4月3日の日記 アンビリバボーを見る

録画しておいた『奇跡体験アンビリバボー』を見る。

この番組もずいぶん長いことやってる。僕が子供の頃からやってるような気がする。

今回やっていたのは、冤罪事件。身に覚えのない事件の犯人にされ、長時間にわたる厳しい取り調べによって、虚偽の自白にまで追い込まれる。結局、服役後に、真犯人が捕まるのだが、心からの謝罪は無く、警察、検察など関係者は誰も処罰されることはなかった。

見ていて、心拍数が上がる。

「なんだそりゃ、腹立たしいな、おかしいじゃないか、間違ってるぞ」と。

みんなどんな気持ちで見てるのか、Twitterで調べてみる。その結果どうやら、この話は富山の「氷見事件」と呼ばれる出来事を取り扱っているらしい。

Twitterでも、怒りの声。やはり、多くの人が、憤りを感じたようだ。

僕はこの番組を見るときは(「消えた天才」のときもそうだけど)実際の話が元になっているとは言え、感情を動かすエンターテインメントとして見ている。映画やドラマを見るのと同じで、泣いたり、怖がったり、怒ったりの感情の起伏を楽しむためのものだという割り切りがある。

つまり、番組を作る上で、話を面白くするために、脚色があったりとか、見方が一面的になっていたり、大事な部分が紹介されていないとか、何かしらあるだろうと思って見ている。全部を本気にはしていない。

でも、一部の視聴者は怒りが収まらないらしく、富山県警のTwitterやウィキペディアのページが炎上する事態になったらしい。

確かに、その気持ちがわかるくらい、強く感じるものはあって、僕もいろいろ考えてしまった。

例えば、取り調べ担当の警部補。自白するまで追い詰める。許しがたいけど、凶悪で狡猾な犯人と、日々向かい合う任務を仕事としてやるとしたら、毒をもって毒を制すみたいな感じで、そういう人でないと務まらないのかもしれないし、そのやり方がうまくいったケースもあるのかもしれない。警察にも、現場にいないとわからない感覚があるのだろう。だから処罰に抵抗を感じたのかもしれない。何にせよ、僕は無関係で、何も知らないから、炎上に加担するつもりはない。

結局大事なのは、そのあとだ。警察がこんなんじゃ安心して暮らせない。

アンビリバボーは「あなたの身に起こるのは明日かもしれません」みたいな終わり方をしているから、まるで、今も警察はその時のままという印象を与える。でも所詮アンビリバボー。全部を本気にはしていない。

警察とて、さすがにそのままということはないはず。再発防止に努めるという声明も出しているようだし(『富山事件及び志布志事件における 警察捜査の問題点等について』https://www.npa.go.jp/bureau/criminal/sousa/torishirabe/toyama_mondai.pdf)。

それでもなお、同じようなことがあったら、その時は許せないを通り越して、絶望感しかない。日本終わり。売りに出しましょう。

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