Q5 今までで一番ラッキーだったと思う出来事は何ですか?

A:生まれてこれたことです。

それがなければ、いいこともわるいことも何も始まりませんでしたから。

僕が生まれなかった可能性の数は、数字で表せば、それこそ天文学的なものになるでしょう。

例えば、両親の間に、僕とは違う誰かが生まれて、僕が生まれてこれなかった可能性でさえ、ぞっとするくらいあったはずです。

でも、そんな途方もない数の可能性の中から、僕が今ここにいるという現実がある。

どんな可能性の低いことでも、起こってしまえば、それがただひとつの現実であるということが、不思議で仕方ないし、怖くてたまりません。

そして、これから先、どんな現実が待っているのか、全くわかりません。わかることは、これからもとんでもない量の可能性があるのに、現実に起こることは一つだけで、起こってしまえば、もうあとに戻ることは出来ないということ。その現実を受け入れることしかできないということです。

何があってもおかしくなかった過去を通り越して、今この現実がある。

僕が今ここにいることを含め、あたりまえのことなんて何もないんだなあと思います。

だからといって、産んでくれた親に感謝などと言うつもりはありません。

親は僕を産もうとしたわけではありません。生まれてきたのが僕だったのです。

言葉は悪いけど、親にとっては、僕である必要はなかったわけです。だから親に感謝するのは、育ててくれたことの方です。

僕が生まれたのは本当に偶然です。だからこそラッキーだと思うのです。

僕が生まれる必然性は全くなかった。だけど僕は生まれた。だからありがたいのです。

僕はたぶん世界に必要ない。いなくてもいい。

でも、いなくてもいいからこそ、いてもいいのだと思える。

何にも縛られずに、思う存分生きればいいと思える。楽な気持ちでいられる。


人は、生まれてきた意味を探します。

しかし、探すほど、そんなものはないということに、気づき始めます。自分だけでなく、世界そのものにさえ、意味などないのだと、気づき始める。実存は本質に先立つというのはどうやら本当なのだと。

そこには宿命も、義務もなく、ただ果てしない自由だけがあります。

自由ということは、多くの可能性から、あらゆることを自分自身で選択して行かなければなりません。そして、その選択がただひとつの現実を作っていきます。

どんな結果になっても、誰のせいにもできない。責任は自分にある。

でも、すべての意味が、あらかじめ定められた世界に生きるより、きっと、そのほうがいい。

なんでもない自分が、なんでもない世界を、自由に生きることができる。

もともと意味のない世界を、自分で意味を作りながら、生きていく。

言い換えれば、自分が主人公になって、自分の物語を作りながら生きていく。

それは、生まれてこられたものだけの特権なのでしょう。

そういったわけで、生まれてこられたことが、一番ラッキーだったことです。

二番目は、子供のころ、ドラクエのカードゲームをゲームショップで見かけ、値段が書いていなかったので店員さんに聞いたところ、「う~ん、わからないから100円でいいよ」と100円で売ってもらえたことです。


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