自由律俳句

ちょっと前に、伊集院さんの朝のラジオで、「自由律俳句」についてやっていた。

自由律俳句の先生を呼んで、いろいろその世界について話をしていた。

自由律俳句というと、有名なのが
咳をしても一人(尾崎放哉)
確かにこれはすごい。こういう感じのやつが自由律俳句だ。

芥川賞作家の又吉直樹さんなども、せきしろさんという方と一緒に自由律俳句の本を出している。

まさかジープで来るとは (幻冬舎文庫)
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確かに、すごく面白い世界なのだけど、なんというか「一言ネタ」のような世界でもあって、「自由律俳句研究家」とか「自由律俳人」みたいな職業があることが、なんだか「え? そんな職業あっていいの?」という気持ちになる。

だって、そんなもの、適当にいくらでも作れるじゃないか。

「箸袋を丸め終わっても飲み会は続く」

「ようやくイチローの打順だ」

「良かったあの子も手を挙げている」

「蚊以外の何者かに刺された跡」

「やっぱり今日があったじゃないか」

「努力とお金は遠い親戚」

「お隣の買い物かごにも梨ふたつ」


最後のは普通の俳句か?

僕が、こうやって適当に作ったやつと、本物の自由律俳句は違うのだろうか?

違うとしたら何が違うの?

違わないなら、僕も「俳人」と名乗っていいのかな?

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