「今日、死ぬかもしれないよ」という罠に気をつけよう

「人はいつ死ぬか分からない。今日かもしれないし、明日かもしれない。

だから、今日を悔いのないように生きよう」

みたいなのをよく聞く。

これに対しては、20パーセントくらい賛成、80パーセントくらい反対である。

確かに、今日か明日死ぬ可能性があるのは本当のことだ。それをごまかしてはいけない。

だが、僕が今日幸せに生きられるのは、明日も、明後日も、たぶん僕は生きているという確信(?)があるからである。

未来が確かにあって、そこに希望が持てるから、今が輝くのである。

今日、明日死ぬかもしれないと思うと、本当にやりたいことが分かるなどという話もあるが、本当にやりたいことが、長い時間をかけないと出来ないことの場合だってある。今日や明日に絞って考える必要は断じてないということを忘れてはいけない。

目標を目指すこと、成長を実感すること、人を愛すること、子供を育てること。むしろ、人生で本当に大切なことは、長い時間をかけて築き上げるから愛おしいと思うことばかりではないだろうか。

今の辛抱が、努力が、報われる時がくると信じられるから、自分の関わる全ての物事を大切に出来るのである。

それを、今日や明日で終わるかもなんて、現実味のないバカバカしい空想を促して、即効性のある快楽に人を走らせるような呼びかけや、問いかけをしてどうしようというのか。

時間を大切にしようとか、勇気を持って行動しようみたいなことが大事だという点は賛成するけど、その分を考えても20パーセントってところ。その二つをもっと現実に即した言葉で、人々に訴えるコピーを考えて欲しい。

今日、明日死ぬかもしれないと不安を煽るより、みんなが今日も明日も、明後日も生きていけるという確信が持てるような世の中を作るように、維持できるように、少しでも力を尽くすべきなのではないだろうか。

僕なら、最初のスローガンを唱える代わりにこう言いたい。

「たとえ今日に悔いを残しても、未来に希望を持って生きよう。今日の悔いなんて、なんてことないって思えるくらい輝ける未来を実現させてやろう」

それともう一つ、

「悔いが残ることなんて気にするな。死んだら悔やむことも出来ないんだから。恐らく、死んだことにも気付かないのだから。生きているうちにいっぱい悔やんでおけばいい」

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