気づいたこと

最近、気づいたことがある。

五木ひろしは歌がうまい。

以上。

いやあ、いままで、五木さんって、森進一さんと並んで、どうしても、被モノマネ歌手のイメージが強いから、モノマネされるために歌手になった人なのかなと思っていたわけで。うまいんだろうなとは思っていたけど、実際の歌のうまさをそこまで意識したことがなかった。でも、ちゃんと聴いてみると、ああ、やっぱりうまいんだなあと。

今まで、僕にとって、歌というのは、高いキーが出るかどうかが重要なポイントだったのだけど、少しずつ音域が広がってきて、今度はいかに表現するかという点に意識が向き始めて、そんな時、五木ひろしを聴いたら、あ、うまいなってなった。

同窓会だって

中学の同窓会のお知らせなるものが、いきなり届いた。往復はがきである。

「数日後、同窓会のお知らせをお届けします」というお知らせを前もって届けておいてくれれば、心の準備もできたのに、いきなりだから、結構焦る。

同窓会など、僕には関係ない話だと思っていた。それがあるのは、どこかの国の少数民族の話で、僕の生まれた地域にそういう風習はないものだと思っていた。

だが今回は、呼びたくなくても一応全員に声をかける決まりになっているらしく、僕のところにも来てしまった。

いままで一度も、同窓会のお知らせなど来なかったから、僕のことを忘れてくれたのだと思って、安心していたのに。 「天災は忘れた頃にやってくる」とはよく言ったものだ。

これを見た僕の第一声は「勘弁して下さい。どうか僕のことは、忘れてください。放っておいてください」だ。

中学時代なんて、僕にとってはトラウマだらけなのだ。碌に人と会話もしないまま卒業した学校だ。いまさら、行ったところで自分の居場所なんてあるわけがない。

そこに顔を出すなんて、まず無理だ。この気持ちは、ずっと登校拒否している生徒に近いのかもしれない。

もちろん行くつもりはない。成人式も行かなかったのだ。

そもそも、参加費の7000円。僕に払える余裕など、あるわけがない。そんな大金、どこを掘れば埋まっているのか皆目わからない。



同窓会の案内が来たくらいで、そんなに焦る必要もないのだが、いざ受け取ると、胸をかき乱されるものだ。

たとえば、幹事の女子の名前には括弧書きで、旧姓何々などと書かれている。何か苗字の変わるようなことがあったのだろう。そのことにも多少動揺してしまう。

彼女のことは覚えている。当時の僕は、そばにいる人が、みんな僕に対して腹を立てているに違いないという被害妄想の中にいた。だが、彼女は違った。彼女の隣の席になったときは、とても心が安らいだ。

彼女は、クラスの最下層の、誰にも相手にされず、馬鹿にされていたであろう僕に対してすら、とてもやさしかった。快く教科書を見せてくれたし、「隣や近くの席のひとと相談して、答えを発表しなさい」などという課題が出たときは、他の人のように僕を無視せず、笑顔で楽しそうに話を聞いてくれた。

彼女だけでなく、同級生の色々な人に、色々なことがあったんだろう。一応知っている人達の色々。それを思うと、精神が持たない。

時の流れの切なさが、ただただ、胸にしみる。



たかが、同窓会。たかが、はがき。

無視したいところだが、死亡説とか流れて、探されても迷惑だから、一応返事は出そう。

「欠席」に丸をつける。

住所や電話番号を書く欄には何も書かない。なにしろ放っておいて欲しいのだから。

その他に、何か言葉を添えた方がいいのだろうか。近況を書くとか。

「EXILEのメンバーをやっています」

いや、これだと、放っておいてもらえなくなってしまう。



結局「虫の息ですが、生きています」と添えて出しておいた。


続、背中が痛い

そんなわけで、背中に痛みを抱えながら一日を過ごした。

あとで読もうと積んであった本の山の中から、綿矢りさの『蹴りたい背中』が目に入る。

恐ろしいタイトルである。こんな背中が痛いときに、背中を蹴られてはたまらない。

だが、逆にどんな背中が「蹴りたい背中」なのか知っておけば、背中を蹴られなくても済むかもしれない。そういう意味では『蹴りたい背中』は実用書のコーナーにおいた方がいい本といえる。

早速読み始めたが、途中で眠くなり、そのまま寝てしまった。起きてこれを書き始めた。背中の痛みはまだ続いているが、少し落ち着いてきた気もする。

背中全体が痛いような気がしていたが、落ち着いてきた今、冷静に向き合うと、右側が特に痛い事がわかる。軽い肉離れとかそんな感じなのかな? それと、大きく息を吸い込むと痛いというのもある。

うつ伏せに寝ていれば楽なので、もしこのまま痛みが消えなかったら、うつ伏せに寝たままでも出来る仕事を探そうかと思ったが、そんな仕事はまず無さそうだ。思いつくのはスケルトンの選手だが、とても食べていけるとは思えない。うつ伏せに寝ているだけでいいという点は条件に合うのだけど、プロスケルトンというのは聞いたことがない。そんなうまい話はないということだろうか。

まあ、徐々に良くなって来ているので、心配いらないだろう。明日には痛みもなくなるんじゃないかな。

背中が痛い

ああああ、背中が痛い。

原因不明の背中の痛みに襲われている。一人暮らしゆえ、近くに痛みを訴える人もおらず、こうして書き記す次第である。将来読みなおした時「そんな日もあったね」なんて笑い飛ばせる日が来ると信じて。

どのくらい痛いかというと、人の背筋運動を見るのが好きで、「背筋運動を50回やってみせてくれたら、一万円あげるよ」と言いながら全国をまわっている金持ちの夫婦が、いま目の前に現れても、泣く泣くあきらめなければならないくらいの痛みだ。 「なぜ今日なの!?」と唇を噛むことだろう。 「ごめんなさい。できません」と断ると残念そうな顔でその夫婦は去っていくけれど、残念なのはこちらである。

昨日から、少し痛かったけど、今日さらに痛くなっている。いったい、僕の背中に何が起きているのか。

原因を探っていくうち、バスケットボールを追いかけて、折りたたみ机の置いてある席に突っ込んだ時のことを思い出した。いや、これはどうも他人の記憶と混同している可能性が高い。ここ最近バスケットボールはやっていないから。

原因がわからないので、なにか悪い病気だったらどうしよう、これからもっと痛くなったらどうしようと心配してしまう。

うつ伏せに寝ていれば、とりあえずは楽だが、ずっとうつ伏せに寝ているわけにもいかないし。早く治ってくれればいいのだが・・・・・・。




歩行者あるある2

道を歩いていて、なんだか下水とかの嫌な匂いがするときあるじゃん。

あのとき、この匂い、自分から出てるんじゃないかって心配になるよね。

未来を掘るモグラ

モグラは穴を掘って、進んでいた。

未来の方に向かって。

もう、どれだけ堀っただろう。

いつまで掘っても、土ばかりで、何も変わらない風景が続く。

「もう、疲れた。掘るのをやめよう」

正面の土の壁を背にして、寄りかかってみると、今まで自分が掘ってきた、土のトンネルがそこに、たしかにあった。

自分以外だれも通っていない、自分だけの道だった。

「よく、ここまで掘ったなあ、でも、何のために掘っていたんだっけ?」

自分の道のずっと奥に、想いを巡らせる。

はじめは、掘ることしかできなかったから、掘り始めた。そのころは、うまく掘れなくて、すぐに手を痛めていた。

だんだん、掘るのがうまくなってきて、手を動かして掘ることが、足を動かして進むことが、楽しくなってきたから掘り進んだ。

そのうちに、何があるのかわからないけど、このままいけば、この先に何かステキなものが待っているような気がして掘り進んだ。

「そうだった。でも今はもう」

今はもう、掘るのも楽しくないし、ステキな何かが待っているような気もしなくなっていた。

変わってしまったんだなあ。あのころとは。なにもかも。

なにもかも?

背にしていた土の壁に向き直った。

掘りはじめたころより、大きく、強くなった手で、その土をえぐってみる。

あっさりと、土は足元に落ちた。

「いや、この先に何があるのかわからないのは変わってない」

モグラは再び、穴を掘って、進んだ。

「あ、そういえば、掘ることしかできないのも変わってないや」

未来の方に向かって。


中村

お笑い芸人のヒューマン中村さんをみると、「あ、ほんとに『中村』っぽいな」と思う。

僕の中では「中村顔」というのがあるような気がして仕方ない。そういう意味ではヒューマン中村さんは仮に「中村」じゃなくても「中村さん」と呼びたくなってしまうくらい、中村顔だなと思う。また、あのマッシュルームのような髪形も、多くの中村さんが好んでしそうなイメージがある。

名字だから、今日に至るまで、結婚、交配によっていろいろな顔の遺伝子が混ざってきているはずで、ただの僕の思い込みだとは思うが、その特徴をまとめるなら

①目が細い。少なくともぱっちり系ではない。つり上がっている場合もある。

②鼻がやや高めで、長め。ひらがなの「し」で書き表せそうな感じ。

この2つを満たせば典型的な「中村顔」である。どちらか1つでも、強く出ていれば十分「中村っぽさ」は出る。逆にどちらも当てはまらない中村さんを見ると「本当に中村さん?」さらには「お前それでも中村か?」とさえ思う。

試しにその辺のメモ用紙に、適当な輪郭を描き、ひらがなの「し」のような鼻を描き、線のような目を2つ書き添え、眉毛と口を適当にくっつけたのち、吹き出しで「中村です」と書いてみれば、誰もその言葉が嘘だとは思わないだろう。

「中村」は特に歌舞伎役者に多く、彼らも中村顔所有者である場合が多い。というより、僕の「中村顔」のイメージはそこから来ているんじゃないかと思う。

またどうでもいい話だった。

ウソは言わない

僕は普段、ウソはつかないことにしている。あまりに正直者なので、『走れ正直者』という歌のモデルは僕だと言われている。そんな僕も、子どもの頃は、意味もなくウソをついていたものだ。昔ついたウソをちょっと思い出した。

その話の前に、改めて、『走れ正直者』って自由でいい歌詞だなあと思う。これが書けるさくらももこさんが本当にうらやましい。

さて、昔『ストリートファイターⅡ』というゲームがすごく流行った。僕はまだ小学生だった。まあ、ご存じだろう。いろいろな国の、8人のキャラクターから一人を選んで、他のファイターたちと対決する格闘ゲームだ。

このキャラクターたちの国籍は、日本だったり、アメリカだったり、中国だったり、ロシアだったり、インドだったり、ブラジルだったりする(ちなみに僕の持ちキャラは、インドのダルシムだった)。

ストリートファイターⅡは大人気だったが、Ⅱということは、ストリートファイターⅠがあるはずだ。でも、だれもストリートファイターⅠについて知っている人がいなかった。そもそも、そんなものが本当にあるのかさえみんな知らなかった。

それで、僕のついたウソというのが、「ストリートファイターⅠ」というがあって、それはⅡと同様、8人のキャラから自分の好きなキャラを選ぶというものだったが、その8人は北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の代表者で、国内の戦いだったというものだ。ちなみに、Ⅱに日本代表として登場するリュウとエドモンド本田はその8人に入っていたというのも付け加えた。

そのウソについて、周りがどんな反応を示したかは、あまり覚えていない。

実際の『ストリートファイター(Ⅰ)』について、今はネットで検索すれば簡単に知ることが出来るが、未だに僕としては、僕のついたウソの『ストリートファイター(Ⅰ)』の方が面白そうな気がする。

2012年総決算

前回の記事に関して、さらに詳しく説明する文を書いたが、いい加減にしろと思われそうなのでやめた。

そこで、今日は今年も残りわずかということで、2012年重大ニュース、ベスト5を発表していこう。

まず第5位 平沢勝栄さんが亡くなる夢をなぜか見る。

いきなり、縁起でもないが、夢だから仕方ない。何か事件に巻き込まれ平沢勝栄さんが亡くなったらしい。しかし、その自宅で、3~4歳のお孫さんと思われる男の子(実際にそんな孫がいるかはわからない、夢の話だ)が大声で、何かしゃべりだした。「若いものがちゃんと働けば、そのパワーが国を変えるんですよ」といった内容の勝栄節の演説だった(実際そんなことを言ったかは知らない、あくまで夢の話)。門前の小僧何とやらで、きっと、この子は何度もこの演説を聞いて、覚えてしまったんだろうなあ。それにしても、しゃべり方が勝栄さんそのものだ。勝栄さんが乗り移ったように演説を続ける天才少年。その姿を見ていたら、感動して涙があふれてきた。

ちなみに僕は政治に関心が薄く、平沢勝栄さんについてほとんど何も知らない。にもかかわらず、こんな物語を急に作り出してしまう脳のクリエイティビティには驚かされる。脳の無限の可能性には驚嘆を禁じえない。


第4位 ジュディ・オングの名前忘れる

あの『魅せられて』歌っていた人誰だっけ? 名前が出てこないよ。

「ウィンディズブロウインフロムジエイジャ~ン」って言いながら、クジャクみたいに両手を広げる感じの。タイトルが「みせられて」だから、たぶんあれはコートの下に何も着てないおじさんが、コートを広げるところを表現しているんだろうけど・・・。

ルビー・モレノじゃなくて・・・。ゴリライモじゃなくて・・・。

ってなった。結局思い出せたけど、年をとると、こうやってどんどん人の名前忘れていくんだろうなと思った。


第3位 『ARIA』面白かった

前に少し触れたマンガ、『ARIA』は人生変わりそうなくらいよかった。読み終わった後、世界がいつもより美しく感じられた。

最近は『ましろのおと』というマンガも読んだが、こちらもよかった。他には『ばらかもん』とか『3月のライオン』とか『あさひなぐ』『おおきく振りかぶって』などが僕の好きなマンガである。なんとなく傾向が見えるだろうか。


第2位 ロンドンオリンピックを見たりした

もうさんざん書いてきたからいいだろう。次行こう。


第1位 歯が痛くなった

そうこれ。詰め物が取れたのが2年ほど前だが、「歯医者嫌だ」「面倒くさい」などの、やむを得ない事情で放っておいたら、ついに痛み出したので、歯医者に通い始めた。治療には数カ月かかる見込み。

ロンドンオリンピック終わる

オリンピックも終わってしまった。まさか終わるとは思わなかった。テレビをつけてもやっていないなんて、寂しいものだ。

今回もたくさんのドラマがあって、面白かった。メダルの期待された選手が、惜しくも敗れたり、逆に、予想以上の快進撃でメダルを獲得したり。

特にフェンシングとか、奇跡を見たようだった。あと、卓球とか、バレーボール、バドミントンも素晴らしい快挙だった。

だが、僕にとって、今回のオリンピックでの最大の感動はやはり、体操の内村選手の個人総合金メダル。

僕も体操経験者なので、選手たちの動きを見ながら、その体の感覚を経験を頼りに、想像しながら見ていた。

その体操競技での金メダルは、感慨深さもひとしおである。

そして、体操部時代のことも少し思い出す。

鉄棒で手の豆を何度もつぶしたこと。

何度も頭をぶつけながら、やっとバク転を体得したこと。

あと、先輩たちのいじめの標的にされたこと。



――中学に入学後、体操部に入部することにした。男子体操部と女子体操部と新体操部があったが、レオタードを着たくなかったので、男子体操部を選んで入った。

しかし、気が弱く、運動がもともと苦手だった僕が、こいつはダメなやつだと烙印を押され、あたり散らしの対象となるまで、そう時間はかからなかった。

何かダメなところを見つけては、それをあげつらうというやり方で、彼らは、自分を正当化しつつ、気分良く、僕に対して、いじめを行った。

あるときは、跳び箱の上で倒立の姿勢になるということが、なかなかできない僕にしびれを切らし
「もっと強く蹴れって言ってるだろ! なんでできねえんだ」「ほら早くやれよ」と耳元でがなり散らした。

あるときは、僕に無理矢理、筋トレを散々やらせた(いわゆるしごきというやつ)あとで
「お~い。こいつ本当に力がないんだぜ。ひどいよ。おい、腕立て伏せ10回やってみろ」
疲れきっている僕は、腕立て伏せを10回やる力も残っていなかった。
「10回も出来ねえのかよ。普通10回くらいできるだろ。(他の一年に)。なあ、お前ちょっと腕立て10回やってみ(彼はしごきを受けていないので、当然、普通に10回できる)な、できるよな。こいつ10回もできないんだぜ。どう思う? ひでえだろ」

そうやって、無理にでもダメさを露呈させては攻撃してくるのである。彼らは、こいつがダメなのが悪いだから自分には怒鳴りつける権利があると信じていたのろう。いじめているという認識もなかったのかもしれない。こいつがやる気がなく、ダメだから教えている、説教している、そしてそれは当たり前のことなのだと思って、何の罪悪感もなくそうしていたのだろう。

一度、こいつは、ダメなやつだから、いじめて構わない。いや、そうするべきなのだという雰囲気ができあがると、嵩にかかってひどくなる。

「おめえは何やってんだよ、早くしろよ!」
「はっきりしゃべれ、この野郎」
「何、泣いてんだ! 泣きたいのはこっちだよ!」

僕は毎日のようにあからさまに、イライラや舌打ちをぶつけられ続けた。

とうとう、いままで傍観していた同級生からも、
「おら、立てよ、やる気あんのかよ」
と胸ぐらを掴まれ、座って休んでいるところを、無理矢理立たされたりした。彼もまた、この国の多くの人が目指す、みんなから愛される「空気の読めるいい子」である。ちなみに、そんな態度をいつもとられていて、やる気満々なわけはない。

何をしても、どう動いても、少し間違えば、または、気に入らなければ、彼らは文句をつけてどなり散らした。僕は、どうすればいいのかわからなくなり、ただ、怯えてビクビクしているしかなかった。すると、その態度にますます、彼らは腹を立て、図に乗って襲いかかってくる。

もう怖くて、嫌で仕方なくて、練習を休んだりしたが、そうすると、今度はそれをネタに罵られた。

逃げ場も、拠り所もなく、ただ、そんな日々を耐えるしかなかった。

先輩に「お前見てるとムカつくんだよね。何でなんだろう?」と真剣に言われたこともあった。そうか、僕は、ただそこにいるだけで、人を嫌な気持ちにする人間なんだなと、悟ったような、妙な気持ちになった。

自信を失い、あきらめだけが残った。

もうその頃には、感情を表に出すことがほとんど出来なくなっていた。「みんなと同じように笑う資格などお前にはないのだ」という目が常に向けられているように思えてならなかった。何を言われても、無表情で「はあ」「はい」「いや」「まあ」など、適当に返して、嵐が早く通り過ぎるのを祈った。心で泣きながら、感情を必死で殺した。そうして、自分を守った。

ちなみに、この傾向はその後、高校に入ってからより強くなる。元来、人の気ちを酌んだり、察したりするのは得意なはずだったが、なるべく、人の気持ちを考えないように、関心を持たないように、自分のことだけ考えるように、つまり、自分の殻に閉じこもるようになっていった。いっそ何も感じなくなってしまえばいい。心なんて無くなってしまえばいいとさえ思うようになる。その結果、相当に自分勝手な人間になったが、それはまた別の話。

さて、自分でも不思議なのは、それでも体操部を辞めなかったことだ。辞める勇気もエネルギーもなかったのだろう。3年間続けた。何があっても、ただ黙々と練習を続けた。

その結果、最終的には、それなりに上達し、戦力にもなり、周りからも信頼されるようになった。技が出来るようになると、褒めてもらえることもあったし、嫌なことばかりでもなかった。同級生たちとも和解し、彼らとなら仲良く話せるようにもなった。

これが、僕の中学時代。今となってはもう、笑い話である。だが、心の傷は相当深かったようで、未だに傷痕は消えずに残っているようだ。

それから、人間不信をひきずって人と接することが出来なくなっていた僕は、死にたくなるような、暗黒の高校時代に突入していくが、それもまた別の話。


オリンピックの話とだいぶそれたが、過去を持ちだして、僕のしたかったことは、自分の不幸を嘆くことではない。(今は別に、不幸だとも思っていない。)多少こじつけ感もあるが、この過去と、オリンピックを一つの例として考えて、今後の戒めというか、参考にしたい。

体操の団体で、内村選手の鞍馬の着地に関して、採点で一騒動あった。結果、順位が入れ替わって2位になったが、内村選手は「2位も4位も変わらない」と言った。

わかる気がした。結局、それは採点の問題で、演技自体が変わるわけじゃない。どれだけ悔しくても、やり直せるわけじゃない。ミスがあったことに変わりはないのだ。その自分の中での絶対的事実に対して、採点者がどう評価し、判断するかは大きな問題ではなかったのだろう。そんな彼が、個人総合で金を取れたことは、本当によかった。

彼に限らず、オリンピックに出る選手たちは、そういった全てを、結果として受け入れる。オリンピックのために、すごく練習して、思い通り結果が出せたり、すごい練習したのに、うまくいかなかったり、それも全て、彼らの人生なのだ。彼らは、自分の人生として、それを受け止めるのである。

同様に、今僕が生きているこれは、僕の人生なのだ。誰が、どう思おうと、何を言おうと、何が起きようと、どういう結果になろうと、それは動かない事実だ。だから僕も、彼らがそうするように、受け入れたい。

僕の今までの人生は、そんなに順風満帆とはいかなかった。だからといって、いつまでも被害者面で、それを嘆いて誰かの同情を勝ち取ったとて、本当に幸福にはなれないだろう。

不幸な人生になったのは、俺のせいじゃないんだから、誰か取り替えてくれといっても、誰にも取り替えてはもらえないのだ。結局どう生きて、どう思うかは、最終的に、自分の責任なのである。

ならば、本当に自分がするべきことは何なのか。

今後、自分のせいとは言えないような被害にあった時、どうするべきなのか。

そういうことを考えたオリンピックだった。


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