ロンドンオリンピック終わる

オリンピックも終わってしまった。まさか終わるとは思わなかった。テレビをつけてもやっていないなんて、寂しいものだ。

今回もたくさんのドラマがあって、面白かった。メダルの期待された選手が、惜しくも敗れたり、逆に、予想以上の快進撃でメダルを獲得したり。

特にフェンシングとか、奇跡を見たようだった。あと、卓球とか、バレーボール、バドミントンも素晴らしい快挙だった。

だが、僕にとって、今回のオリンピックでの最大の感動はやはり、体操の内村選手の個人総合金メダル。

僕も体操経験者なので、選手たちの動きを見ながら、その体の感覚を経験を頼りに、想像しながら見ていた。

その体操競技での金メダルは、感慨深さもひとしおである。

そして、体操部時代のことも少し思い出す。

鉄棒で手の豆を何度もつぶしたこと。

何度も頭をぶつけながら、やっとバク転を体得したこと。

あと、先輩たちのいじめの標的にされたこと。



――中学に入学後、体操部に入部することにした。男子体操部と女子体操部と新体操部があったが、レオタードを着たくなかったので、男子体操部を選んで入った。

しかし、気が弱く、運動がもともと苦手だった僕が、こいつはダメなやつだと烙印を押され、あたり散らしの対象となるまで、そう時間はかからなかった。

何かダメなところを見つけては、それをあげつらうというやり方で、彼らは、自分を正当化しつつ、気分良く、僕に対して、いじめを行った。

あるときは、跳び箱の上で倒立の姿勢になるということが、なかなかできない僕にしびれを切らし
「もっと強く蹴れって言ってるだろ! なんでできねえんだ」「ほら早くやれよ」と耳元でがなり散らした。

あるときは、僕に無理矢理、筋トレを散々やらせた(いわゆるしごきというやつ)あとで
「お~い。こいつ本当に力がないんだぜ。ひどいよ。おい、腕立て伏せ10回やってみろ」
疲れきっている僕は、腕立て伏せを10回やる力も残っていなかった。
「10回も出来ねえのかよ。普通10回くらいできるだろ。(他の一年に)。なあ、お前ちょっと腕立て10回やってみ(彼はしごきを受けていないので、当然、普通に10回できる)な、できるよな。こいつ10回もできないんだぜ。どう思う? ひでえだろ」

そうやって、無理にでもダメさを露呈させては攻撃してくるのである。彼らは、こいつがダメなのが悪いだから自分には怒鳴りつける権利があると信じていたのろう。いじめているという認識もなかったのかもしれない。こいつがやる気がなく、ダメだから教えている、説教している、そしてそれは当たり前のことなのだと思って、何の罪悪感もなくそうしていたのだろう。

一度、こいつは、ダメなやつだから、いじめて構わない。いや、そうするべきなのだという雰囲気ができあがると、嵩にかかってひどくなる。

「おめえは何やってんだよ、早くしろよ!」
「はっきりしゃべれ、この野郎」
「何、泣いてんだ! 泣きたいのはこっちだよ!」

僕は毎日のようにあからさまに、イライラや舌打ちをぶつけられ続けた。

とうとう、いままで傍観していた同級生からも、
「おら、立てよ、やる気あんのかよ」
と胸ぐらを掴まれ、座って休んでいるところを、無理矢理立たされたりした。彼もまた、この国の多くの人が目指す、みんなから愛される「空気の読めるいい子」である。ちなみに、そんな態度をいつもとられていて、やる気満々なわけはない。

何をしても、どう動いても、少し間違えば、または、気に入らなければ、彼らは文句をつけてどなり散らした。僕は、どうすればいいのかわからなくなり、ただ、怯えてビクビクしているしかなかった。すると、その態度にますます、彼らは腹を立て、図に乗って襲いかかってくる。

もう怖くて、嫌で仕方なくて、練習を休んだりしたが、そうすると、今度はそれをネタに罵られた。

逃げ場も、拠り所もなく、ただ、そんな日々を耐えるしかなかった。

先輩に「お前見てるとムカつくんだよね。何でなんだろう?」と真剣に言われたこともあった。そうか、僕は、ただそこにいるだけで、人を嫌な気持ちにする人間なんだなと、悟ったような、妙な気持ちになった。

自信を失い、あきらめだけが残った。

もうその頃には、感情を表に出すことがほとんど出来なくなっていた。「みんなと同じように笑う資格などお前にはないのだ」という目が常に向けられているように思えてならなかった。何を言われても、無表情で「はあ」「はい」「いや」「まあ」など、適当に返して、嵐が早く通り過ぎるのを祈った。心で泣きながら、感情を必死で殺した。そうして、自分を守った。

ちなみに、この傾向はその後、高校に入ってからより強くなる。元来、人の気ちを酌んだり、察したりするのは得意なはずだったが、なるべく、人の気持ちを考えないように、関心を持たないように、自分のことだけ考えるように、つまり、自分の殻に閉じこもるようになっていった。いっそ何も感じなくなってしまえばいい。心なんて無くなってしまえばいいとさえ思うようになる。その結果、相当に自分勝手な人間になったが、それはまた別の話。

さて、自分でも不思議なのは、それでも体操部を辞めなかったことだ。辞める勇気もエネルギーもなかったのだろう。3年間続けた。何があっても、ただ黙々と練習を続けた。

その結果、最終的には、それなりに上達し、戦力にもなり、周りからも信頼されるようになった。技が出来るようになると、褒めてもらえることもあったし、嫌なことばかりでもなかった。同級生たちとも和解し、彼らとなら仲良く話せるようにもなった。

これが、僕の中学時代。今となってはもう、笑い話である。だが、心の傷は相当深かったようで、未だに傷痕は消えずに残っているようだ。

それから、人間不信をひきずって人と接することが出来なくなっていた僕は、死にたくなるような、暗黒の高校時代に突入していくが、それもまた別の話。


オリンピックの話とだいぶそれたが、過去を持ちだして、僕のしたかったことは、自分の不幸を嘆くことではない。(今は別に、不幸だとも思っていない。)多少こじつけ感もあるが、この過去と、オリンピックを一つの例として考えて、今後の戒めというか、参考にしたい。

体操の団体で、内村選手の鞍馬の着地に関して、採点で一騒動あった。結果、順位が入れ替わって2位になったが、内村選手は「2位も4位も変わらない」と言った。

わかる気がした。結局、それは採点の問題で、演技自体が変わるわけじゃない。どれだけ悔しくても、やり直せるわけじゃない。ミスがあったことに変わりはないのだ。その自分の中での絶対的事実に対して、採点者がどう評価し、判断するかは大きな問題ではなかったのだろう。そんな彼が、個人総合で金を取れたことは、本当によかった。

彼に限らず、オリンピックに出る選手たちは、そういった全てを、結果として受け入れる。オリンピックのために、すごく練習して、思い通り結果が出せたり、すごい練習したのに、うまくいかなかったり、それも全て、彼らの人生なのだ。彼らは、自分の人生として、それを受け止めるのである。

同様に、今僕が生きているこれは、僕の人生なのだ。誰が、どう思おうと、何を言おうと、何が起きようと、どういう結果になろうと、それは動かない事実だ。だから僕も、彼らがそうするように、受け入れたい。

僕の今までの人生は、そんなに順風満帆とはいかなかった。だからといって、いつまでも被害者面で、それを嘆いて誰かの同情を勝ち取ったとて、本当に幸福にはなれないだろう。

不幸な人生になったのは、俺のせいじゃないんだから、誰か取り替えてくれといっても、誰にも取り替えてはもらえないのだ。結局どう生きて、どう思うかは、最終的に、自分の責任なのである。

ならば、本当に自分がするべきことは何なのか。

今後、自分のせいとは言えないような被害にあった時、どうするべきなのか。

そういうことを考えたオリンピックだった。


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