本田健先生によると、みんなが自分の好きなことをして、生きていけるような世の中。それが理想だという。
果たして、そんなことは、可能なのだろうか。
やはり、世の中が発展しても、誰もやりたがらないような、3Kみたいな仕事だって必要な仕事で、する人がいなければ、世の中は成り立たないのではないだろうか。需要と供給のバランスからして、誰もが、自分の大好きなことを仕事にして、自由に生きられるということは、原理的に無理なのではないだろうか。
全員に、幸せなお金持ちになるための教育を施そうが、そうなることができない人がいるから、そして、その人たちが、不満を持ちながらも、やりたくないと思うような仕事を引き受けてくれているから、お金持ちの人は、そのサービスなりを享受できるのではないか。その結果、自分がイヤな仕事をしなくても済むのではないか。
嫌なことでも、お金のためにやらなければならない人がいる。自分がちょっとうまくいったからって、その人たちを、お金のない不自由な人だとレッテルを貼って、下に見る。その傲慢さがお金持ちと呼ばれる人の一番嫌われる部分なのではないだろうか。そんな思いもふと浮かんだ。
こういう考えも、結論的にはすべて「本人次第」いうところに落ち着く。
嫌々仕事をするか、「成長のチャンス」ととらえながらするかも本人次第。
それでも嫌なら、他の仕事に変えればいい。それも本人次第。
それで、やる人がいなくなって世の中が困ってしまうなら、その職業の賃金は上がるだろうから、満足の釣り合いはとれてくるだろう。
それでも「自分はつまらない仕事ばかりしなくちゃいけなくて、辛い思いをしているのに、上のやつらは楽ばかりして不平等だ」とひがむなら、「じゃあ全員が不幸なら満足なの?」と問うしかない。
確かに世の中、恐ろしく不平等だ。
だが、そこで考えるべきは、人の幸福をねたんで、こき下ろすことではない。全員を不幸にする方が、全員を幸福にするより簡単かもしれないが、みんなが幸せな世の中の方がいいと思うなら、幸せな人の足を引っ張るより、一人でも多く、幸せな人を作った方がいい。その一人を作る、つまり自分を幸せにするように動いた方がいい。それが、本人次第ということだ。
お金持ちになると妬まれやしないかと、心配だと言ったけど、妬まれる方が悪いわけではない。
本田健さんの言うような理想が実現できるかはわからないけど、みんながお金についてしっかり学び、お金に対する偏見をなくし、幸せを目指すようになることは、大いに広めた方が良さそうだ。
PS:最近書いていることは、自分でも「いやあ、書いてブログに載せるようなことじゃないなあ。自分の心にしまっておけばいいようなことだ」と思っています。あまり上手くまとまってないし、面白くもないと思っております。やや後悔しています。
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