたが、本当にいい試合だった。

特に、大儀見、大野、川澄、澤、宮間ら攻撃陣のセンスの光るプレーから決定的なチャンスを作るシーンがたくさん見られて、本当に日本は魅力的なチームだなと感じた。

同時にアメリカもまた、強くていいチームだと思った。特にゴールキーパーの人の顔が醸し出す存在感とか。もし僕がアメリカ人だったら、アメリカを応援していただろう。

アメリカは、リードしていても、あからさまに卑怯な時間稼ぎもしてこなかったし(もちろん、日本が得点できるように急いでもくれなかったけど、それは当然として)、結構フェアプレーだったので好感が持てた。最高の相手と、最高のゲームが出来たという、充実の決勝戦だったように思う。

僕はなでしこジャパンを誤解していた

イギリスとの時差を恨みながら、オリンピックを観戦する日々である。みんなでオールをこいで、日本をもう少しイギリスに近づけてもいいんじゃないかと思う。

6日の深夜も、寝不足覚悟で、なでしこジャパンの準決勝、フランス戦を見ていた。実は、なでしこジャパンの試合をちゃんと見るのは今回が初めてだ。いままでは、ニュースで結果だけ知ったり、ゴールシーンのみ見た程度である。

結果は見事、フランスに対して、勝利を飾り、決勝に進出したわけだが、僕のなでしこジャパンに対するイメージは変わった。僕はなでしこジャパンを誤解していた。

ワールドカップ優勝。そしてオリンピックも、ここまで順調に勝ちあがってきた。そのことから、なでしこジャパンは、世界王者級、世界屈指の強さを誇る強豪というイメージを持っていた。

だが、フランス戦で、僕の見たなでしこは、思っていたような、相手を圧倒するような強さではなかった。

この試合、押していたのはフランスで、特に後半は激しくフランスに攻め込まれ、日本は防戦一方、何度もピンチを迎える苦しい展開だった。最終的に、シュートの数、日本4に対して、フランス27。この数字を見ても、苦しい戦いだったことが見て取れる。

それでも日本は2ー1で勝利している。これは何なんだろう。

調べてみると、その前のブラジル戦も、ワールドカップのドイツ戦やアメリカ戦も、やはり、相当攻め込まれる苦しい展開だったらしいのである。実力が上といえる相手に、不利な試合展開の末、勝利していたのである。格闘ゲームのラスボスを倒すみたいなギリギリの勝利を、何度も何度も重ねていたのだ。その難しさは、実力の劣る相手に普通に勝つことの比ではないはずだ。

これらは、運が良くて勝ったのだろうか? もちろん勝負に運はつきもの。だが、フランス戦を見る限り、それだけには見えなかった。

4本のシュートのうち、2本は決まり、残りの2本も確実に相手ゴールを脅かすものだったところからも、少ないチャンスでしっかり決めていることがわかる。その勝負強さとゴール感覚。守るべきときには組織的にしっかり守る守備力。相手をしっかり研究して、各選手がやるべきことをやるという、準備と戦略。そしてなんといっても、勝利への執念と精神力。これらがそろっているからこその勝利と言えるだろう。

なでしこジャパンは確かに強かった。でも、その強さは、単純なサッカーのレベルの高さというより、ちょっとでも気を抜いたら、やられてしまうような試合の中で、強い執念でゴールを死守し、不利な試合をも、ものにしてしまう強さ、もっと大袈裟に言えば、不可能を可能にする強さだった。

彼女たちは、僕の想像以上にすごいことをやっていた。

なんと素晴らしいことだろう。たった1試合見ただけで、ここまでわかったようなことを言える僕って。

次の決勝、アメリカ戦で、この強さが本物であるところを見せてほしい。

歩行者あるある

道を歩いてて、そのへんに停めてある車の横を通り過ぎるとき、車の窓に自分の姿が映る。

そのとき、「髪形、変になってないかな」とか「今日もいい男だなあ」とか確認したりするよね。

でも、その車に人が乗っていたとき、すごい驚くよね。あと、すごい気まずい。


ドラスティック

何度聞いても覚えられない言葉ってある。

僕にとっては「ドラスティック」がそれである。

どこかで「ドラスティック」と聞くたびに、「それどういう意味だっけ?」となって、その都度調べるのだが、次に聞く頃にはもう忘れている。「ドラマチック」と似ているなあと思うところも毎回同じである。

この際なので、僕の中では「ドラスティック」は、ドラえもんの映画を見に行くと、映画館でもらえるやつだと思うことにしようと思っている。なんか棒の先にドラえもんの人形みたいなのがくっついているやつ。

コマーシャルでも「ドラスティックもらえるよ♪」って言ってたような気がする。

「ムヒ」の名前の由来は「無比」

かゆいなーと思って、あせもにムヒを塗ったら、すげーのが来た。ビッグウェーブが来た。

笑えるくらい痛くて気持ちよくて、スーっとして冷たくて、ヒリヒリして熱い。おかげでかゆさは感じない。

そして収まった頃には、もう痛くもかゆくもなくなった。

なんかちょっと寂しくなった。またあせもできないかな。


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