俳句をやる人=真面目

僕は自分のことを真面目だと思ったことはない。

真面目な人だと誤解されている節があるけど、少なくとも自分では真面目ではないと思っている。

真面目な人は俳句をたしなむ。でも、僕は俳句を詠まない。このことからも、僕が真面目でないことがわかる。

俳句を好む人を見ると「真面目だなあ」と思う。

俳句って、「趣深いですねえ」みたいなのを感じる言葉の芸術ってことだと思う。もちろん、その良さがまったく分からないとか、何も感じませんということはない。

ただ、俳句は、なにか欲望をかき立てられるとか、胸が熱くなるとか、ゲラゲラ笑ったり、ドキドキするようなものではない。マンガとか、テレビとかに目を向けると、正直こっちの方が楽しいと思う。

「俳句をやるくらいなら、他に楽しいことがいくらでもあるのに」が本音である。

そういう感覚だから、俳句をやる人は、堅苦しい大人の趣味に我慢して付き合える人というイメージであり、すなわち真面目だなあと思うのである。

また、五七五と季語というルールに従うみたいなところからも真面目さがうかがえる。

実際、バイクが好きな不良はいても、俳句が好きな不良はいないと思う。

だから、僕の提案として、いままで曖昧だった「真面目な人」の定義を、「自らすすんで俳句をやる人」ということにしたらいいと思う。


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