今日一日、時間があったので、前回書いたようなことについて、じっくり考えてみた結果。今とてもやる気がある。
どんな答えを出したのか。はっきりと書くつもりはない。
でも次回、さらにその次の回の更新で何となく感じ取ってもらえるかもしれない。
悩みの正体は?
昨日の悩みをもう少し整理してみよう。
どうやら、僕の悩みは「表現でお金をもらうことはいいことかどうか」みたいなことではないらしい。
それに対して答えは出ている。できるものならやればいい。自由な経済活動の範疇だ。
表現にかかわらず、売れるものならなんでも売ればいい。生きていくためだ。何かを売ろうとみんな必死なのだ。僕も必死でやればいい。それはそれでいいのだ。
では、僕の悩みの本質はどこにあるのか。
突き詰めると、この問題は、よく議論される「芸術をとるか、お金をとるか」みたいなことと関わりが深い気がする。「商業主義に魂を売ることなんてできない」という芸術家の話はよく耳にする。
「いくらお金のためでもこれは譲れない」「これは自分の名前で世に出せない」みたいな境界線を、どうひけばいいのだろう。
「量と質どちらが大事か」みたいなこともある。量を増やすために質を落とせば、信用をなくす。もちろん逆も然りだ。「量が大事」「質が大事」どちらの立場を選ぶべきか。
明確な答えがあるわけではない。個人の好みの問題だ。あるいは戦略の問題だ。その時々で変わることでもあるだろう。
とはいえ、前もってある程度、自分なりに方針を決めておけたら、もっと迷いなく創作を楽しめる気がするのである。
例えば、僕が練習で、おもしろそうでおもしろくない少しおもしろい小説を1つ書いたとして、それをどうするか。
インターネットで公開するか、インターネットで販売するか、賞に応募するか、お蔵入りするか。
それが今の悩みの正体だったようだ。別にかっこいいことで悩んでいるわけではない。
そういうことについて、ヒントになるような本でもあればいいけど……。
どうやら、僕の悩みは「表現でお金をもらうことはいいことかどうか」みたいなことではないらしい。
それに対して答えは出ている。できるものならやればいい。自由な経済活動の範疇だ。
表現にかかわらず、売れるものならなんでも売ればいい。生きていくためだ。何かを売ろうとみんな必死なのだ。僕も必死でやればいい。それはそれでいいのだ。
では、僕の悩みの本質はどこにあるのか。
突き詰めると、この問題は、よく議論される「芸術をとるか、お金をとるか」みたいなことと関わりが深い気がする。「商業主義に魂を売ることなんてできない」という芸術家の話はよく耳にする。
「いくらお金のためでもこれは譲れない」「これは自分の名前で世に出せない」みたいな境界線を、どうひけばいいのだろう。
「量と質どちらが大事か」みたいなこともある。量を増やすために質を落とせば、信用をなくす。もちろん逆も然りだ。「量が大事」「質が大事」どちらの立場を選ぶべきか。
明確な答えがあるわけではない。個人の好みの問題だ。あるいは戦略の問題だ。その時々で変わることでもあるだろう。
とはいえ、前もってある程度、自分なりに方針を決めておけたら、もっと迷いなく創作を楽しめる気がするのである。
例えば、僕が練習で、おもしろそうでおもしろくない少しおもしろい小説を1つ書いたとして、それをどうするか。
インターネットで公開するか、インターネットで販売するか、賞に応募するか、お蔵入りするか。
何気ないことだけど、何を選択するかで運命が分かれる気がする。何を選択するのがベストか、今の僕にはわからない。ビジネスセンスがないから。
表現の腕を磨くことばかり考えてきたけど、ビジネスの腕を磨くことも、食べていくためにはきっと必要なのだ。
表現の腕を磨くことばかり考えてきたけど、ビジネスの腕を磨くことも、食べていくためにはきっと必要なのだ。
やりたいことと商売は両立できるのか。イメージ戦略、損得勘定。そこに昨日述べた「人を不愉快にしたくない」気持ちとかも絡んできて、「どうしようかね~」という状態になっている。
それが今の悩みの正体だったようだ。別にかっこいいことで悩んでいるわけではない。
そういうことについて、ヒントになるような本でもあればいいけど……。
最近の悩み~表現者のジレンマ~
僕も、あわよくば自分を表現することで食べていけないかと考えている人間である。
マンガ、映画、本、ゲーム……いろいろな表現で幸せをもらってきた。僕も何か作って恩を返したい。そのための自由な時間や環境が欲しい。そのためにもお金は欲しい。
だが、表現するということは、いわば「出しゃばる」ことである。
それで食べていくなど、虫のいい話でもある。その権利が自分にあるのか……。僕はいい虫を食べてもいいのか……。
そんな気持ちが心の奥にあって、それが自分の創作活動の足かせになっている。もしくはハードルを高める原因になっている。
「つまらんものを世に送りだしたら、ひんしゅくを買うぞ、なんだかんだで射殺だぞ」
と、気楽に創作に打ち込めなくなっているのである。
特にネットの世界には、お金を得るためにたくさんの広告を貼り付け、「質より量!」と、欲望を煽るキーワードを大量にねじ込んだサイトやブログも乱立している。
それらは別に、表現活動というわけではないだろうが、醜いなと思う。お金が欲しい気持ちはわかるだけにやるせない。
そういうものに出会うたび、僕はそんなことしたくないなあとか、僕だけはせめて純な気持ちでブログを書きたいなどと思う。
「何をかっこつけている。お前がやろうとしていることはそれと何が違うんだ?」
横やりが入ってくる。
自分はそいつらとは違う! いや、同じか……、同じだとして何が問題? 嫌われること?
人を不愉快にしたくない?
そう。人にイヤな思いをさせてまでお金を得ようなどということは、僕にはできない。
人を不愉快にしないためには何もしないほうがいい?
だが、表現をしなければ僕の夢は頓挫する。
質がよければ……、でも、質を高めるためにも量は必要では?
それに、お金を得るにはなんであれ量産した方が有利だ。質を落としてでも量を増やすことを考えた方が得だぞ!
しかし、質の悪い物をこれ以上、この世に増やすなど、僕のやるべきことか? 僕のやりたいことか?
――いろいろな考えが頭を巡る。
表現で食べていくなんて、おこがましくてわがままなことかもしれない。
その道を選択することは、自分がそのわがままを通すほど価値のある人間であることを自分からアピールしなければならない。
その図々しさは、人を不愉快にさせる可能性を十分に孕む。
表現はしたい。でも人を不愉快にさせたくない。
このジレンマが僕の中には常にある。
最近まで、それほど強く意識していなかったことである。自分の筆が思うように進まない理由を考えていたら、そこに思い至った。
これから少しのあいだ、この問題について、じっくり考えてみようかなと思っている。
人の気持ちを考えられることはいいことだと思うのだ。だから、無理にそのジレンマを捨てる必要はないと思う。だけど、その中で表現の質と量のバランスの基準とか、表現でお金をもらうことに対する考え方とかがはっきりすると、僕の中で何か吹っ切れるのではないかと思う。
マンガ、映画、本、ゲーム……いろいろな表現で幸せをもらってきた。僕も何か作って恩を返したい。そのための自由な時間や環境が欲しい。そのためにもお金は欲しい。
だが、表現するということは、いわば「出しゃばる」ことである。
それで食べていくなど、虫のいい話でもある。その権利が自分にあるのか……。僕はいい虫を食べてもいいのか……。
そんな気持ちが心の奥にあって、それが自分の創作活動の足かせになっている。もしくはハードルを高める原因になっている。
「つまらんものを世に送りだしたら、ひんしゅくを買うぞ、なんだかんだで射殺だぞ」
と、気楽に創作に打ち込めなくなっているのである。
特にネットの世界には、お金を得るためにたくさんの広告を貼り付け、「質より量!」と、欲望を煽るキーワードを大量にねじ込んだサイトやブログも乱立している。
それらは別に、表現活動というわけではないだろうが、醜いなと思う。お金が欲しい気持ちはわかるだけにやるせない。
そういうものに出会うたび、僕はそんなことしたくないなあとか、僕だけはせめて純な気持ちでブログを書きたいなどと思う。
「何をかっこつけている。お前がやろうとしていることはそれと何が違うんだ?」
横やりが入ってくる。
自分はそいつらとは違う! いや、同じか……、同じだとして何が問題? 嫌われること?
人を不愉快にしたくない?
そう。人にイヤな思いをさせてまでお金を得ようなどということは、僕にはできない。
人を不愉快にしないためには何もしないほうがいい?
だが、表現をしなければ僕の夢は頓挫する。
質がよければ……、でも、質を高めるためにも量は必要では?
それに、お金を得るにはなんであれ量産した方が有利だ。質を落としてでも量を増やすことを考えた方が得だぞ!
しかし、質の悪い物をこれ以上、この世に増やすなど、僕のやるべきことか? 僕のやりたいことか?
――いろいろな考えが頭を巡る。
表現で食べていくなんて、おこがましくてわがままなことかもしれない。
その道を選択することは、自分がそのわがままを通すほど価値のある人間であることを自分からアピールしなければならない。
その図々しさは、人を不愉快にさせる可能性を十分に孕む。
表現はしたい。でも人を不愉快にさせたくない。
このジレンマが僕の中には常にある。
最近まで、それほど強く意識していなかったことである。自分の筆が思うように進まない理由を考えていたら、そこに思い至った。
これから少しのあいだ、この問題について、じっくり考えてみようかなと思っている。
人の気持ちを考えられることはいいことだと思うのだ。だから、無理にそのジレンマを捨てる必要はないと思う。だけど、その中で表現の質と量のバランスの基準とか、表現でお金をもらうことに対する考え方とかがはっきりすると、僕の中で何か吹っ切れるのではないかと思う。
ちょっとしたプレゼント
前回ちょこっと触れたように、キャンプのご褒美にちょっとしたプレゼントを買った。
それがこちら。
光で起こしてくれる目覚まし時計(フィリップス社製)である。
朝、光を浴びることで、コルチゾールというホルモンが増えてスッキリ起きられるという(訂正:正しくはメラトニンが減るでした。ほっぺたをつねってお詫び申し上げます)。だから、光の目覚まし時計は、音の目覚まし時計とは比べものにならないほど、気持ちよく目覚めることができると言われている。
これで僕も毎朝気持ちよく、スッキリ起きられるというわけだ。
さて、さっそく使ってみよう!
と思ったら。
輸入品なので、コンセントが全然違う。
なんか、幅が広い。日本人の鼻の穴にはささらないタイプのやつだ。
なので、コンセントを日本用に変換する変換プラグを買わないと使うことができない。
ということで、まだ使えていない。使ったら、感想とか、書けたら書きます。
それがこちら。
![]() |
HF3500/60 Wake-Up Light ウェイクアップライト/アラーム Philips社 |
光で起こしてくれる目覚まし時計(フィリップス社製)である。
朝、光を浴びることで、コルチゾールというホルモンが増えてスッキリ起きられるという(訂正:正しくはメラトニンが減るでした。ほっぺたをつねってお詫び申し上げます)。だから、光の目覚まし時計は、音の目覚まし時計とは比べものにならないほど、気持ちよく目覚めることができると言われている。
これで僕も毎朝気持ちよく、スッキリ起きられるというわけだ。
![]() |
使用イメージ |
さて、さっそく使ってみよう!
と思ったら。
輸入品なので、コンセントが全然違う。
なんか、幅が広い。日本人の鼻の穴にはささらないタイプのやつだ。
![]() |
右が日本のコンセント。 |
ということで、まだ使えていない。使ったら、感想とか、書けたら書きます。
Philips
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