嘘つきのパラドクス問題

「『全てのクレタ人は嘘つきだ』とクレタ人が言った」

という、「嘘つきのパラドクス」というのがある。

彼の言う内容が本当なら、クレタ人である彼の言葉は嘘だから、つじつまが合わないというのである。


これを聞く度に「?」と思う。

「嘘つき」って、「よく嘘をつく人」のことであって、「嘘しか言わない人」のことではないのでは?

というか、まず、嘘しか言わない人などいない。

病気になっても、お医者さんに「どこも悪くありません」と言わなければならないから、真っ先に死ぬ。

僕の感覚では、これをパラドクスということに無理があると思うのだけど、日本語との言葉の感覚の違いなのだろうか。このパラドクスが生まれたところでは「嘘つき」は、嘘しか言わない人のことなのだろうか。

「『全てのクレタ人は嘘しか言わない』とクレタ人が言った」だったら、まあ納得なのだけど。

「魔法」について

アニメやゲームの世界では「魔法」がよく出てくる。

「『魔法』が普通に存在する世界」などというキャッチコピーもよく目にする。


でも、僕が思うに、もし本当に魔法が普通に存在する世界があったら、おそらくそれは、「魔法」とは呼ばれない。


今、地球で暮らしている我々が思う科学や、物理の常識から逸脱した、不思議なことが「魔法」と呼ばれるのであって、それが普通にあるのなら、それは、科学や物理の範疇になる。どんな不可解な現象であれ、何度も再現可能であれば、それは、「そういうものだ」と認められることになり、「魔法」という概念にくくられることはない。一つの「現象」と見なされる。


例えば「磁石」は不思議な動きをするけど、別に「魔法石」とは呼ばれていない。磁石は「実際に存在する」から、だれも魔法だと思っていないのである。


アニメやゲームに出てくる魔法も、もし本当に存在していたら、誰も魔法だとは思わない。


これは、つまり、言葉の使い方の問題だ。


物語を作るとき「よし『魔法』が出てくる話にしよう」と考えている人は、少し、そのことを考えて「魔法」という言葉をすぐ採用せず、オリジナルの概念を作ってみるなどすると、独特な世界観が生まれてよいのではないだろうか。

禁煙喫煙問題

エレベーター開閉ボタン問題以外で紛らわしいのが「喫煙」と「禁煙」。

どちらも発音すると「き」で始まる。

逆のことなのに、一音しか違わない。

ファミレスの人には「喫煙、禁煙のご希望は?」と聞かずに「たばこはお吸いになりますか?」と聞くように統一してほしいものである。

そうしないと、たばこを吸いたいけど「つ」の発音が下手で、どうしても「ん」に聞こえる音になってしまう人は、かわいそうに、いつも禁煙席に案内されてしまう。

その人は、床屋に行って髪を短く切ってもらおうと思ったら、ズボンを短く切られてしまうという問題も抱えているが、それはまた別の話。

電子マネーは持たないことにする

電子マネーは、チャージが必要だったりするが、それがくせ者なのである。

電子マネーの話ではなく、ゲームのダウンロード販売の話だけど、一本600円でダウンロードできるというゲームがやりたくなった。


購入しようとしたら、いったん1,000円支払って、そこでだけ使えるポイント的なものに変えなければならず、400円分は余ってしまった。


そのあと、もう一本600円のゲームを購入したくなったが、400円では足りない。


そのために、もう1,000円課金しなければならず、600円のゲーム2本買うために、2,000円払わなければならなかった。


残りの800円は余らせて使わないまま死に金となるか、欲しくもないゲームを買うしかない。


これでは、一本1,000円で買ったのと同じようなものである。


僕が今まで電子マネーの入会を断ってきたのは、これと同じようなことになりそうな気がするからだった。


電子マネーも、一度チャージしてしまうと、余っても戻ってこない。余った(例えば)280円がもったいないから、また1,000円チャージする。


そこで500円くらいの買い物をして、780円余る。780円も、使わないともったいない。


使える店はないかな。買うものはないかな。


なんだか、買い物をさせられているような気分になってしまう。


だったら、最初から現金だけにしておいた方が、どこでも使えて安心である。


いちいち切符を買わなくて済むPASMOは便利だから持っているけど、それ以外のチャージ式電子マネーはやはり、使う気がしない。

モバイルSuica導入か?

よい子のみんなは、僕が最近スマートフォンを買ったことは、もう知ってるよね。

そのスマートフォンでは、「おサイフケータイ」が使えるという。

それならせっかくだから、モバイルSuicaを使ってみようと思った。

そうすれば、PASMOを持たなくても、お金を持ってなくても、スマホさえ持っていれば、電車に乗れる。

財布を忘れたときとか、財布をなくしたとき、財布を落としたとき、財布を盗まれたとき、財布が突然焼け焦げて灰になったときなどに、とても便利だ。

おサイフケータイに対応していないiPhoneユーザーの目の前で、何度も改札を出たり入ったりして、得意顔で自慢したりもできる。(これをやるときは定期を使っての利用をおすすめする)

よし登録してみようと、久しぶりに元気が出てきた。

早速、モバイルSuicaのページにアクセス。

一気に元気がなくなった。

モバイルSuicaは利用するのに年会費がかかるらしい。1,030円。

普段ほとんど電車に乗らない僕には重い。1,030円あれば、ロールスロイスを買うときの足しにできるじゃないか。

たまにしか電車に乗らないからこそ、PASMOのカードを財布に入れておかなくても済むようになるのがうれしいと思ったのに。

とりあえず、モバイルSuicaは見合わせる。

他の電子マネーは電車に乗れないから、あまり興味はないけど、一応検討してみようかな。

エレベーター開閉ボタン問題

紛らわしいものの定番でエレベーターの「開」ボタンと「閉」ボタンがある。

テレビでふかわりょうさんが、間違えないように「宍戸開」と「宍戸錠」の顔写真にするべきだと言っていたが、宍戸開も年を取るとどんどん錠に似てきて、さらに紛らわしくなる可能性もある。


僕は「夢」と「現実」にしたらどうかと思っている。


エレベータの中は四方を壁に守られた空間だけど、外に出たら現実に戻らなきゃいけない。それを「夢」と「現実」に置き換えるのである。


ただ、乗り合わせた相手によっては、ものすごい気まずさを感じて、むしろ通常以上に現実的な空気を肌に感じることもあるかもしれない。


全く逃げ場のない空間の中で、何か話すべきなのだろうかと、手に汗を握りながら階数表示を眺めつつ、階段にしておけばよかったと、5階から1階に降りるくせに、自分でもわかるくらいの無理矢理な後悔をしてしまう。


しかし、それも、ドアが開いてその空間から解放されたとき、「ああ、さっきのは悪い夢だったんだな」と気づくだろう。夢を見ているときは、そうと気づかないことも多いのである。


そして、「現実も捨てたもんじゃないな」と、前向きになれるのだ。ぜひ導入してもらいたい。


問題があるとしたら、「現実」が漢字二文字という点だ。ボタンの大きさを変えてしまうと、その分コストもかかってしまう。


僕としては、小さい字で表示するのが一番現実的だと思うがどうだろう。

イメージ図

書くことと書かないこと

このブログには、何でも書くことにした。

日記も書くし、読んだ本の感想も、昔の思い出も、学んだことも、辞世の句も書く。

どんなことでも、とりあえず書いていけば、それが、巡り巡って人の命を救う可能性もある。


もちろん、人の命を救いたいからなんて、不純な動機で書くわけじゃない。ただ純粋に書きたいから書く。


特に書きたいのは、その場の思いつきとか、思いついてしまったこと。


僕はよく変なことを思いつくのである。

たいてい、それは、心にそっとしまわれるのだけど、これからは、なるべく、この場で発表していきたい。

たとえば最近は、「便所飯」と呼ばれる、一人でご飯を食べているところを見られたくないから、トイレの個室でご飯を食べるのが流行っているいうので、そのブームに便乗して、トイレの個室にベルトコンベアでお寿司が流れてくる回転寿司屋を作ったらどうだろうと考えていた。取った皿を元に戻す人が出てきちゃうと困るよなあとか。

そういう、どうでもいいようなことを書く。

書くであろうことをまとめると

  • どうでもいい思いつき
  • 日記
  • 学んだこと
  • 本の感想 など


逆に、これは書かないほうがいいなと思うことと、その理由もまとめてみる。



  • 人の悪口(誰でも安心して読めるブログにしたいから)
  • 爆破予告(まだ捕まりたくないから)
  • 個人的な恋愛観(読者にとってどうでもいいから)
  • 政治批評のような難しいこと(読む人を疲れさせたら申し訳ないから)
  • 「桜がとても綺麗です」とその写真を載せたような記事(僕じゃなくても、書く人いるから)

これは何のブログ?


さて、これは何のブログなのだろう。

これから、このブログに何を書こうか。

一応、僕は、何でも書くつもりだ。好きなことを書く。木が枝を伸ばしていくように、あらゆる方向に向かって書く。

書いているうちに形ができてくる。それを見て楽しむ。それでいいと思う。

まず、僕がやりたいのは、一般的なブログのイメージに引きずられないようにすることだ。

ブログは一つテーマを絞って書くものだとか、日記を書くものだとか、便利なアイテムを紹介するものだとか、そういう類の「何か」を書くものだという思い込みを捨てる。

「何か」を書くのではなく、とにかく、書く。それが何かは問題じゃない。書いたかどうかが問題。

書くというプロセスと、書いたものがたまっていく楽しみ。
 
ここはそういうブログになる予定。

Bloggerを選んだわけ

ブログサービスを選ぶ際、この「Blogger」と「はてなブログ」どっちにしようか迷った。

どちらも、デザインが、シンプルで見やすくて、ごちゃごちゃしてないイメージが、僕好みだったからだ。

僕がやりたいブログのイメージは、町外れの、変なものがいろいろ置いてある古道具屋さんだった。

八百屋さんのように大声で呼び込みをしないし、飲み屋みたいに飾り立てもしない。ましてや、スーパーやデパートみたいに賑やかでもない。

ただ、「他にはないものを置いているので、興味のある方はご自由にご覧ください」

そんな、落ち着いた佇まいの、すっきりしていて、小綺麗で入りやすいお店を作りたかった。

「そういうのできませんかね?」

”はてな不動産”に行ってみたところ、

「できますよ。ウチの商店街の貸店舗なら、人通りも多いし、たくさんの来客が見込めますよ。はじめから水道は浄水になってますし、運営するための設備も整ってますし、いろいろと、ご商売のサポートもしますよ。組合に入っていただくと、横のつながりもできてきますしね。結構評判いいですよ」

という感じだった。

続いて”GoogleBlogger不動産”を訪ねる。

「あ、どうぞどうぞ、この空き家でよかったら、自由に使ってください。結構広いでしょ。近くに国道が通ってるから、交通には便利だと思いますよ。郊外だし、靜かでいいでしょ。道具とかは奥にあるやつ自由に使っていいから。必要なものはたいてい揃ってると思うんでね」

加えて、なんのお構いもできませんけど、好きにやってくださいと笑った。

後者の方が圧倒的に気が楽だった。

僕は早速、Bloggerの白壁のがらんとした空き家を、自分の文章の画廊に塗り変えた。

古道具屋さんではなく、画廊(ギャラリー)になったけれど、コンセプトは変わっていない。

「ご自由にご覧ください」。

こうして、ナカイユウヒの世界展はできた。

ナカイユウヒの世界展開幕

4月になった。

街は消費税が無事8パーセントに上がったことで、お祝いムード一色である。

特に買いだめをした人たちなどは、これで上がらなかったらどうしようかと、不安で仕方なかっただろう。上がってくれて、ほっと一安心といったところである。

そして、僕も今日から、こちらでブログを書くことにした。

これまで、他のブログサービスを使って、「ナカイユウヒの考え事」というのを書いていた。そちらから、引っ越してきた形になる。

ブログとは、これからも、長いつきあいになりそうだったので、もっと自分が書きやすいように、読む人にも読みやすいように、丁寧に作り直したい。ということで、カスタマイズが自由にできるBloggerを選んだ。

デザインなどは、今のところ、まだ手探り状態で、きちんと設置していないブログパーツ的なものがたくさんあるけど、これからちょくちょく手を入れていく予定である。

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