喉と声

自分の弱点をさらけだせる人は素敵だと、聞いたことがある。

僕の弱点の一つに「喉の話に弱い」というのがある。喉。咽。のど。表記の仕方はいろいろあるが「喉」にしておこう。

喉の異常や病気の話にはすごくストレスを感じてしまう。喉は繊細な場所というイメージがあるからなのだろうか。同じ体の一部なのに、喉、特に声帯には、明らかに他とは違う特別な感情を抱いてしまう。

例えば「喉から血が出る」は「肘から血が出る」の10倍くらい怖い。「喉にポリープができた」ときくと「胃にポリープが出来た」の3倍くらい、「足の裏にポリープが出来た」の15倍くらい重症に思えてくる。「歌手が喉のポリープの手術をした」というニュースを聞いた時も、血の気が引いていくような感じがした。

もんたよしのりさんが、ハスキーボイスを獲得するために、大声で叫び続けて、声を潰した話を聞いたときも、こちらが大声で叫びたくなるくらい、不快感があった。もちろん「声を潰した」という話にたいして、なぜか感じた不快感で、声に対する不快感ではない。

朴璐美さんが鋼の錬金術師エドワード・エルリックを演じる際、声をわざと潰して臨んだというエピソードを聞いた時も凄くストレスを感じた。「戻らなくなっちゃったらどうするんだよ」とも思った。

「トリビアの泉」で、少年が声変わりする瞬間をとらえたレコードがあるといった内容のトリビアが紹介されたことがあった。声変わりが起こる前後に歌を歌って、それを記録したものだったのだが、最初に声が変わる前の、子どもの声が出てきて、その段階でかなりの胸騒ぎがした。案の定そこから、日付けが先に進んでいく。明らかに変わっていく声。ストレスで悶絶し、気がおかしくなりそうだった。「もうやめてくれー」と叫びたかった。そんな状態で歌を歌わせるなんて酷い、人間のやることじゃないと思った。

こうして書き出してみると、喉というより「声」に対して弱いのかもしれない。強い不快感が先立つので、理由は分からないが、声には、顔のように、その人自身を示す重要な役割があるから、無くなったり、変わったりすることに抵抗を覚えるのかもしれない。

喉や声の話に不快感を感じるのは、僕だけじゃないだろうけど、僕はかなり重症の部類に入る気がする。

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