節約賞与システム導入へ

去年まで好きなだけお金を使ってきた。結果、「このままじゃまずいな、お金が貯まらないじゃないか」ということになり、「よし、今年はお金を使わないぞ!」という極端なところに走った。

物を買わないことで、全てを大切にしたいという禅の精神を少しでも体現したいという趣もあった。断捨離の「断」の精神といえばわかりやすいだろうか。

お金も、時間も、物も、人も自分も。この目に映る全てを大切にする。それが僕の今年のテーマである。

お金を使わないと決めて、4ヶ月が経過しようとしている。

ルールは、生活費(主に食費)を除き、お金を使わないこと。今のところきちんと守れている。

さて、ここでひとつルールの見直しを提案したい。問題は食費を好きなだけ使っているという点だ。

全てを大切にしたい。例えばそれは、「大根は捨てるところがない」なんて言って丸ごと使い切るみたいな、そういうことが言いたいのだ。

少しの食材を丁寧に調理して、余すとこなくいただく。そんな無駄のない暮らしの美しさ。そこに近づきたいのである。

そういう意味では、まだまだ無駄なものを買って、無駄な物を食べている気がする。

いくらくらい食費に使っているか、クレジットカードの明細からスーパーで使った分を調べてみた。平均すると毎月約18,000円。さらに記録は残っていないが、コンビニなどで、現金で頻繁におかずやら、パンやら、お菓子やらいろいろ買っているので、月2万円は軽く超える。

まあ月2万円だとしても、一日あたり700円くらい。別に贅沢な暮らしとは言いがたい質素なものである。とはいえ、テレビの企画で一万円生活などというのもやっていたし、さらに節約は可能であろう。

現代における病気は、食べ過ぎが原因になっているものが多いという。健康面で考えても、あまり買い込まず、少し買って、大切に全て食べきるみたいなスタイルの方がいい。

つまり、僕が言いたいのはこれだ!

「食費を節約するから、浮いたお金を好きに使わせてくれ!」


今年に入って、本を大量に買い込むなどの好き放題使っていた部分を削った。

食費に関しては削らなかった。食費を削ろうとして、塩かけご飯でいいやなどと不健康な暮らしになってはならない。食費はいくら使ってもいいから健康優先でいこうという意図でそうした。

ということは、健康面をカバーすれば、食費を削っても問題ないということだ。

食費を削って浮いたお金は、今年に入って実施してきた「お金を使わないルール」からさらに削った部分なのだから、その分をNexus9のキーボードの購入資金に充ててもいいでしょ? それとも今までみたいに暴飲暴食を続けますか? それでいいんですか?

と、脅迫みたいな形で、無理矢理新ルールを導入することにした。

好きに使えるお金のことを「お小遣い」として、図で表すとこうなる。


今年削るべき分をしっかり削りながらも、お小遣いをもらえるルール。

名付けて「節約賞与システム」である。節約した分、ボーナスが貰えるシステムという意味であり、「節約しようよ」とは一切かかっていない。

これまでスーパーで使ってきた食費が約18,000円だったことをふまえて、以下のようにルールを決めた。

節約賞与システム

  • 2015年5月1日スタート。11月末日終了。
  • 一ヶ月の食費が18,000円を切った場合、その差額は自由に使えるお金となる。例えば食費が15,000円なら、18,000-15,000で3,000円が賞与となり、自由に使えるお小遣いとなる
  • 食費を累計する期間は、毎月1日から末日までとし、賞与が生じれば翌月1日から使うことが出来る
  • 食費の申請に不正があれば、金額がどうであれ賞与は支払われない。といっても管理するのは自分なのだけど
  • 計算するのは食費のみとする。衣服の買い換え、生活用品の補充などの代金は含まない
  • 飲み会、パーティーなどで飲み食いした金額は交際費のため、食費には含まない
  • これは食費を18,000円以内に抑えなければならないというルールではない。食費にいくら使ってもいいが、節約すればその分見返りがあるよということである
  • 健康には留意することが前提条件であるが、これが原因で著しい体調の悪化が見られた場合、この制度は犬に食わせるものとする

11月末までというのは、お金を使わないルール自体が、12月末で終了し、2016年からお金は自由に使えるようになるため、意味をなすのが11月分までだからである。

食費の計算として「RecoReco」というAndroidアプリを使うことにした。レシートを撮影すると、それで家計簿が付けられるという便利なアプリである。これで、スーパーやコンビニのレシートを必ず撮影して記録していこうと思う。

18,000円。一ヶ月30日として、一日あたり600円。かなり厳しい戦いになりそうだ。

来月食費を3,000円に抑えれば、15,000円がもらえるから、一発でNexus9のキーボードが買えるけど、さすがに無理だろう。

3ヶ月で15,000円を貯める計画にして、5,000円もらえるように、一ヶ月13,000円を目標にしてみようかな。

あまちゃん

今年に入って、少しずつDVDで『あまちゃん』を見ていた。

ようやく全て見終えたので、報告の義務があるかと思い、こうして報告する次第。

『あまちゃん』というのは、主演の能年玲奈さんの名字が珍しいことで話題になった、2013年のNHKの連続テレビ小説。

一回15分だし、すぐ見終わるかと思ったら、すごい量。150話以上ある。

一枚あたり3時間収録のDVDが13枚。計何時間なのか、かけ算ができないから出さないけど、そのくらい長い時間、能年玲奈を見ていたということだ。これはもう、能年玲奈とつき合っていたと言っても過言ではない。

見終わったから「あまロス」にならないといけない。でも全く自信がない。上手く「あまロス」になれるだろうか。

ロフト懸垂

僕が現在住んでいるアパートにはロフトが付いている。

ロフトが付いていて心底よかったと思うことは、ロフトの縁につかまって懸垂が出来ることである。

ロフトがない家で懸垂をやろうと思えば、チンニングバーみたいなものを買わなければならない。値段も張るし、邪魔になるし、洗濯物を干すとき便利だし、何もいいことがない。

ところがロフトがあれば、縁にしがみつき、いつでも好きなだけトレーニングが出来る。

僕は中学時代体操部だったから、懸垂なんてお手の物で、20回でも30回でも出来る人を見たことがある。僕はといえば、5回に挑戦して、4回やったところで、まあ、4回も5回も大して変わらないということに気付いて、そこでやめることが多い。限界までやれば10回くらい出来るかもしれないが、限界までやるほどのモチベーションは湧いてこないから、いつもほどほどにしている。僕もいつか楽に20回くらい出来るようになれたらいい。

そのために、少しずつでも続けていきたい。ロフトの縁に指のあとが残るくらいやりたい。僕が引っ越したあと、あとに入った人が、「うわ、ここ、指の形にえぐれてる、なんか気持ち悪い」と思うくらい。

インポート

このブログ、『ナカイユウヒの世界展』に、過去のブログ『ナカイユウヒの考え事』をインポートすることにした。

記事だけは取り込めたのだけど、日付を直したり、文字化けを直したり、まだ細々とした作業が必要である。

準備が出来たものから公開していこうと思う。

インポートしたものには、『ナカイユウヒの考え事』のラベルを付けておく。

事件記者トトコ!

今、すごく読みたいマンガがある。というか、さっき知った。

これ。

事件記者トトコ! 1
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KADOKAWA / エンターブレイン (2014-03-17)

この大きさで載せたいくらい読みたい。 理由は2つある。1、メガネ 2、丸山薫。

僕のメガネっ娘好きはさておき、重要なのは作者が丸山薫さんであるということだ。

丸山薫さん。僕は、以前『ストレニュアス・ライフ』という短編集を読んで、これは、どのご家庭にも、一冊置いておくべきだと思ったことがある。

ストレニュアス・ライフ (ビームコミックス)
丸山 薫
エンターブレイン
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最大の魅力は絵だと思った。かわいらしくて、綺麗で、見やすい。手書きで引いたみたいな独特の枠線にも、すごくセンスを感じた。内容も、短編で終わらせるのがもったいないくらい、「この話、もっと広げたい感」にあふれたものばかりだった。

丸山薫先生は、素晴らしい短編集でその才能を知らしめたという意味で、僕の中で勝手に九井諒子と双璧をなす存在と位置づけている。まさに漫画界の伏竜と鳳雛。

九井諒子さんは『ダンジョン飯』ですっかりブレイクした感がある。丸山さんも、この『トトコ』が出世作となるかもしれない。

僕は今日までその存在も、3巻まで出ていることも、知らなかったけど、『事件記者トトコ!』。丸山薫先生が書いているだけでも、読む理由は十分なのに、あまつさえメガネ。読まない理由がない。僕はこの作品を一蓮托生の思いで応援する覚悟である。まだ読んでいないけど。

ニュース番組にツイッターコメントはいらない。

昨日、たまたまNHKのニュースを見てみたら、視聴者のツイッターコメントが、画面の下の方に次々表示されていた。

僕は、この手のコメントが、全く好きになれない。NHKにやられてしまうと、もうテレビを見る気がしなくなる。勘弁して欲しい。そういうのはテレビ側がやるのではなく、見たい人だけネットで見ればいいと思う。

表示されるコメントが、どういう基準で選ばれてるか知らないが、人の意見をたくさん垂れ流すなんて、まるで情報操作みたいじゃないか。「こう思っている人がいます。あなたもこう思いましょう」って、押しつけられてるみたい。

ニュースを見て何を思うかは、視聴者にゆだねて欲しい。事実だけ伝えて欲しい。

ネットの動画などで、コメントが横から流れて通り過ぎていくやつも、すごく嫌で、画面が見づらいからやめて欲しいといつも思っている。(それでも見るときはオフにしている)

ヤフーニュースのコメント欄も、昔は見ていたが、今年から、見ないことにしている。記事だけ読んで、それ以上スクロールしない。

それらのコメントを見ても、「勝手なこと言ってるな……」と不愉快になることがほとんど。

2chも同じ理由で、見ないことにしている。

スマートフォンのニュースアプリに「まとめ(サイト)」の項目があって、それは、わりと面白いのだけど、上記のような理由で不愉快になることもあるし、時間も食うので、それも非表示にしている。

ラジオを録音して聴くために……

ラジオを聴くのが趣味なもので、どのような方法で、ラジオを録音し、聴くのが効率的なのかずっと考えてきた。

昔はカセットテープだったのが、MD(MDLP)になり、ハードディスクコンポからMP3プレイヤーへの転送になり、最近はradikoの録音になってきている。

「radiko」は言うまでもなく、ラジオがインターネットで聴けるサービスである。

特に最近は「raziko」という、radikoが録音できるAndroidアプリでスマートフォンに直接録音している。

それまでハードディスクコンポに録音したものをコードでつないで「転送」していた。この「転送」は、その都度つないだり外したりが面倒であるし、コンポの立ち上げにやたら時間がかかるという欠点があった。直接録音すれば、線をつながなくて済む分、楽に感じる。

この「raziko」というアプリがなかなか優秀で、とぎれることなく、いつもしっかり録れている。

ただ、このアプリで録音された形式だと、シークバーが使えないなど、いろいろ不便なので、「RawAAC→M4A」というアプリを使って、ファイル形式を変換して使っている。

これで、いつも持ち歩くスマートフォン一台で、ラジオが好きなときに聴けると喜んでいたのだけど、「raziko」にはさらに大きな欠点があって、録音中は他の番組を聴けないのである。

録音中、他の音楽ファイルを再生すると、今録音中の番組の音も流れてくるので、音が混ざって聞こえてしまうのである。

深夜番組なら、寝ている間に録音しておいてもらえばいいが、昼間の番組を録音したい場合、録音中は、その番組を録音しながら聴くか、他の番組を聴きたいなら録音を諦めるしかない。

具体的にいうと、毎週日曜日、午後1時から5時の「爆笑問題の日曜サンデー」をスマートフォンで録音しようとすると、その時間は、スマートフォンで別の番組や音楽を聴いたり、音声付きの動画を見たりは出来なくなってしまうのである。実に不便。

そこで、タブレット(Nexus9)の方にも「raziko」を入れて、昼間の番組を録音し、「ESファイルマネージャー」というアプリを使って、無線LAN経由でスマートフォンの方に録音したファイルを転送するという手段も覚えた。

ファイル転送に、Dropboxなどのクラウドを使うことも考えたが、試したらアップロードにもダウンロードにもやや時間がかかることが判明したのでやめた。

クラウドといえば、聞くところによると、「Google Playミュージック」において、音楽ファイルをアップすると、それをクラウド経由で、ストリーミングで聴けるサービスがあるらしい。

それならパソコンとかで録音した番組を自動的にサーバーに上げて、それをスマートフォンで聴くみたいなスマートな方法が実現できるかもしれない。

現在、日本ではそのサービスは未対応で、「アメリカカラアクセスシテマ~ス」みたいな設定上の嘘をつけば、日本からも使えるらしいが、なにか悪いことをしている気分になりそうなので、使うなら日本で正式に対応するのを待ちたい。



さっきから何のことやらさっぱりという人も多かろう。

つまり、スマートフォンで録音したラジオを好きに聴きたいというだけなのに、なかなかスマートにいかない。スッキリしたいい方法がなかなか見つからないのである。もどかしいのである。

今の時代、いくらでも出来そうなのに、もう一手間が省けない。もう一手間省ければ、面倒を感じずにラジオライフが楽しめそうなのに……。「raziko」だとファイル形式の変換が必要だし、昼間の番組は転送も必要だ。コードをつないで転送する方法に戻すのもやはり面倒だ。

……もっといい方法はないものか。

と、たゆまず研究を続けているのだが、最近研究中の方法は、なかなか上手くいきそうな気がしている。

「Radikool」というradiko録音ソフトを使ってパソコンでradikoを録音して、録音ファイルを入れるフォルダを共有フォルダに設定、スマートフォンの「ESファイルマネージャー」を使って無線LAN経由でパソコンにアクセス。あとは共有フォルダ内の録音ファイルを落とすなり、ストリーミング再生するなりすればいい。

聴きたい番組は自動で毎週録音され、ファイルは自動的に生成されるから、放っておいても大丈夫。これが一番楽かなという気はしている。

ただ、パソコンでの録音はなぜか上手くいかないことが多い。そのあたりの問題点をいかに克服するかみたいなことが今後の課題になりそうである。

夢についての雑談

睡眠時に上映される夢は、記憶の整理の役割を果たすとよく聞く。

僕が思うに、単純に知識の整理じゃなくて、感情のメンテナンスみたいな意味が強いのではないかと思う。

追いかけられたりするような、怖い夢を見ることが多いけど、これは、恐怖を感じる気持ちが鈍くなるのを防ぐための、トレーニングなのだろう。

そうじゃなきゃ、何のために、寝ている間までそんな嫌な思いしなきゃいけないのかわからない。

いざというとき、例えば、虎に出くわしたときとか、怖いという感情がはたらかないと、逃げることも出来なくなる。だから、そんな怖い状況を繰り返し見せて、

「こんな状況は怖いだろ」(声:平泉成)
「怖かったです」
「そうだ、その気持ちを忘れるなよ」(平泉成)

と、いついざというときが来ても大丈夫なように、感情をはたらかせる練習をしているのだと思う。

そのおかげで、ひげもじゃで裸に腰巻きのおじさんが笑顔で踊りながらこちらに迫ってきたとき、「怖い」と感じることが出来るのだ。

恐怖についていえばそんな感じで、他の感情も、同じように夢の中で訓練されているのかもしれない。夢というのは、そんな風にして、感情と記憶を結びつけて、感情を正確に働かせるための訓練なんじゃないかと思う。

料理の本を買って、料理を覚えよう

以前触れたように、今年はお金を使わない生活をすることにしている。

今のところ、きちんと守れていて、先月は普段より2万円も多く貯金が出来た。

ところが最近、料理の本が欲しくなった。ルールでは、本を買ってはいけないことになっている。

料理なんて、食べるのが好きなグルメな人のものだと思っていたので、「食」にそれほど強い関心のない僕はしなくてもいいやと今まで避けてきた。

だが、グルメに興味はなくても、健康には大いに関心がある。いつも気分よくいたいし、いいパフォーマンスを発揮したいし、病気になりたくない。

健康と食生活には密接な関わりがある。健康的な食生活をしたい。それには、自分で料理するのが一番だと気付いた。

スーパーで総菜を買うにしても、僕の食べたい野菜系のやつはあまりいいのがない。冷たいサラダは好きではないし、煮物も好きではないが、売られているのはそういうものがほとんど。自分で作れば、食材を好きなバランスで使えるので、栄養の調節が自在だし、調理法も味付けも自由だ。

今、料理の習慣を付けてしまえば、これから一生健康的な食生活が出来るじゃないか。しかも、料理をするということ自体が、体や頭を使って健康的でないか。

ということで、初心者もしっかりサポートしてくれるような料理の本が欲しくなった。

しかし、ルールでは買ってはいけないという。誰だ、そんな面倒なルールを作ったやつは。

今の持ち物を売り払うなどしてお金を作れば、それは好きに使っていいことになっているが、特に売るものもない。

何か、抜け道はないかと探していると、一月、このブログにお年玉で一万円もらったと書いてある。

普段の給料で入ったお金は使ってはいけないが、お金を作れば使っていいことになっている。物を売る以外にも、例えば日雇いのアルバイトをして入った収入などはそれにあたる。

ということは、お年玉もその範疇と言えるのではないか。給料以外のお金なのだから。

そのお年玉で靴を買ったが、まだ4636円残っている。

よし!!それで料理の本を買おう。

再開~ブログとのつきあい方について~

2月いっぱいブログとツイッターを休ませてもらった。

1月、世間でつまようじの動画が問題になった。

再生回数、アクセス数、閲覧数、ページビュー、訪問者数……。ネット界では、それらの数字を高めることが目標となり、数字が高いことがステータスである。だから多くの人がそれを目指して躍起になっている。

僕もまた、ブログをたくさん書かなければとか、少し、力が入っている部分があったと思う。

ただ、そうして数字を上げることばかり目指したなれの果てが、あのつまようじの動画だとしたら、なんてつまらないことなんだろうと思った。

そりゃあ確かに、つまようじを映せば、みんな見るだろう。誰だって、つまようじのくびれてる部分とか、てっぺんの黒っぽくなってる部分が見たい。でも、それはやらない約束だろう……。

何をしてでも目立ったやつが勝つ。目立ったもん勝ち。

僕はそんな世界を望んでいない。

では僕は何をするべきなのか。すべきではないのか。それを考えるために、ブログから距離を取った方がいいと思った。

道を間違える前に、立ち止まってよく考えるのだ……。

一ヶ月は何も書かないと決めた。

何か高尚な意見やら結論を出そうということではない。とにかく休んでみて、何を感じるか、試したかった。

案の定、ブログもツイッターもやらなくても、全く支障はなかった。

だからこれからも、やらなくていいやと思った。

今は、すっかり力も抜けて「やってもやらなくてもいい」「もし何か書きたいことがあれば書ける環境はある」というくらいの気持ちになった。

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