お金について考えたこと(前編)

お金について考えた。だいぶ考えがまとまった。

全部書くと、膨大な量になる。

何とか、エッセンスだけをうまくまとめてここに書けないものだろうか。

まず、僕が、お金持ちになること無意識に恐れているという、異常な状態をどうにかしなければと考えたのが発端だ。

なぜ恐れているのか。例えば、僕がお金をたくさんもらったら、誰かが貧乏になってしまうのではないか。お金持ちになることはすごく、自分勝手な行為だと見なされるのではないだろうか。そういう恐れが考えられる。

それが、錯覚であることは、もちろん気づいている。確かに局地的には紙幣や硬貨を持っている量に差ができるだろうが、そんなことよりも、どの程度早くそれらが回るかの方が、享受できる物やサービスの量の差との関係において大切である。お金が早く、活発に回れば、みんなのもらえるお金や使えるお金が増えることになる。

そこで大切なのは、お金をもらう量の大小ではない。お金と健康的につきあい、収入と支出のバランスをしっかりとることだ。食べる量と消費するエネルギーの関係と同じで、お金と健康につきあうには、滞らせずにお金を回していくことがポイントである。

お金を多くもらう人に対して、嫉妬や、「金の亡者め」みたいな感情を持つことは間違いで、もし憎むなら、お金と健康的につきあえていない人を憎むべきである。お金とうまくつきあえていない人とは、収入が多くても、不安がってため込んでしまう人だったり、収入が少ないのにそれ以上に使ってしまう人だったり。これらの人は、自分も周りも幸せにしない人で、どちらかと言えば、そういう人こそ、「金の亡者」である。収入の多い少ないとは関係がない。

つまり、自分がちゃんと、お金とうまくつきあえるなら、実際いくらお金をもらっても、周りに迷惑をかけることはない。だから、稼ぐことを自体を恐れる必要はないわけである。

何らかの活動をしたとき、「お金をくれ」という態度は嫌がられるのではないか、「いや、いいですよ。お金なんていただきませんよ」という姿勢の方が周りの人にとってよいのではないかという感覚もなくはない。

でも、そういう態度で暮らしていって、ほとんど無一文の状態になったら、どうだろう。お金を持っていないとか、経済的に自立していないということの方が、他人からすれば、よほど迷惑である。

そういう意味でも、むしろ、僕はもっと稼いだ方がいいのである。お金持ちになっても問題ないし、むしろその方が世の中の役に立っていると言えるので、堂々とお金のために活動すればいい。

と、ここまでは基本的なことだ。ここから、もう少しあれこれ考えている。時間があったら書こうと思う。

それにしても、お金を通して、人に嫌われることをかなり恐れていたんだなあと、自己反省。

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