僕が思うに、単純に知識の整理じゃなくて、感情のメンテナンスみたいな意味が強いのではないかと思う。
そうじゃなきゃ、何のために、寝ている間までそんな嫌な思いしなきゃいけないのかわからない。
いざというとき、例えば、虎に出くわしたときとか、怖いという感情がはたらかないと、逃げることも出来なくなる。だから、そんな怖い状況を繰り返し見せて、
「こんな状況は怖いだろ」(声:平泉成)
「怖かったです」
「そうだ、その気持ちを忘れるなよ」(平泉成)
と、いついざというときが来ても大丈夫なように、感情をはたらかせる練習をしているのだと思う。
そのおかげで、ひげもじゃで裸に腰巻きのおじさんが笑顔で踊りながらこちらに迫ってきたとき、「怖い」と感じることが出来るのだ。
恐怖についていえばそんな感じで、他の感情も、同じように夢の中で訓練されているのかもしれない。夢というのは、そんな風にして、感情と記憶を結びつけて、感情を正確に働かせるための訓練なんじゃないかと思う。
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