へんなゆめ

赤ちゃんの足の裏同士を、母親がを瞬間接着剤でくっつけるみたいな映画をみている夢を見た。

「あ、この映画、見たことあるなあ」なんて思いながら見ていたのだけど、そんな映画ないよね。

「一見、残酷に見えるけど、これから死にゆく運命のこの子が少しでも苦しまないようにという、母親の配慮なんだよね、悲しい話だなあ」などとも思っていた。なぜそういう状況なのかは、全くわからない。

悲壮感の強いシーンだった。一回試しにちょっとだけ接着剤を付けて、すぐにはがすシーンの皮膚が引っ張られる感じとかが、見ていてすごく辛い画だった。このあと、本格的に、接着剤を貼り付ける場面に差し掛かるのかと思うと、もう見ていられないくらい悲しい。一体誰が、こんなひどいことを考えるのだろうと、憤りすら覚える映画であった。

にしても、起きているときは、絶対にしない発想だし、そんな怖いこと考えもしない。こんな普段は絶対考えないようなことをなぜ、夢で見るのだろう。

夢で見られるということは、僕にも、こういうやや残酷なことも、考えられないわけではないということがわかる。

同時に、普段思いつかないような、神がかったもっと面白いことも、考えつく可能性は十分にあるだろうとも思える。

僕に中には、まだ自分の知らない自分がいて、無限の可能性が眠っているんだろうなと思う。

脳の90%以上は眠っているなどという話も聞いたことがある。まあ、それは大げさで、残り90%以上が全部使えるようになるなんてことはないだろうけど、それでも自分でも驚くような力が脳には潜んでいるのは確かだろう。そんなことを茂木健一郎先生も言っていた気がする。

一人の人には無限の可能性がある。だから、自分には無理とか、あいつには無理とか、簡単に決めつけてはいけないなといつも思うんだよね。自分も他の人も無限の可能性を秘めた、尊敬すべき存在だ。

そのあたりのことを

「ひとの能力を自分のものさしではかるな
 自分の能力をひとのものさしではかるな」

という名言にして、まとめておこう。

ゲームセンターCX

雪が降ったことを教えてあげようと思ったけど、みんな知っているようなのでやめておく。感想としては、普段、記念日を無視して生きているので、こういう日の方が特別な日という気分になる。

さて、最近は「ゲームセンターCX」の動画をYouTubeなどで拾って見ている。

最初は、食事中の暇つぶしのつもりだったのだが、たくさんあるので、見過ぎというくらい見てしまっている。自制が効かなくなってきている。

人のやっているファミコン見てるのって面白いね。

アマゾンでDVD-BOXのレビューを見ると、有野さんだから成り立つ企画だというのがあったが、全くその通りだと思う。意見が合うなあとそのレビュアーの肩を叩きたいくらいだ。10時間以上机に座って、笑いながら忍耐強くゲームを続けられる有野さんの性格。友達にするならこういう人だなと毎回思う。

今も、動画を見ながら書いている。時間を無駄にしている気がしなくもないが、ゲームを自分でやるよりは、はるかに時間はかからないはずだし、自制が効かなくなるくらい面白いと思うものに出会うことは、その要素を盗む気持ちで見れば、僕のようなクリエーターにとってマイナスではないだろうとプラスに考えて、見続けている。

コーヒーメーカー

前回の質問、後半なんか知らないじいさん乗り移った。誰だったんだろう。

さて、最近コーヒーメーカーを買った。

コーヒー好きを名乗る割には、今までコーヒーメーカーを持っていなかった。

そんなことで、コーヒー好きをよく名乗れたものだとお思いかもしれないが、れっきとした理由があった。

今まで持っていなかったのは、手入れが面倒くさそうだからだ。面倒くさがり屋を名乗っている以上、面倒くさそうなものに手は出せない。

もう一つ、今まではドリップ式のコーヒーやスティックコーヒーをいれるためのお湯を沸かす間に洗い物をするという自分ルールがあって、そのおかげで、洗い物がたまらないようになっていた。

もし、コーヒーメーカーを買ってしまったらお湯を沸かす機会が減ってしまい、洗い物ができなくなってしまう。

以上が、コーヒーメーカーを持っていなかった理由であるが、最近寒くて、布団から出るのが面倒くさく、朝起きてから、すぐ布団の中でコーヒーが飲めたらいいなあという、面倒くさがり屋特有の理由で、布団のそばにコーヒーメーカーをおいておくことに決めた。

買ってみてわかったのだが、手入れは全く面倒くさくなかった。フィルターをそのままゴミ箱に捨てるだけでほとんど汚れることはない。ポットをすすぐくらいで大丈夫だ。うまくできているものだ。

美味しい淹れ方の研究や豆探しなど、コーヒーの楽しみが増えた。

あとは、もう一つの、洗い物がたまってしまう問題を解決すれば、コーヒーメーカーを買ってよかったことにできる。ここは僕の知恵が試される時だ。

Q7 AKBの推しメンは誰ですか?

A:おしめん? ってなんですか?

AKB48 のメンバー、最近ようやく大島優子さん、板野友美さん、篠田麻里子さんなら顔と名前が一致するようになりました。それ以外は全くわかりません。卒業した前田敦子さんもわかります。さしこさんという人がいて、別のユニットに異動になったとかいうのも聞きましたが、顔はわかりません。

もし学校の教科で「AKB」というのがあったら、落ちこぼれになると思いますし、テストでAKBのメンバーの名前を書きなさいという問題が出たら、とりあえず一人くらい「山田」はいるんじゃないか、「佐藤」「田中」もいるんじゃないかということで、そのへんの名前を適当に書くしかできないでしょう。

この際なので、このまま知らずに生きていこうと思っています。たぶん、知らなくても、生きていけるでしょう。

そんな感じで、こうして、人生の黄昏を迎えると、若い人の文化に追いつけなくなってきます。

僕の世代で言うと、子供の頃は「青い山脈」とか「東京ラプソディ」なんかが流行っていましたし、あとは美空ひばりですかね。もう少ししてからはダーク・ダックスとかタイガースですか、青年時代は吉田拓郎とか、かぐや姫、アリス、井上陽水、中島みゆき、さだまさし、そのあたりをよく聴いていました。あまり演歌には行かなかったけど、演歌の連中ももちろんうまいですよ。

それに比べて、最近の若い人の歌は、ジャカジャカジャンジャカ鳴らして、どれも同じに聞こえますし。横文字ばかりで何が言いたいのかよくわかりませんね。苦労して聞き取っても「あなたが好き」だの、「会いたい」だの、大したことは言ってないですしね。そんなのばっかり聴いてて、思いやりとか、そういう心がちゃんと育つのかなって心配になりますよ。

まったく最近の若いものはなんて、ジジ臭いことのひとつも言いたくなりますよ。まあ、老人の戯言だとおもって、聞き流してください。

手首が痛い。

なんか左の手首が痛い。

変化球のキレに影響が出てしまいそうだ。シーズンオフで良かった。な~んて、僕は右投げだから大丈夫。

前にも、背中が痛いとか言っていた気がする。この際、体の不調を訴えるブログにしようかな。もちろん、背中の痛みはもうすっかり治っている。だから手首の痛みもすぐ治ると思う。

ブログの副題も「体の不調を訴えるブログです」とかに変えておこうかな。

そんなの誰が読むんだよと言われてしまいそうなので、少しおもしろくするために、必ず謎かけをひとつ入れなきゃいけないことにするの。

「左手首が痛い」とかけまして、「匠にリフォームを依頼した家」とときます。そのこころは「そのうちよくなるでしょう」。

このくらいのクオリティでいいんじゃないかな。


歩行者あるある3

A棟とB棟に分かれているマンションを通りかかると

心の中で、クロマニヨンズの『エイトビート』を歌うよね。

Q6 子どもの頃なりたかった職業は何ですか?

A:漫画家です。

子どもの頃は、漫画ばかり書いている、漫画少年でした。将来漫画家になりたいと思ったのも、自然な流れと言えるでしょう。

ですが、中学生になってからはスーパーファミコンや、プレイステーション等のゲームに追われ、忙しかったので、だんだん、漫画を描くことをしなくなりました。

それで、何となく、漫画家という道から外れていったという感じです。

あと、極端な面倒くさがり屋なのも、漫画家を目指さなくなった大きな理由かもしれません。

人物の顔を描くのは好きだけど、手足や服を描くのが面倒くさい、背景を描くのが面倒くさいと感じてしまうのです。そのまま漫画家を目指しても、顔は井上雄彦、体はやなせたかしといったアンバランスな絵になってしまうでしょう。とても向いているとは思えません。

仕事とはいえ、面倒くさがらずにやっている漫画家さんたちは偉いなあと思います。

まあ、人生何が起こるかわかりませんから、これから先、何かのはずみで漫画家になってしまうかもしれません。

そうしたら「進研ゼミを始めたら、成績が急上昇、部活でも大活躍、幼なじみの女の子との恋もうまくいきました。進研ゼミをやってよかった」みたいな夢のある話を描こうと思います。

Q5 今までで一番ラッキーだったと思う出来事は何ですか?

A:生まれてこれたことです。

それがなければ、いいこともわるいことも何も始まりませんでしたから。

僕が生まれなかった可能性の数は、数字で表せば、それこそ天文学的なものになるでしょう。

例えば、両親の間に、僕とは違う誰かが生まれて、僕が生まれてこれなかった可能性でさえ、ぞっとするくらいあったはずです。

でも、そんな途方もない数の可能性の中から、僕が今ここにいるという現実がある。

どんな可能性の低いことでも、起こってしまえば、それがただひとつの現実であるということが、不思議で仕方ないし、怖くてたまりません。

そして、これから先、どんな現実が待っているのか、全くわかりません。わかることは、これからもとんでもない量の可能性があるのに、現実に起こることは一つだけで、起こってしまえば、もうあとに戻ることは出来ないということ。その現実を受け入れることしかできないということです。

何があってもおかしくなかった過去を通り越して、今この現実がある。

僕が今ここにいることを含め、あたりまえのことなんて何もないんだなあと思います。

だからといって、産んでくれた親に感謝などと言うつもりはありません。

親は僕を産もうとしたわけではありません。生まれてきたのが僕だったのです。

言葉は悪いけど、親にとっては、僕である必要はなかったわけです。だから親に感謝するのは、育ててくれたことの方です。

僕が生まれたのは本当に偶然です。だからこそラッキーだと思うのです。

僕が生まれる必然性は全くなかった。だけど僕は生まれた。だからありがたいのです。

僕はたぶん世界に必要ない。いなくてもいい。

でも、いなくてもいいからこそ、いてもいいのだと思える。

何にも縛られずに、思う存分生きればいいと思える。楽な気持ちでいられる。


人は、生まれてきた意味を探します。

しかし、探すほど、そんなものはないということに、気づき始めます。自分だけでなく、世界そのものにさえ、意味などないのだと、気づき始める。実存は本質に先立つというのはどうやら本当なのだと。

そこには宿命も、義務もなく、ただ果てしない自由だけがあります。

自由ということは、多くの可能性から、あらゆることを自分自身で選択して行かなければなりません。そして、その選択がただひとつの現実を作っていきます。

どんな結果になっても、誰のせいにもできない。責任は自分にある。

でも、すべての意味が、あらかじめ定められた世界に生きるより、きっと、そのほうがいい。

なんでもない自分が、なんでもない世界を、自由に生きることができる。

もともと意味のない世界を、自分で意味を作りながら、生きていく。

言い換えれば、自分が主人公になって、自分の物語を作りながら生きていく。

それは、生まれてこられたものだけの特権なのでしょう。

そういったわけで、生まれてこられたことが、一番ラッキーだったことです。

二番目は、子供のころ、ドラクエのカードゲームをゲームショップで見かけ、値段が書いていなかったので店員さんに聞いたところ、「う~ん、わからないから100円でいいよ」と100円で売ってもらえたことです。


パソコン用のメガネを購入

長い時間パソコンに座って、作業をしていると、目が痛くなるという法則を発見した。

そんな時、ちょうどブルーライトをカットしてくれるという、パソコン用のメガネがあることを知った。

前からブルーライトが邪魔で、どこかにどかしたいと思っていた。「ブルーライト・ヨコハマ」の「ヨコハマ」の部分だけが欲しいと思っていたし、目が痛くなるのは、ブルーライトの影響だというし。

今までは、手で目の前のブルーライトを払いのけていたが、それも面倒くさくなってきた。メガネがブルーライトをカットしてくれるならありがたい。

どんなのがあるのか、手でブルーライトを払いながら、パソコンで調べていると、ネットでも注文できることを知り、試着は出来ないが、思い切ってネットで購入。

レンズの度数などは、以前に購入したメガネの保証書に書いてあるので、それを打ち込んで注文する。

ブルーライトカットの分、料金を上乗せする必要があったが、1万円程度で買えた。

かけ心地がいいし、飛んでくるブルーライトも少し減ったような気がする。クリアレンズにしたので、パソコンの時だけでなく普段も使える。

昨日一日そのメガネで過ごしてみたが、誰からも「メガネ変えた?」などと聞かれることはなかった。まあ、別に寂しくなんかないさ。

基本的には、部屋用のメガネにする。


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