小6の時

アンビリバボーの冤罪の話を書いた。僕にも、冤罪で責められたことってあったっけなあと考えてみる。

それっぽい感情になった出来事をいくつか思い出す。大きいものはいろいろな意味で書けないから、小さいやつを書いてみよう。



小6の頃の話、遠足か何かに行ったあと、その時のことを振り返って、まとめてみようみたいな課題が出された。

アンケート用紙みたいなのが配られて、項目を埋めるように書くのだけど、そこに「私だけが知っている」という項目があった。つまり、何かチクりなさいという項目。

その遠足は僕にとって、特に変わったこともなく終わったので、思い当たることが何一つ無かった。

「ありません」と言っても認めてもらえなかった。担任の先生は書くまで帰さないと言う。

どう考えても、ないものはない。

長い時間悩んだ。放課後という時間帯さえ過去になり、みんな帰宅し、周りに児童はいない。校舎に残っている者は僕と、職員室の職員達くらいになっていた。

結局僕は、嘘を書いた。

「『手を触れてはいけません』と書いてある模型に触っている人がいた」と。

そんな人はいなかった。ただ見学先に「手を触れてはいけません」と書いてある五重塔か何かの模型があったことを覚えていただけだった。

先生は「書けたじゃないか」とようやく帰してくれた。

でも、僕はそんな嘘を書きたくなかった。「何も無かった」という僕にとっての正直な意見を通してほしかった。

なんでこんな目に遭わなきゃいけないのかと思いながら、薄暗い道を歩いて帰った。



それとは別の日。(この話前にもしたっけ?)

朝のホームルーム。先生が何か怒っている。

「廊下の絵が落ちていることを、知らなかった者は手を挙げろ」と言う。

僕は全く心当たりがなかったので、正直に手を挙げた。

僕以外に手を挙げる人はいなかった。

すると、クラスメイトの一人が「なに一人で逃げようとしてるんだよ!」と僕に苛立ちの声を上げた。

その後の話でわかったが、廊下に飾っていた絵が落ちているのに、誰一人それを直そうともしないことを先生は怒っているらしかった。

先生は僕に対して、「お前は、もっと周りに気を配れ」と非難した。

僕はただ普通に学校に来て、座席に座っていただけで、何も知らなかった。

先生が怒っているらしい空気の中、一人正直に手を挙げる方がよほど勇気が要る。でも、僕はみんなと一緒の方が安心だからと知っていることにはせず、勇気を出して手を挙げて、誠実さを貫いたのだ。

その僕が、なぜ、そんなイヤな思いをしなければならないのか。

先生が注意するべきなのは、何も事情を知らない僕を責めたクラスメイトの方じゃないのか。

正直者は馬鹿を見る。嘘をついてうまくやれ。先生は、それを教えたかったのだろうか?



僕は何も間違っていない。何も悪くないと思う。

なのに、遅くまで学校に残されたり、知らなかったことを責められたり、まるで、悪者扱い。

僕はそのことをずっと覚えている。ずっと根に持っている。

たいしたことじゃないように見えるけど、悪者扱いされることって、そのくらい傷が残るってこと。

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