電報が届く

今朝、いきなり、電報が届いた。

電報なんてものの存在は、記憶から消えかけていた。

「馬鹿な、おまえはサテラビューと一緒にこの世から消えたはず。まだ生きていたとは」

などと思いながら電報を受け取るが、頭の中は「?」でいっぱい。

何の電報なのか、頭を巡らせる。電報と言えば「チチキトク」とか、そういうのが定番であり、何か身内に悪いことでもあったのではないか。心配ばかりがよぎる。

誰が危篤なのだろうかと、恐る恐る開いてみると、

「れんらくくれ」という文字と、父の名前があった。

「?」 連絡ならいつもみたいに携帯にくれればいいのに。

「!」 そういえば、最近携帯見てないなあ。あいつ今、どうしてるんだろう。

カバンの底から携帯を発掘してみると、案の定電池切れで、電源が切れている。

充電器につないで電源を入れると、たくさんのメールや数十件の留守番電話のお知らせが画面からこぼれてきた。

足下にこぼれた封筒を拾い集めていると、内容を確認する間もなく、着信が入る。実家からだ。やはり、何かあったのだろうか。

「もしもし?」

「元気かい? ずっと連絡が取れないから心配した」

と母の声。

どうやら、21日くらいから、今日までずっと、電話がつながらないので、心配していたらしい。

何かあったのではないかと思っていたのは、向こうの方だった。

借金取りに追われて電話を切っているのではないかとか、電話代が払えなくて止められたんじゃないかとか。僕からすれば、滑稽なほどいらぬ心配だった。

それより、こちらの心配が空振りで良かった。何かあったわけではなかったのだ。一安心。

まあ、今回は僕が悪かった。借金取りに追われているとはいえ、友達がいないとはいえ、モテないとはいえ、ロフトの天井に頭をよくぶつけるとはいえ、ほぼ唯一の、人との連絡手段を気づかずに止めていた。それくらい、携帯電話へ僕の意識は低い。

例えば、音楽プレイヤーで通話ができれば、こんなことにはならないのだ。携帯電話は一週間ほったらかしても平気でいられるくせに、音楽プレイヤーは馬鹿みたいに毎日持ち歩いている。

でも、通話ができる音楽プレイヤーなんて便利な物があるわけない、いやある。スマホ。

改めて思った。やはり、僕はスマートフォンを持つべきなのだ。

で、買いました。スマートフォン。

次回は、スマートフォンを買った話。

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