校歌を変更するというニュースを見て

今、ネットのニュースを見ていたら、どこかの小学校の校長先生が、覚醒剤所持で逮捕。この人は、音楽の専門の人で、校歌の作曲をしたらしいが、その校歌を変更しようということになっているらしい。歌詞はそのままで、曲だけ変えるとか。

「子どもたちに正しいことを教えるためにも不祥事を起こした人物の曲は変更する必要がある」のだという。

僕は、それは、間違っていると思う。

確かに、覚醒剤の所持は許されていないので、そのことに対しては、償わなければならないだろう。

でも、それで、校歌を歌うことを止めることにするというのは気に入らない。関係ないじゃないか。

もし、覚醒剤の所持をうながすようなメロディーの校歌なら、それも仕方ない。

でも、そんなはずはないだろう。何だ、覚醒剤の所持を促すメロディーって。どんなだ。

校歌だし、内容だけを厳選して採用したというわけではないだろう。

曲の内容は関係なく、不祥事を起こした人物の作った曲を、校歌にしておくことはできないということだろう。

曲の問題ではないとしたら、人を否定していることになる。

人の否定。つまり、覚醒剤所持の罪がいけないのではなく、その校長先生がいけないのだということだ。

「あの校長先生はダメだ。あんなやつの作った校歌なんか歌っちゃだめだ」ということだろう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいな。

僕は、この考え方が嫌なのである。

あの人が作った校歌は歌いません。あの人が作ったご飯は食べません。あの人が言った言葉は全部信用しません。

これは子供に正しいことを教えているのだろうか。

なんていうと、言い過ぎだろうけど。罪と人をセットにする考え方は好きではない。

「罪を犯した人が作った校歌なんてイメージが悪い」なんて言っていたら、偏見を持って、イメージだけで判断する子供を育てて、それを次の世代に受け継がせるだけだいうことに気付いて欲しい。

「校長先生は、何か訳があって、いけないことをしてしまいました。それは償わなければいけません。でも、みんなのために校歌を作ってくれた素敵な先生です。きっと、正しく罪を償うでしょう」

僕なら、子供たちにそう伝えたい。

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