推理小説を読んでいると、自分が殺されたらって考えちゃう

いま、東野圭吾の小説を読んでいる。

推理小説を読んでいると、警察とか探偵が、いろいろ捜査するじゃん。

もし自分が殺されたら、こんな風に捜査されるのかなとか、妄想しちゃうよね。

殺されるのはイヤだけど、小説の主人公みたいに、一生懸命自分のことを調べてくれる存在をどこかで望んでいるからこその妄想だろう。

殺されたあと僕は、天国からその様子を見つつ「生きているうちにそのくらい興味を持ってくれたらよかったのに」と、残念に思うのだろう。

「被害者は生前ブログを書いていたようです。最近の記事の中に、これといって手がかりになるようなことは書かれていないようです」
「『ナカイユウヒの世界展』か……、よし、君はこのブログから被害者の人物像をさぐってくれたまえ。どんな些細なことでもいい!」
「わかりました」

そうか。じゃあ、人物像がわかるように、がんばって書くか……。捜査に協力しなきゃ。

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