目が覚めて、気づいたら、耳元を蚊が飛んでいる甲高い音が聞こえる。

手の甲を刺されていた。

鳴り止むことなく、蚊の羽音は聞こえている。

時計を見ると、朝4時だった。外は薄明るい。

気になるので、いったん電気をつけて、あたりを見回してみる。

部屋には壁をはじめ、棚、布団、iPad、僕の肌など、白いものが多いので、蚊がいれば、発見しやすくなっている。だが、飛んでいる蚊の姿は発見できなかった。

あわてて起きて、キンチョールを探してきて、周辺に散布した。

しかし、くたばったようすも、「ギャー、苦しい」などの悲鳴もなく、その後も飛んでいる音ばかりが聞こえる。

そしてやはり、姿を目でとらえることはできない。

プーンと飛んでいる音は確かに聞こえるのだ。

でも、どこを探しても、姿が見えない。

棚の置いてあるあたりから音が聞こえるが
、中身をいったん出してみたりしても、姿は見えない。

1時間くらい、姿の見えない敵と格闘した。神経はすっかり衰弱してしまった。

だんだん、自分の耳がおかしいのではないかとか、疑い始めた。

何かその辺に置いてあるパソコンとか、マルチタップとか、冷蔵庫とか、蚊の音製造機とかの機械の音を、蚊の音だと思いこんでいるのかもしれないと、考え直し、消灯して、再び床に就く。

すると、また、大きな音で、明らかに蚊の羽音が聞こえてくる。

当然、電気をつけても、姿は見えない。


進化の果てに、どうやら、ついに透明の蚊が現れたらしい。

おかげで睡眠が満足にとれなかった。

再配達

朝、電話がかかってきた。

配達屋さんからだった。

最近留守がちで、宅配物が受け取れないことが多かったので、催促というか、いつ届けたらいいかということだった。

その荷物は、時間指定して届けてもらったけど、昼寝をしている時間とかぶってしまい、いたにもかかわらず、受け取れなかったものだった。

そのあとは、なかなか忙しい日が続いていて、今日も3時から5時くらいの間なら家にいるけど、それ以外は出かけている予定である。

なので、「4時くらいならいますけど」と伝えたら

「あのね、4時くらいってのはないんですよ。2時から4時、4時から6時……」

知ってるよ、もしくは知らないよ。

僕は、自分の都合を伝えただけだもの。

そのあたりの融通を利かせてくれるための電話じゃないの?

何というか、電話までかけてきてそれか。通常の再配達の申し込みフォームだと合う時間がないから、たまたま、家にいる時間に届けてもらえる可能性があると思って、こっちは、再配達の申し込みをあえてしていなかったけど。

ちょっとがっかり。

それならいいやと別の日にしてもらった。

雨に打たれて

醤油を切らしていたので、駅の方まで買い物に行った。

買い物を済ませて帰ろうとしたら、外は土砂降りの大雨。

とりあえずスーパーから駅まで移動。

ほとんどの人は駅で立ち往生していた。

僕は傘も持っていなかった。

ただ、駅と外の境目の屋根の下で、スマートフォンを左手に持って、右の人差し指でいじっているたくさんの人たちを見ているうちに、なんだか、イライラに近い感情がわいてきた。

「この軟弱者どもめ! この程度の雨が何だ! 俺が手本を見せてやる!」

と、大きな声で叫ぼうかという勢いで、僕は、雨の中に飛び出して、堂々と歩いた。走ったり、頭をかばったりはしない。雨など降っていないかのように歩いた。

実際、気にしなければ、なんてことはない。ただの水じゃないか。服も俺も、洗濯や風呂でどうせぬれるのだ。今ぬれても同じことだ。スマートフォンだって、こういうときのための防水だろう。

どうだ、見たか、この男らしさ! 俺の「早く帰りたい」という純粋な気持ちは、この程度の雨に左右されるものではないのさ。

それで15分くらい歩いて、さっき、家に帰ってきた。ズボンは水を吸ってだいぶ重くなっていた。服を脱いでシャワーを浴びた。

シャワーから上がり「わかったか、駅の連中よ。雨が止むのを待っていたら、いつまでも帰れないぞ」と思いながら、外を見たら、雨は止んでいた。

コードギアス

バンダイチャンネル加入後、アニメを少しずつ見ていこうと思っていたが、案の定、見過ぎてしまっている。

『コードギアス反逆のルルーシュ』を見始めたら、面白くて止まらなくなった。寝不足注意とレビューにも書かれていたが、「R2」まで全50話、一気に見てしまった。

見過ぎには気をつけねばと思っていたのに、早くもこれである。

でも、面白かったので、全く悔いはない。見ておいて良かったと心から思う。

評論家ではないので、内容について語ったりするのはやめておこう。長くなるし。

ロイドさんとラクシャータさんが好きです。

「絶対に幸せにします」問題

「世界中の誰よりも」問題について書いたけど、

お嬢さんを僕にください的な場面での「絶対に幸せにします」も同様である。

世の中をしっかり観察していれば、「絶対」なんてほぼないことがわかる。

「絶対に」などと大きく出るのは、世の中をなめている。もしくは、世間を知らないということである。そんな人に娘を任せていいものだろうか。

もちろん控えめに「60パーセントくらいの確率で幸せにします」と言えばいいということではない。「絶対」なんてことはあり得ないのに、「絶対に」などと軽々しく言うのが不誠実なのである。

簡単に「絶対」と言うことは自分を過信して、具体的、分析的な思考を放棄しているということである。幸せにできない可能性を考えることから逃げているということである。

どんな人にも弱点はある。その弱点が、相手を傷つけるかもしれない。不幸にするかもしれない。自分は悪くなくても、何か不幸な事故があるかもしれない。それを考えれば「絶対」に人を幸せにできる人などこの世にはいないことがわかるはずだ。

誰であっても、絶対なんて無理だ。だからこそ、用心しなければならないし、頑張らなければならない。

無責任に「絶対」という偽りの言葉を振りかざさず、「絶対とは言えないけれど、少しでも幸せを感じてもらえるように、傷つけないように、最善を尽くします」と言う方が誠実なのである。

個人的には、「幸せにする」というのも引っかかる。

「大切にする」なら自分の気持ち次第だが、「幸せにする」は、それを受ける側に依存する。自分がいくら頑張っても、相手が受け取らなければ幸せにはできないのである。

つまり、幸せとは主観的なものであるから、感じるためには、幸せを感じることにおける本人の成長が不可欠で、つまり本人次第なのである。自らを幸せにする努力をおろそかにして、一方的に幸せにしてもらうことを期待するのも、幸せでないことを相手のせいにするのも、自ら幸せを遠ざける行為なのである。

パートナーに対し、そのための手伝いとか、協力をするという意味で「幸せにする」というのならいいが、主に経済力でもって、楽をさせることを「幸せにする」いうのなら、長い目で見たとき、そのツケを払わなければならなくなる。例えば、楽に慣れた分、衰えた忍耐力が、少しの困難な状況に対しても不満を抱かせ、お互い相手のせいにして、傷つけあうといったような形で。

幸せになりたいなら、結婚相手を幸せにしたいなら、幸せの本質をつかんで、幸せを感じる技術を身につけるべきなのである。それは例えば、「こういうときは、こう考えるといい」みたいな思考の訓練だったり、もっと実践的な生きる知恵だったり。何にしても、個人としての成長が不可欠で、それには男女も年齢も関係ない。全ての人に当てはまるものだと思う。



余談だけど、レヴィ=ストロースを学んでいたら、「男は他の男から譲り受ける形でしか、女を手に入れることが出来ない」という衝撃的な考察に行き当たった。

そんな、これだけ男女平等が叫ばれている世の中なのにと、否定したい気持ちもありつつ、確かにそうなのだろうとも思う。僕みたいに優しい男ばかりじゃない。力尽くでも女を得ようとする男がいる。女性は必然的に守られる立場になる。それは男女が身体的に違うという段階で、遺伝子レベルで刻まれている感覚なのかもしれない。

この国でも、結婚するときは「お嬢さんをください」と父親に許可を求めることが通例である。

形式的なことだとしても、なんとなく、僕には、それがいいあり方だと思えない。本当に、男女平等の世の中であって欲しいと思っている。結婚の際、父親の許可など必要なく、当人同士で勝手に決められるのが当然であって欲しい。(もちろん、親の気持ちをないがしろにしていいという意味ではない。意見は聞くけれど、あくまで、決めるのは本人だということ)

僕が、もし結婚することになったら、「お嬢さんをください」とは言わずに、「○○さんと結婚します。よろしくお願いします」と言おうかなと、ふと思った。

許可を取るとか、許してもらうとか、もらうとか、奪うとか、そういうことではないという考え方であることを示したい。物じゃないのだから。

いつか、「お嬢さんをください。絶対に幸せにします」が過去の物になって、「○○さんと結婚します。よろしくお願いします」と言うのが、この国の常識になったら嬉しい。

それと、結婚後の名字も、まだ一般的には女が男の方に変わることが多いが、法律的には、どちらか好きな方みたいな感じになっているはずなので、「家」とか関係なく、できれば相手側の名字を採用したい。例えば「堀北佑陽」になりたい。

ネズミ

ネズミがいたのでつい、写真に収めてしまった。

ネズミって尻尾がミミズっぽいののが残念。もっと丸っこければかわいいのに。




超胃が痛かった

昨日の昼過ぎ、ご飯を食べたあと、しばらくの間、ものすごく胃が痛くなった。

急性の胃炎だと思う。

アレルギーによるものだろうかとも疑ったが、はっきりしたことはわからない。

食事を食べる前は元気だったので、食べたことが原因なのは間違いない。

食べたのはコンビニの冷たい麺なのだけど。暑いからと、冷たいものを食べたのが良くなかったのかもしれない。

ネットで調べると、冷たいものを早く一気に食べたりすることが急性胃炎の原因になるらしい。

この度の胃の激痛の原因はそれかなあという気がする。

「こら! 急いで食べるな、この欲張り!」ということで体から罰を受けるというシステムというわけか。

重い罰だった。トイレや外で4~5回吐いた。

吐いて胃が空っぽになったっぽかったが、その後も激しく痛み続けた。実は重い病気で、レントゲンにもうだめな感じの影が写るのではないかとか、「この痛みが最終警告だったのです」と、ナレーションが入るのではないかとか、どんどん悪い方に考えてしまうほど痛かった。

時間が経って痛みは治まったので、現在は無事である。

今回しみじみ感じた。ネットがある時代で良かった。

インターネットで急な胃痛について調べたおかげで、だいぶ気分的に楽になったから。

夏だけど、これからは、冷たい食べ物は胃のために、なるべく避けることにする。今回の原因かはわからないが、冷たいものは胃に負担をかけるのは間違いないようなので、食べないに越したことはないという判断。

皆さんもお気をつけください。

下準備

野暮用を一気にやる日を作ることにした。

その準備として、終わったら与えられる記念品を用意しておいた。



これで、もうやるしかない。

バンダイチャンネル

7月に入って、バンダイチャンネルのアニメ見放題に加入した。

月1000円くらいでアニメの動画が見放題というやつで、かなりたくさんのタイトルが自由に見られるようになっている。


僕は、昔から、ながら族で、ご飯を食べながら、何かしらDVDなどを見る習慣がある。ただ食べていると、時間がもったいないような気がしてしまう。ながらはよくないという話はあるが、この癖は直りそうにない。

特に見るものがないときは、YouTubeで適当に興味のある動画を見たりしていたが、どうせ見るなら、もっと質のいいものをと思っていた。

アニメなどは、一本あたり30分以内に終わるので、ご飯を食べながら見るのに、ちょうど良かったりする。

近所のTSUTAYAでレンタルするのもいいのだけど(一枚100円だし)、見たいのがレンタル中だったりすると、見送らなければならない。

無事借りられたとしても、見たら返しに行かないといけない。これも面倒である。

しかも、借りると、一週間以内に見て返さないといけない。これが結構プレッシャーなのである。

他にやりたいことがあったり、気分が乗らなかったりすると、楽しみで借りたはずのTSUTAYAの青い袋を見るだけで憂鬱になる。

見たいときに見られるという安心感が欲しい。

バンダイチャンネルを発見したとき、これだと思った。


名作と言われているアニメのまだ見ていないやつも、たくさんラインナップされている。

画質も綺麗だし、サービス自体には満足である。

パソコンで見たり

iPadminiで見ながらブログを書いたり


あとは、
月1000円が無駄にならない程度に利用できるかどうか。

忙しくて、ほとんど見ない可能性もある。


からといって、暇さえあればアニメばかり見ていたら、アニメオタクになってしまう。

僕にとって、作品鑑賞は、あくまでストーリー作りの勉強のためなので、見過ぎて他のことがおろそかにならないようにもしなければ。

「世界中の誰よりも」問題

恋愛ドラマとかの台詞で

「あなたが好きです! 世界中の誰よりも!」


みたいなのがよくある。


この台詞がよくわからない。


告白するとき、こんな台詞、絶対に使いたくない。


例えば、一般的な恋愛の文脈で、この台詞を男が女に向かって言う場合



  • 世界には、あなたのことが好きな男が他にたくさんいるかもしれないが、そいつらの「好き」よりも、オレの「好き」の気持ちが一番強い
  • 世界にはたくさんの女がいるけど、その誰よりもあなたのことが一番好き


の二通りの意味に取れる。


「誰よりも」というのは、男、女に限らず、親兄弟などを含めても、ということかもしれないが、ひとまず、それは置いておこう。


まず、二つの意味に取れる段階で、誤解される可能性が高い。


なぜそんな曖昧な言葉を選ぶのか理解できない。

さらに問題なのが、その内容である。

後者の意味なら別に問題は無い。自分の主観的な気持ちを、素直に伝えただけである。


ところが、前者の場合はかなり問題がある。


「他の誰の気持ちより、より自分の気持ちの方が上」と言っているわけだが、他の人の気持ちなど、わからないはずだろう。わからないくせに、他の人は、自分より下だと、勝手に決めつけてしまっている。


自分の気持ちが強いからといって、それをもって一番だと決めつけるのは、認識力が不足しているし、論理が破綻している。

「私は彼女がとても好きである。従って、彼女を一番好きなのは私である」

全く成り立たない。その結論を導くには、他の人と厳密に比較した上でなければならないはずである。

現実には、誰の「好き」が一番強いかなんてわかり得ない。「好き」の気持ちの強さは、計測できない。(というより、ひょっとしたら、永続的な愛情というのは、そんなに気持ちの高ぶるような、情熱的なものではないのかもしれないし、強さを比べるようなものでもない気がする)

なので、この台詞を言う人の「他の誰より好き」は、本当かもしれないし、違うかもしれない。それは誰にもわからないというのが、正しい認識であろう。

確実にはわからないことを、あたかも真実であるかのように言うことは、相手を騙す行為であり、不誠実で、自分勝手で、自己中心的な態度である。

さらに言うと、思い込みが激しく、他の人の気持ちを尊重せず、甘く見ている。自分のものにしたいあまりに、他の人を蹴落とそうという態度である。

人の気持ちを尊重せず、勝手に自分の下に置いてしまうような人が、「誰よりもあなたが好き、幸せにする」と言っている。信用できるだろうか。


「誰よりも」のなかに彼女の両親なども含まれているとしたら、命よりも大切と思いながら育ててきたご両親に対して「その愛情はオレ以下だけどね」と言うようなもので、とても失礼である。


本当に好きなら、他の人の気持ちは関係ないはずである。

人と比べなくても、「好き」に嘘がないなら、それに自信を持てばいいのである。


たとえ他に強い「好き」の気持ちを持った人がいたとしても、それでも自分を選んでもらえるようにアピールするべきなのである。


「オレが一番おまえが好きだ」などと、確かめられもしないようなことを言わずに、実際の態度や行動で示すべきなのである。



なんて、主張しても僕は、「そんな理屈っぽいこと言う人イヤ」と、モテなくなる一方なんだろうな。

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