罪を犯さないのは、正しい人間だからではなく、恵まれているから

罪を犯すことなく生きられるということは、とても恵まれているということだと思う。

ごく普通の人が、何かの拍子に犯罪者になることは十分にあり得ることだと思う。

そういうことを描いた小説や映画もあるだろう。

自分と犯罪は無関係と線を引くのではなく、罪を犯さなくても生きていられる、罪を犯すような状況に出会わずに済んでいる今の自分の幸運を自覚するべきなのだ。

まして、自分が正しい人間だから罪を犯さない、自分には「悪の心」がないから犯罪者になることはないだろうなどと考えることは大きな思い違いだ。

正しい人間なんてどこにもいないし、悪の心を持った人間もいない。

人間に正義も悪もない。

「正しい」というのは概念に過ぎず、子供の頃、周りの大人たちから厳しい口調で言われたとか、「これが正しいですよ」と、繰り返し唱えられてきたことの積み重ねによって作られている。社会を成り立たせるために”人が”作った物だ。

その程度のことが、人間に備わった本能、突発的な衝動、脳内物質の作用、条件反射、学習回路……、そういったものに勝てるはずがない。それらは人が作ったものではなく、それが人だからだ。



誰にだって、過ちを犯す可能性はある。

ひょっとしたら、その時、こんな風に思うかもしれない。

「なんで? 何が悪いの? だって仕方ないじゃん。そうするしかなかったじゃん。ああすればよかった、こうすればよかったなんて、安全な場所で冷静に考えられる人ならいくらでも言えるよ。でも、その時はそうするしか自分の中で選択肢が無かったんだよ。悪い選択肢を選んだんじゃないんだ。悪いのを選んだのなら悪いけど、選択肢が他になかったんだ」

『人を動かす』という有名な本に書いてあったが、どんな極悪人と言われる人も、自分が悪いとは思っていないらしい。

仮に精神に異常があって、犯罪を犯しやすい性質をもった人であっても(あればなおさら)、自分の責任だとは思わないだろう。そういう性質に生まれてしまったのがいけないのであって、自分が悪いわけではないと言いたいことだろう。

つまり、純粋な悪意によって悪がなされることなど、ほとんどないのである。

もちろん、やってしまったことに対して責任は取らなければならない。同じことを繰り返さないように、同じ悲劇が起こらないように……。

だが、犯罪者であっても、人権は守られなければならない。

罪人はけなしていいのだ、差別したり、人格を否定したり、貶めたりしてもいいのだ。そういう考えが、なぜ、ずっとまかり通っているのだろう。

犯罪者を擁護するなとか、犯罪者を守るなとか、そんな悲しいことは言わないで欲しい。同じ人間なんだから。

自分だって、その立場になるかもしれないということを自覚していれば、それがわかるはずだ。

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